酒場學校の日々

酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學

 金井真紀さんの本はどれも面白いな~と、見つけた順に読んでいます。

 

P10

 學校という酒場にたどり着いて、そこで半世紀近くママをしている禮子さんに会ったのは二〇〇八年のことだった。たまたま目にした新聞記事に、新宿ゴールデン街の「學校」という店が紹介されていた。かつて詩人の草野心平が開いた店が、場所を変えていまも営業を続けているというのだ。

 

P158

 禮子さんのはなしに登場する心平さんは、いつも穏やかだ。ゆっくりと言葉を選ぶ禮子さんの表情に、ふたりで過ごした時間の滋味がじんわりとにじむ。

 心平さんは余計なことを言わない人。こちらから何か聞かない限り、ずーっと黙ってますねぇ。自分から喧嘩になるようなことを言ったりはしないし、ほんとに無駄なこと、余計なことは言わない人。

 ・・・

 心平さんとはどれだけいっしょにいても気詰まりがないの。心平さんのおうちにいると、「レイちゃん、なんかつくろうか?」なんて言って料理をしてくれました。畑をしてらしてね、ご自分で育てたお茄子とかキュウリで料理してくれました。もちろんお酒もあってね。後片付けはあたしがしました。その頃、テレビもなかったと思うの。ラジオを聞くなんてこともあんまりなかったし。ふるたんぼのこととか、太郎のはなしとかね、そんなことを話していたんでしょうかね。それも密に話すという感じじゃなくて、「こんなこともあったんだよ」とか「それは太郎らしいな」なんてね、そのくらいのこと。それから飼っている犬のはなしとか、鯉のはなしとか。

 ・・・まぁ、なんでしょうねぇ、おじさんと姪っ子みたいな感じだったのかしら。

 心平さんが親戚のおじさんだったら、ずいぶんおもしろかっただろうと思う。たとえば昭和二十四年に育ての母が亡くなったとき、四十六歳の心平さんは葬式でこんな挨拶をする。

 

 母さんが亡くなられたのは残念です。ことに物資や金もなく、悪い環境のなかで亡くなられたのは気の毒です。もっと生きていてもう少し安心して死んでもらいたかったと思います。けれどもいまの状態では楽しく生きてもらえるのはいつか見当もつきません。あの世の方が安穏かもしれません。兎も角、いまになってはもう、あの世で永生きしてもらうよりほかありません。そこで母さんの万歳をとなえたいと思います。

草野心平著「葬式の万歳」/「新論」一九五五年)

 

 それで兄弟、親戚一同そろって、まじめに万歳を唱和したという。心平さんはそのときの心境を「なんとも変にかなしかった。」と書き残している。「あの世で永生きしてもらう」だって。万歳だって。なんだろう、この、筋が通っているような、いないような、へんなおかしみは。