区切りは人工物

幾千の夜、昨日の月 (角川文庫)

角田光代さんのエッセイを立て続けに読んだので、そこからの引用が続きそうです(^_^;)
文庫版解説を書いていた西加奈子さんが
「角田さんみたいな人に、会ったことがない。
 こんなまっさらな剥き出しの人に、私は会ったことがない。
 角田さんはみんなのおばあちゃんみたいだし、小さな女の子みたいだ。・・・」
と評していましたが、ほんとにそんな感じです。

ここは共感したところ。
P147
 国境の橋を渡りながら。今はどちらの国にも属していない、と思うとき、なんともいえず不思議な気持ちになる。この場所の時間はなんだろう?背後の国が午後四時で、目の前の国が午後五時ならば、四時半だろうか?それともここには時間は存在しないのか?そんなふうに思う。
 飛行機のなかもそうだ。飛行機が嫌いで、かならず眠るようにしているが、人工的な夜に目覚めたときの光景が、私はさほど嫌いではない。ゴーというかすかな音、一様に眠る知らない人々と、眠れない数人の人たち。ぴったり閉められた窓と、時間のないところにいる浮遊感。そうなのだ、時間は人が作ったものだと、こういうときに思い出す。国境も時間も、区切りというものはみんな人間が作った人工のもの。一日は本当は二十四時間でもなく、暗くなったら一日が終わるわけでもない。