カラスの恩返し

コーヒーと楽しむ 心がほんのり明るくなる50の物語 (PHP文庫)

 こちらの本にも木村さんの話が紹介されてました。

 

P189

 心理学に関する本を読んでいたら、ちょっと面白い寓話が載っていましたので、紹介します。

 さあ、あなたは、この話に何を感じるでしょうか?

 

 あるところに、スイカづくりをしている農夫がいた。

 性格は欲張りで意地悪。

 そんな彼、ある日、自分のスイカ畑から、毎晩1個ずつスイカが盗まれていることに気がつきました。

 ひと晩にたった1個とはいえ、どうにも許せない農夫。

 考えた末、意地悪なことを思いつきます。

 畑にあるスイカの1個に毒を入れて、畑にこんなメッセージの立て札をしたのです。

「スイカ泥棒に告ぐ!この畑のスイカのどれか1個に毒薬を入れた。スイカを盗むのは勝手だが、命の保証はないものと思え!」

 翌朝。農夫が畑にやって来て見てみると、どうやらスイカが盗まれた形跡がない。「してやったり」と喜ぶ農夫。

 ところが、ふと気がつくと、こんなメッセージが書かれたメモが残されていた。

「農家の方へ。私もお宅の畑のスイカのどれか1個に毒を入れました。お互いに手を組みませんか?でなければ、スイカは1個も出荷できませんよ」

 

 いかがですか?

 あなたは、この寓話にどんな感想を持ちましたか?

 いろいろな解釈ができる話だと思いますが、私は、こう思いました。

「毒に対して毒で対抗しても、何も解決しない」

 そして、ふと、世界で初めて完全無農薬無肥料のリンゴ栽培に成功された木村秋則さんの、「カラスと折り合いをつけた」という話を思い出しました。

 リンゴ栽培にとっての大敵であるカラス。

 しかし、木村さんの畑には、なぜかカラスがいない。

 ある人がその理由を聞くと、木村さんはこんな話をしてくれたというです。

「あるとき、カラスの子が巣から落ちて、親カラスが鳴いていたので、そっと巣に戻してあげた。そしたら、それ以来、カラスはいたずらしなくなったの」

 それどころか、別のカラスたちが木村さんの畑のリンゴに手を出そうとして近づくと、くだんのカラスが追っ払ってくれるのだとか。

 なんとカラスの恩返し!ウソのような本当の話です。

 話をスイカ泥棒の寓話に戻すと、悪いのはスイカ泥棒です。それは間違いありません。・・・

 しかし、その「悪」に対して、農夫もまた、「悪」で対抗してしまったから、新たな毒が返ってきてしまった。

 ・・・

 もし、寓話の農夫が、木村秋則さんのような大きな心で、こんな立札をしていたらどうなったでしょう。

「スイカ泥棒さんへ。腹が減って仕方がないなら、毎日、スイカを食べてよいから、ウチの畑で働きませんか?」

 泥棒を雇うなんて!という話はひとまず置いておいて、こんな立札をしていたら、話の展開(未来)は少し良い方向に変わっていたように思うのです。

 

心を通わせる

目に見えないけれど、人生でいちばん大切なこと

 すべてのものに心がある、ほんとにそうだなぁと思いつつ読みました。

 

P106

木村 ・・・こんな話もあります。私の友人のひとりが、クルミの木を大切に育てていましてね。「木村、おまえの言うこと聞いて、おれもクルミの木に『元気に育ってくれよ』とずっと声をかけてきたんだよ」と。

 ところが、そのクルミの木が、十年たつのに一個も実をつけない。

 ある日彼から電話をもらって、私もその木を見に行ったんです。見ると、確かに幹は太く、その段階で実がならないのはおかしいとわかりました。

「この木は、もうだめだから切るしかないな」

「やっぱり、木村もそう思うか」

 二人でそんな会話をしたんですよ。切るならきょうやってしまおうと、私は、早速家へ帰り、チェーンソーを持ってまた戻ってきました。

 チェーンソーのエンジンをかけて、「さあ、いよいよ」という時です。うちの女房から、「急用ができたから、いったん家に帰ってほしい」と連絡が入ったんです。

 私は、用事がすんだらすぐに戻ってくるつもりで、チェーンソーをそこに置いたまま家へ帰りました。でも、すぐ戻ってくるつもりが用事が長引き、翌日もたまたま別の用事ができて、結局、そのまま一年がたってしまいました。

 一年たって、そのクルミの木、どうなっていたと思いますか。もうね、枝がしなるほどたわわに実をつけていたんです。

 クルミの木も、私たちの会話を聞いて「切られたら大変だ!」と焦りを感じて頑張ったんでしょうね(笑)。

 結局、優しい言葉ばかりかけても、だめなこともあるんですね。子育てと一緒です。愛情をかけて甘やかすだけではなく、ときには厳しいことも言うべきなのかもしれません。勉強になりました。

 今でもあのクルミの木の前を通ると思い出します。ああ、こんなに立派な木を、昔、私は切ろうとしたんだな、ごめんなさい、と。

 

鍵山 木村さんのお宅から電話がかかってきて助かった。急用ができたのは、偶然じゃなく、クルミの木が「ちょっと待って」とお願いしたのかもしれませんね。

 

木村 きっとそうですよ。

 すべてのものに心があり、すべてのものは人間の言葉をわかってくれる。

 おかしいかもしれませんが、私はそう信じています。

 ・・・

鍵山 そうですね。私も信じていますよ。

 

木村 今、自然栽培の指導などに行くと、「無農薬栽培では、自分の目と手が、肥料であり農薬です」とよくお話するんです。

 でも、ほんとうは、それだけじゃない。作物との会話もまた、肥料であり農薬の代わりなんじゃないかと思っています。

 

鍵山 田んぼでも、ただ水の中を手でかき回すだけで、稲の色が違ってきます。田んぼのまわりをひとまわりして、見守ってやるだけでも違いますね。

 

木村 はい。作物を育てるには、確かに肥料が必要、そして病気を駆除するには、確かに農薬が必要かもしれません。でも、それ以上のことができるのが、私たち人間の、心なんだと思います。

 ・・・

 ・・・この栽培をやってからわかったんです。どんなものにも心があるんだなと。それに気づかせてもらって、ほんとうによかった。リンゴの木にも、この栽培法にもとても感謝しています。

 ・・・

鍵山 動物や植物だけではなく、物にも心が宿っていると思いませんか。

 とくに、毎日の生活でお世話になっている道具類。感謝の心を込めていつもきれいにしておくと、使いやすくなるのはもちろん、物の寿命がのびるんですね。

 ・・・

木村 ・・・それは私も実感しています。というのも、今使っているトラクターなんですが、なんと六十四歳。私と同い年の同級生なんです。普通六十四年も前のトラクターなど、もう〝鉄くずのかたまり〟といってもおかしくない。けれど、うちのは一度もトラブルもなく、一所懸命仕事をしてくれている。

 ・・・

 ですからもう、かわいくて手放せません。・・・

 

鍵山 愛情を持ったら、物でも機械でもわが子同然ですよね。

 

木村 そうですよ。もともとは、「動かなくなったから」と、よその人に捨てられたトラクターだったんです。それを、私が拾ってきて修理した。私に恩義を感じているんでしょうか。ほんと、よく働いてくれます。

 鍵山さん、今度うちへ遊びにいらした時は、ぜひ見てやってください。

 

木村秋則さんと鍵山秀三郎さんの対談

目に見えないけれど、人生でいちばん大切なこと

 お二人とも、十年という単位で信念を貫いたというのが、すごいことだなぁと改めて驚きました。

 

P32

鍵山 私が会社を立ち上げましたのは、昭和三十六年、二十八歳の時でした。最初は自動車用品の卸売り販売からスタートしました。そもそも、その前にサラリーマンをしておりましたが、それが、同じ自動車関係の会社だったのです。

 しかし、その会社が問題だらけでした。お金儲けのためなら何をやってもいいというような利益優先主義でして、私は、それに納得できなかったのです。

 何度か社長にも直訴をしましたが、受け入れてもらえない、・・・

 会社に期待できないのなら、自分で理想の会社を作ればいいんだと夢を描いたのが、創業のきっかけです。

 当時の業界は右肩上がりでしてね。私のサラリーマン時代はべらぼうな給料をいただいておりました。結婚したら、家内が、自分の父親より給料が多いと、びっくりしたくらいです。

 しかも専務にまでなって、専用の車も与えられていたという高待遇。これを投げうってまで独立するというのですから、まわりには「あいつは、変人だ」と思った人もいたかもしれません。

 しかし、私はやはり、自分の夢や理想にかけたかった。

 ・・・

 ・・・目標は、人格に優れたいい人間が、いい商品を売って社会に貢献するという〝絵に描いたような、理想的な株式会社〟を作ることでした。

 ・・・

 ・・・当時の車関係の業界は、・・・人手不足の売り手市場でしたから、社員を募集すれば、やってくるのは態度も言葉づかいも良くない荒んだ者ばかり。

 ちょっといやなことがあれば、椅子を蹴ったり、口汚くののしるなど、およそ心が未成熟な社員が多かったんですよ。

 なんとかこの社員たちを穏やかな人間に成長させられないものか。農業で言えば、土を良くするようなものです。

 そこで、考えたあげく、私が出した答えが掃除だったのです。

 人の心は取り出して磨けるものではありません。心を磨くには、とりあえず目に見えるものをきれいにしてみてはどうか、と考えたのです。職場環境を美しく整えれば、彼らもきっと何かに気づいてくれるはずだと。

 ・・・

木村 それで掃除をはじめたわけですね。

 

鍵山 そうなんです。最初は、私ひとりではじめましたが、四面楚歌でした。

 ・・・

 反対ならまだいい。無視ですよ、無視(笑)。

 階段を拭いていれば、その手を飛び越えていく。トイレを掃除していれば、その横で平気で用を足す。そんな社員ばかりでした。

 ・・・

 しかし、私は、信念を変えることはできませんでした。まず「土」、つまり人の心を変えなければ、会社は何をやっても絶対に成功しないんだと。

 その後も、苦難は続きました。卸売業に加えて直販店経営にも乗り出したのですが、店を作れば、今度はそこが暴走族のような粗野なドライバーのたまり場になってしまうありさまです。

 お店の中は雑然とし、床は汚れ放題。・・・

 こんなことではいけない。女性のお客さまでも気軽に立ち寄れるようなお店に変えていかなければ。ますます決意を強くしました。・・・

 私はひとり黙々と掃除をし続けました。

 とくに力を入れたのが、トイレ掃除です。ゴム手袋など使わず、素手で磨く。そうしますと、髪の毛一本の感覚も見逃すことがありませんから、ほんとうに隅から隅までピカピカになるんです。

 トイレは、人目につきにくい場所にあって、ないがしろにされがちです。それに、「掃除しろ」と言われて人がいやがる場所でもあります。しかし、そういう場所だからこそ、そこをきれいにすることが心の浄化作用につながるのだと考えています。

 ・・・

木村 会社の中で掃除の大切さや鍵山さんの努力が理解されるようになったのは、いつ頃ですか。

 

鍵山 十年目くらいですよ。十年たってやっと、一人二人の社員が手伝ってくれるようになったんです。しかし、ちょっとやっては、すぐにやめてしまう。

 ほんとうの意味で、会社に「掃除をする社風」が定着したのは、二十年目になる頃だったでしょうか。その頃から、仕入れ先やお客さまからの評価もいただくようになりました。そして、それを過ぎた頃から、今度は仕事に直接関係ない方々が、トイレ研修に来社されるようになったのです。

 そして三十年過ぎて、全国に「掃除に学ぶ会」ができました。四十年過ぎて、今度は治安対策の一環として地域社会のお掃除をするようになりました。

 ・・・

 今は経営からは引退しておりますが、掃除からは引退しておりません(笑)。相変わらず、腕まくりで、全国を飛び回ってはトイレ掃除をしております。

ありがとう

君か、君以外か。 君へ贈るローランドの言葉【電子特典付】

 あとがきにいろんな方への感謝の言葉があるのは普通のことといえばそうなのですが、不思議と響き方が少し違いました。

 

P230

 前著を書いてから、早2年。

 その執筆が非常に大変だったこともあり、本を書くことはもう二度とないだろう、そう思っていた。

 そんな中、世界は2年の歳月を経て、まったく別のものになってしまった。

 新型コロナのパンデミックだ。

 世の中は、どんどん暗くなっていく。

 そんな世界を、少しでも変えられないだろうか?

 そう思い、またしても本を書いた次第だ。

 ・・・

 そして、前著に引き続き、この本の印税も全額寄付させていただくと決めている。

 今回もみんなの喜ぶ顔を思い浮かべることで、書き進めることができたんだ。

 自分の銀行口座の数字が少しばかりゴージャスになるためだとしたら、絶対に書き進められなかっただろう。

 だからこれは、みんなと書いた本だと思っている。

 そんな本だからこそ、得られる印税はみんなのために使わせてほしい。

 みんな、本当にありがとう。

 そして、俺を支えてくれる友人たちや家族へ。

 俺が道を踏み外すことなく歩んでいけるのは、みんなのお陰だ。

 どんなに時が経っても、変わらず仲良くしてくれて本当にありがとう。

 こんなにも愛情を持って育ててくれて、本当にありがとう。

 

 それから俺の会社で働いてくれている、すべてのスタッフ達へ。

 みんなの成長や、みんなと成功を分かち合えるその瞬間が、俺の頑張る理由になっている。

 たくさんの会社の中から俺の会社を選んで、そして一生懸命に働いてくれてありがとう。

 社長はつらい!なんて本には書いたけれど、俺は君たちの社長でいられて、本当に幸せです。

 

 それから、それから。

 コーヒーと、大好きなアーティストへ。

 眠くなるたびに、俺をいつも覚醒させてくれました。

 書くのに疲れたときも、歌声を聴くとまた頑張れました。本当にありがとう。

 

 出版社のスタッフ達へ。

 期日に関していろいろとやり合いましたが、最後まで俺と向き合ってくれて、本当にありがとう。

 

 そして最後に、読んでくれた君へ。

 俺からこの言葉を贈って、終わりにしたいと思う。

「自分は、常に自分の味方であれ」

 これは、俺が大切にしている言葉だ。

 ・・・

 この本の中で、俺は君に、成功や勝利が正義だ、諦めるな、夢を追え、なんて書いてきた。もちろん、これは本心だ。

 でも別に、君がそれをできなくたっていいんだ。君は君だから。

 マイペースに生きたって、ちょっとぐらいサボったって、そんな君もきっと素敵だし、俺は変わらず君を応援し続ける。

 

 だけど、どうか自分だけは、自分の味方でいてほしい。それだけは約束してほしいんだ。

 大きな失敗をしてしまったとき、誰かに自分を否定されたとき、惨めに敗北したとき、そんな時は自分のことが嫌いになりそうにもなるけれど……。

 どうか君だけは、自分の味方であり続けてほしい。

 そして、頭の片隅でもいいから、俺のこの言葉を思い出してほしい。

 世界中が君を非難したとしても、何があっても、俺だけは君のことを肯定し続ける。

 約束するよ。ローランドはずっと君の味方だ。

デジタルデトックス

君か、君以外か。 君へ贈るローランドの言葉【電子特典付】

 自分がスマホを使っていないので、ヘビーユーザーだった人が手放すとこんな感じなのだなと印象的でした。こういう人が増えてくれたら、ガラケーがなくならずに済んでありがたいなぁ・・・。

 

P125

 今は、あまりにも情報が多すぎる。

 そんな世の中にあって、情報に対して明確に自分の基準を設けなければ、何を信じていいのかわからなくなる。

 だから俺は、自分で見たもの以外は、どんなものも信じないようにと努めている。

 ・・・

 かつてスナフキンが言った言葉に、素晴らしいものがある。

「なんでも自分のものにして、持って帰ろうとすると、むずかしくなっちゃうんだよ。

 ぼくは見るだけにしてるんだ。そして立ち去るときには、頭の中へしまっておく」

 ・・・

 目で見たものだけを信じ、そして記憶に残るものだけを大切に、忘れてしまうのならそれまでだ、と割り切って生きるように意識してからは、人生がとても身軽になった。

 ・・・

 スマホを手放すこと。

 クレジットカード一枚と、スーツ一着で世界を旅すること。

 これは自分の人生においての、必ず叶えたい大きな夢のひとつだ。

 まずはとりあえず一番手頃な、スマホを手放すという夢を実現できるように頑張ってみるとするよ!

 

P152

 ・・・デジタルデトックスを始めて早3年。LINEこそ変わらず60分だが、ついにInstagramの使用制限は10分になり、Twitterは驚異の1分だ。

 旅行に行くときはスマホを置いていくようになったし、メインの連絡手段はガラケーだ。

 それからアブラサスという会社と共同で、「スマホを設定した時間ロックできるポーチ」も開発した。

 ・・・

 以前はエレベーターが来る数十秒の待ち時間ですら惜しくて、ポケットからスマホを取り出し操作していた俺が、デジタルデトックスの感動をみんなにも味わってほしくて、ついには、そんな商品を開発してしまった。

 俺を、時代遅れの人間だと笑う人もいるが、人生は以前よりも、ずっとずっと充実している。

 もし君が、SNSスマホに依存して疲れ果てているのなら、そして、そんな自分を変えたいと思っているのなら、是非、ローランド流のデジタルデトックスを試してみてほしい。

 ・・・

 ・・・「デジタルデトックス」が日常になってきたある時、俺は思い切ってスマホそのものを置いて旅に出てみた。

 スマホ自体がなかったら、いったいどうなるのだろう?という興味があったのだ。

 すると、いろいろな発見や考えが頭に浮かんだ。

 車窓から見える景色って、こんなに綺麗だったんだ。

 富士山が近くに見えるということは、だいたい今はこの辺りにいるのかな?とか。

 だんだん日が沈んできたな、とか。

 そんなことを考えるのは、非常に楽しかった。

 極端だが、生きていると実感できた。

君か、君以外か。

君か、君以外か。 君へ贈るローランドの言葉【電子特典付】

 ローランドさんの本、2冊目も面白かったです。

「アイディアを追わない」って大事だなと思いました。

 

P35

 何かを始めるにあたって、しっかりと事前準備をしてリスクを考えることは大切なのかもしれない。

 だが残念ながら、どれだけ事前準備をしようが、失敗するリスクがゼロになることなんて絶対にない。

 それに、失敗を恐れて準備を続けているうちに、チャレンジする機会を失ってしまうこともある。

 これは、俺が独立したばかりの頃のこと。

 俺はホストクラブをオープンするにあたり、相場の3倍以上の初期コストをかけた。

 こだわりが強すぎるがゆえに、広告費や内装費、人件費などなど……。

 気づいたら膨大な金額になっていた。

 先輩経営者達からは、

「普通、最初からこんな金額はかけないよ」

「どうやって回収するの?」

 と、冷笑された。

 でも、俺には勝算があった。

 妥協した店は作りたくなかったし、独立時の注目度を考えたら、ローランドの新店はどんなものかと、絶対にいいお客様が日本中から来てくださるはずだ。だったら、リスクを恐れてコストをかけず、低クオリティでガッカリされるより、膨大なコストをかけてでも、「さすがローランドの店だ」と言わせたほうが、顧客獲得につながるはずだ。そんな信念があった。

 それがいかにクレイジーな金額だったか、今の俺ならわかる。

 確かに、俺はコストをかけすぎていた。

 でも、結果はどうだったか。

 そのこだわりが功を奏して、1年目から驚異的な大成功を収めたのだ。

 それも、周りが驚くほどの。

 もし俺が信念を曲げていたら、もし俺がいろいろなことを知りすぎていたら、リスクを恐れて相場の適正額でこぢんまりスタートしてしまっていただろう。

 そうしたら、あの成功はなかったかもしれない。

 このように、知らないということが、武器になることだってある。

 そう思えば、勇気が湧いてくるはずだ。

 

P77

 みんなは何か考えごとをするときに、どんなことをしているのだろう?どんな時にひらめくことが多いのだろう?

 俺は以前、何か考えごとをしたいとき、アテもなくドライブをしたり、時計の音を聴きながら暖炉の火を眺めたり、時にはシガーを吸ったりしていた。

 だが最近の推しは、「散歩」である。

 ・・・

 人は、無意識に欲が出てしまう生き物。

 ついつい何かいいアイディアを!と「追いかけたくなってしまう」ものだが、それでは良い発想は浮かばない。

 だから、「突き放す」のだ。

 その「突き放す」ということに関して、散歩はとても有効なのである。

 歩くときには音楽を聴いたり、いいひらめきが降りてこないかな?などと下心を出したりしない。

 何も期待せず。ただただ歩く。

 少し暖かくなってきたな、こんなところにこんなカフェがあったんだ、今すれ違った人とても素敵だな、そんなことを、ただただぼんやり考えながら歩く。

 そうすると、思いもよらなかった斬新な発想達が、俺の頭の中に突然降りてくる。

 言葉達もそうだ。

 こんな言葉、素敵だな、この比喩表現ならとてもわかりやすいのでは?

 歩いている途中、そんなひらめきが降りてくる。

 そんなひらめきを、ただメモ帳に書き留め、そしてまた歩く。疲れたら帰る。

 ただそれだけ。それ以上でも以下でもない。

 別になんのひらめきが降りてこなくても、それはそれで構わない。ただ歩くだけでもリフレッシュになるのだから。

 何かクリエイティブな作業をするときに、ヒーリング音楽を流し、アロマを焚き、空調を完璧にして、よし!何かいいアイディアを出そう!と思ってもなかなか捗らない人は、ひらめきを追いかけすぎて逃げられているのかもしれない。

 アイディアはシャイな女性と一緒。

 下心を出して追い回したって、逃げられるだけだ。

 君がアイディアに行き詰まったときは、いったん考えることをやめて、ただただ散歩をすることを是非一度試してみてほしい。

救う人、救われる人

まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験

 最後に稲垣えみ子さんの寄稿がありました。

 

P208

 この本を読んで、いろんな感想を持つ人がいると思う。

 面白かったとか、笑えたとか、救われたとか、癒されたとか。もちろんそれは全部その通りなのだ。何しろこの本に登場する愉快な人たちの愉快なエピソードには、その全てが間違いなくみっしりと詰まっている。でもきっと、もっとこう、なんというか、そういうわかりやすい言葉だけでは言い表せない、何かずっしりとしたものを感じた人もいるんじゃないだろうか?

 私は、そうだった。

 なぜならこの本には、私が今切実に求めている、これからの長い(短いかもしれないが)「老後」を生き抜くための知恵が詰まっていたのだ。

 私は心の底からナルホドと思い、そして明るい希望を持った。

 ・・・

 ・・・ある日、我が世をひっくり返す事件が起きた。母の突然の病が発覚。しかも母はなんとあの、現代人の誰もが恐れる「認知症」になってしまったのである。

 ・・・

 おしゃれで頭が良くて、何事もキッチリしていた母。その母が確実に一つずつ「ダメ」になっていく。手は震え、服装は乱れ、背中は曲がり、歩くことも食べることもうまくできなくなっていく。私はそのことが許せなかった。大好きな母が母でなくなっていくことが怖かった。でも誰より母自身が絶望していたのだと思う。・・・母は自分を恥じていたのだ。・・・母は、家で居眠りばかりするようになった。そしてますます縮んでいき、周囲を悲しませた。

 ・・・

 ・・・我が家族は「できなくなること」「失っていくこと」への備えが全くできていなかった。それはダメなことだという価値観を信じ切って生きてきた。・・・

 動きたがらない母に、我々家族は、頑張って歩こう、できることはやろう、脳トレ頑張ろうと繰り返し言う。だが母は悲しそうにうなずくだけで動こうとしない。そしてある日、そんな耳タコの励ましを受けた母は顔をしかめ、悲しそうに言った。「年を取っちゃいけないの?」

 一瞬の沈黙。いや、そんなことはないんだよ。でもさ、ちょっとでも元気でいて欲しいからさ……と言いつつ、ああそうなのだと思う。母の言う通りなのだ。我々は母が「年をとること」が許せなかったのだ。

 ・・・

 で、私は遅まきながら考えたのである。

 できないこと、できなくなること。それは本当にダメなことなんだろうか?阻止しなければならないことなんだろうか?もしそうなら我々はどうやって歳をとっていけばいいのだろう。歳をとるということは「できなくなること」の連続である。その度に敗北感に打ちひしがれ、絶望のうちに死んでいかなくてはならないのだろうか。

 ・・・

 ・・・ここに至り、私は心から決意した。

 何としても自分を変えねばならない。価値観を変えねばならない。「失っていくこと」は敗北ではない、「できないこと」は惨めではない、っていうか、むしろ楽しいかも……などと考えることはできないだろうか?いやわかっている。どう考えても無理がある。だがいくら無理があってもこの転換はどうやったってやり遂げねばならぬ。・・・

 ・・・

 で、この本は、まさに「失った人」「できない人」「回復することのない人」たちの物語なのであった。

 その名を「障害者」という。

 しかし読み進めるうちに、そもそも障害って何だろう?ということがわからなくなってくる。つまりは、できないとは何だろう、できるとは何だろう?と混乱してくるのである。

 そのくらい、彼らのエピソードは愉快なことに溢れているのだ。

 なぜだ?なぜなんだ?

 ・・・

 ・・・なぜこの本は愉快なのか?それは、彼らのいる「スウィング」という場所が、「できない」ということにこだわっていないからである。・・・そしてこだわらないだけで、なぜか「できる」がどんどん増えてくるのである。・・・

 ・・・

 ・・・なぜ我々は、できるとかできないとかにこだわってしまうのだろう。そのことも、この本にはちゃんと書いてある。全ては「お金を上手く儲けられるかどうか」ということなのだ。それが「できる」と「できない」(ひいては「いい」と「悪い」)を分けているのである。

 改めて考えると、お金はもちろん大事だけれど、所詮は道具だ。

 ・・・

 ・・・愉快なのは、この、お金が支配する「できる」とか「できない」とかを取っ払った途端、ガチガチにみんなを縛っていたロープみたいなものが緩み、いろんなことが爆発的に生まれてくるらしいのである。・・・いやそんな理屈を並べるまでもなく、この本に地雷のごとく散りばめられた詩を読めばもう誰も何も言えないよ!だってこの、どんなにカタクナな人の心のガッチガチの栓をも有無を言わせずプシュウと抜くような、破壊的なパワーに溢れた「障害者」のポエムと言ったら!

 ・・・

 ・・・私はなんだかよくわからないながらもすごい希望を持った。

 でも同時に深く落ち込みもしたのである。母の「できない」を認められなかった自分の小ささ、狭さがもたらした罪を改めて考えざるをえなかった。・・・

 ああ本当にダメな私であった。全ては私の弱さである。

 でも、ならばその弱さからスタートするしかないのだ。

 ・・・

 ・・・この本は、スウィングに集う人々の非生産性、非効率の極致、そして予測不能なぶっ飛んだ行動に、時にイラつき、いやもう勘弁してよと心の中でツッコミを入れつつも、いや……もしかしてそれってそもそもアリなんじゃ?しかもよくよく考えるとなんか笑える!なんて総括しながら、縮こまりそうになる心を風にさらし、もつれすぎて絡まった糸を少しずつ解きほぐしながら、なんだ大丈夫じゃん!これでいいじゃん!いやむしろこっちの方が良かったりするんじゃ?と、どんどん自由に、身軽になっていく木ノ戸さんの青春の記録でもある。・・・つまりは、木ノ戸さん自身が「障害者」に切実に救われているんである。・・・