あなたの脳のはなし

あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎 (早川書房)

 昨日の記事の内容が、詳しく書かれていたところです。

 脳が現実として出してくるものは、実際には遅れているバージョンだということなど、ほんとにこの現実知覚のシステムは面白いなぁと思います。

 

P71

 ・・・私たちが知覚するには、脳がさまざまな感覚のデータストリームを比較する必要があることはわかった。しかし、このような比較を現実的に難しくするものがある。それはタイミングの問題だ。視覚、聴覚、触覚など、感覚のデータストリームを脳が処理するスピードはそれぞれ異なる。

 競走用トラックにいる短距離走者を考えてみよう。彼らは号砲が鳴った瞬間にスターティングブロックから離れるように見える。しかし実際にはその瞬間ではない。スローモーションで見ると、号砲から動き始めまでにかなりの間があることがわかる。ほぼ〇.二秒だ・・・。

 選手をスタートさせるのにピストルではなく、たとえば閃光を使ったら、その遅延は短くなるのだろうか?なにしろ光のほうが音より速く進むのだから、選手はブロックを早く離れられるのでは?

 ・・・

 結果的に、反応は光に対してのほうが遅かった。外界での光の速度が音速の比ではないほど大きいことを考えると、これは一見つじつまが合わないように思えるかもしれない。いったいどうなっているのか、事実を理解するためには、内部での情報処理速度を確認する必要がある。じつは視覚データのほうが聴覚データより、複雑な処理を施される。閃光の情報を伝える信号が視覚系にたどり着くまでのほうが、号砲の信号が聴覚系にたどり着くまでより、長い時間がかかる。選手たちは光に対して一九〇ミリ秒で反応したが、号砲に対しては一六〇ミリ秒しかかからなかった。そういうわけで、短距離走のスタートにはピストルが使われるのだ。

 しかし、ここからが妙な話になる。目に入るものより音のほうが脳に速く処理されることを、いま確認したばかりだ。それでも、目の前で手をたたくとどうなるか、注意深く観察しよう。やってみて。すべてが同時に思える。音のほうが速く処理されるのなら、どうしてこんなことになるのか?それはつまり、あなたの現実知覚は手の込んだ編集トリックの最終結果だということである。脳が到達時間の差を隠してしまう。どうやって?脳が現実として出してくるものは、実際には遅れているバージョンなのだ。脳は感覚からの情報をすべて集めてから、何が起きているかの筋書をこしらえる。

 このタイミング問題は聴覚と視覚に限られるものではない。感覚情報は種類によって処理にかかる時間が異なる。さらにややこしいことに、ひとつの感覚のなかでも時間差がある。たとえば、信号が脳に到達するのに、足の親指からのほうが鼻からよりも長く時間がかかる。しかしそんなことはあなたの知覚にはわからない。あなたはまず信号をすべて集めるので、すべてが同時に思える。その結果、妙な話だが、あなたは過去に生きているのである。その瞬間が起こるとあなたが考えるころには、その瞬間はとっくに過ぎている。複数の感覚から入ってくる情報の時間を合わせるために、代償として、私たちの意識は現実世界より遅れているのだ。それは、起こっている出来事とそれを経験しているというあなたの意識との、埋められないギャップである。

 現実認識は最終的に脳がつくり上げるものである。感覚からのデータストリームにもとづいているが、それなしでは生じないというわけではない。・・・

 ・・・

 外界から完全に隔離されて音も光もない・・・しかし彼の頭は外界をイメージすることをあきらめなかった。・・・ルークはその経験をこう話している。「幻覚を見たのを覚えている。よく思い出したのは凧揚げをしているところだ。すごくリアルだった。でも、すべてが頭のなかのことだった」。ルークの脳は引き続き見ていたのだ。

 そのような経験は、独房監禁される囚人によくある。・・・

 ・・・新しい感覚情報が欠乏すると空想が空想でなくなるのだと、囚人たちは言っている。完全にリアルに思える経験だという。彼らはイメージを想像したのではなく、見ていたのだ。

 この証言は、外部世界と私たちが現実と考えるものとの関係を明らかにしている。ルークに何が起こっていたのか、どう理解できるだろう?従来の視覚モデルでは、知覚は目を始点に脳内のどこか謎の終点まで、データが進んでいくことで生まれる。しかし、この視覚の組み立てラインモデルは、わかりやすいがまちがっている。

 実際には、目やその他の感覚器官からの情報を受け取る前に、脳は独自の現実を生み出す。これは内部モデルと呼ばれる。

 内部モデルの基礎は、脳の解剖学で理解できる。視床は前頭部の目と目のあいだに位置し、視覚皮質は後頭部にある。ほとんどの感覚情報は、大脳皮質の適切な領域にたどり着く途中で視床を通る。視覚情報は視覚皮質に向かうので、視床から視覚皮質へと入る接続がたくさんある。しかしここからが驚きだ。逆方向の接続がその一〇倍もある。

 世界についての詳しい予想、つまり外にあると脳が「推測」するものが、視覚皮質から視床に伝えられている。そして視床は目から入ってくるものと比較する。それが予想(「頭を回すとそこにイスが見えるはず」)と合致した場合、視覚系へと情報を送り返す作用はほとんど起きない。視床は、目が報告しているものと脳の内部モデルが予測したものとの、差異を報告するだけである。言い換えれば、視覚皮質に送り返されるのは、予想で足りなかったもの(「エラー」とも呼ばれる)、すなわち予測されなかった部分である。

 したがって、どんなときも私たちが視覚として経験することは、目に流れ込んでくる光よりも、すでに頭のなかにあるものに依存している。

 

P98

 脳は物語を示す―そして人はみな脳が紡ぐ物語をすべて信じる。錯視にだまされているにせよ、たまたま見た夢を信じているにせよ、文字に色を感じているにせよ、統合失調症の症状で妄想を真実と受け止めているにせよ、私たちはみな、脳がどんな脚本を書いていても、自分の現実を受け入れる。

 外の世界を直接経験しているという感覚があっても、私たちの現実は詰まるところ、電気化学的信号という知らない言語を使って、暗闇のなかで構築されているのだ。広大な神経ネットワーク全体を激しく揺らす活動が、あなたの個人的世界認識の物語に変換される。すなわち、手のなかにあるこの本の感触、部屋の明かり、バラの香り、人々が話している声になる。

 さらに妙なことに、脳はどれも少しずつちがう物語を紡ぐようだ。・・・ただひとつの現実というものはない。それぞれの脳が独自の真実を伝える。

 では、現実とは何なのか?あなたが見るだけで、消すことはできないテレビ番組のようなものだ。ありがたいことに、最高におもしろい番組を放送している。それはあなただけのために編集され、カスタマイズされ、映し出されているのだ。