令和の時代が始まりました

令和の時代が始まりました! 日の本開闢と龍体文字

 はせくらみゆきさんの本、興味深く読みました。

 印象に残ったところを書きとめておきます。

 

P73

 私たちが通常、人生で起こりうるであろう諸問題は、おもに、人間関係のトラブルや健康問題、恋愛、仕事、お金や財、宗教、環境、社会問題、生きがいに関するものなど、さまざまなテーマに分けられますが、そうした問題を構成しているもとは何かというと、第一に、私たち自身の心が、その課題を問題としてとらえているから、問題になっている、ともいえるのです。

 もし、問題視しなければ、何も問題は起こっていない、ということになります。

 ……何言ってるの?感情がそれを許すはずないでしょ、と普通は思うでしょう。

 そうなのです。

 私たちが超えるべきテーマは、事象そのものの前に、つまるところ、この「感情」の取り扱い方法に長けるということでもあるのです。

 ・・・

 感情はあくまで、「いのち」というあなたの本質に付随した、附属道具(オプション)です。

 それ以上でもそれ以下でもありません。

 起こること自体にプラスもマイナスもないように、感情にも、本来、良し悪しはないのです。だって、勝手に湧きおこってくるものなのですから。

 ・・・

 ・・・いっそのこと、起こる感情を、そのまままるごと認めてしまうというのはどうでしょう?

 ・・・

 決して判断しない。ただ寄り添う。わかってあげる。

 そうすると、チャプチャプと波打っていた感情さんはだんだん落ち着いてきて、次第に静けさを取り戻していくんですね。

 

P126

 ・・・シンクロニシティが頻繁に起こる時空というのは、高次元と意識が共振共鳴したからと考えられます。

 つまり、目に見える物質的な3次元的肉体を持ちながらも、意識はより精妙な、高次元の時空間とチャンネルが合っている、ということになるのです。

 言い換えると、高次元的な意識を持ちながら、物質世界を謳歌している「証」であり、目安ともいえるのが、共時性だということなんです。

 

P148

 ・・・客観的事実というのはもともと存在しているのではなく、事象は観測者の観測や認識によって、いかようにも変わってしまう・・・

 そして同時に、観測されるまでの「どこにでもいる可能性」というのが、まだ観測されていないけれどすでに存在しているもう一つの「現実」ということになるのです。

 そのバージョンが無数に並行してある―そう、パラレルワールドです。

 この観測問題を、言い方を変えて表現すると、

「思考は現実化する」

 というよりも、

「すべての現実は、(観測者の)選択と思考の結果によるもの」だった、

 になっちゃうんですね。

 

P154

 本当は、毎瞬毎瞬、現れるパラレルワールドが微妙に異なっているのですが、脳は出来事を、因果関係と連続性を持った、一貫性のあるストーリーとして認識していくため、通常は気づくことなく過ごしている・・・

 とはいえ、似通ったパラレルワールドではなく、一気に別時空のパラレルワールドへと行ったときは、本人が違和感を覚えるような、違う「現実」を体験するようになります。

 

P173

 ・・・光の中心の中で、瞬間瞬間に意識を置いて、丁寧に生きていこうとする姿を神道では「中今」と呼んで大切にしています。

 この中今こそが、人生を上質に生きていく、最大のコツでもあります。

 実は、この中今の意識を思い出させてくれる言葉を、私たちは常日頃から発していたことを知っていましたか?

 それはこの言葉。

「ただいま!」

 ただ、今の中にいる私。光の中心にいる私。・・・そんな自分を思い描きながら、「ただいま」を唱えると、そのたびに、見える世界の質がポーンとバージョンアップしてしまいますよ。

 

 ところで明日はブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^-^*)