ずいぶん前にご紹介した本です。
きのう、この本について話す機会があって思いだしたので、興味深かったところを書き留めておきたいと思います。
少々長くなりますが・・・
臓器移植に関連して、自己同一性について書かれているところです。
P309
細胞表面に、一群の同一性レセプターがあり、それが個人個人を異なるものにしている。・・・もしあなたの細胞からこの自己レセプターを除去したら、細胞はあなたという同一性を示さなくなる。
・・・だが、ここで一つ重要なことがある。個人個人に同一性を与えるのは、タンパク質のレセプターではなく、レセプターを活性化するものだということだ。細胞固有の同一性レセプターは、細胞膜の外表面に位置していて、“アンテナ”のように作用し、環境からの相補的なシグナルをダウンロードする。この同一性レセプターが“読み取る”のは「自己」のシグナルだが、それは細胞内にあるのではなく、外部の環境からやってくる。
人間をテレビにたとえるならば、あなたは画面に映っているイメージだ。だがそのイメージはテレビの内部から発せられるものではない。あなたという同一性は、環境からの放送をアンテナが受け取ったものだ。
つまり、もしテレビが壊れても、環境からくる放送は存在し続けているということで・・・
このたとえ話では、テレビ=細胞、テレビのアンテナ=同一性レセプター、放送=環境からのシグナルです。ということは?
P311
細胞にあるタンパク質レセプターこそが「自己」であると考えがちだ。だがそれは、テレビのアンテナが放送の大もとであると信じるようなものだ。細胞のレセプターは同一性のもとではなく、「自己」を環境からダウンロードする装置なのである。
この関係を真に理解したとき、わたしは自分の同一性、つまり、わたしという「自己」は、身体がここにあろうとなかろうと環境のなかに存在していると認識できた。