救う人、救われる人

まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験

 最後に稲垣えみ子さんの寄稿がありました。

 

P208

 この本を読んで、いろんな感想を持つ人がいると思う。

 面白かったとか、笑えたとか、救われたとか、癒されたとか。もちろんそれは全部その通りなのだ。何しろこの本に登場する愉快な人たちの愉快なエピソードには、その全てが間違いなくみっしりと詰まっている。でもきっと、もっとこう、なんというか、そういうわかりやすい言葉だけでは言い表せない、何かずっしりとしたものを感じた人もいるんじゃないだろうか?

 私は、そうだった。

 なぜならこの本には、私が今切実に求めている、これからの長い(短いかもしれないが)「老後」を生き抜くための知恵が詰まっていたのだ。

 私は心の底からナルホドと思い、そして明るい希望を持った。

 ・・・

 ・・・ある日、我が世をひっくり返す事件が起きた。母の突然の病が発覚。しかも母はなんとあの、現代人の誰もが恐れる「認知症」になってしまったのである。

 ・・・

 おしゃれで頭が良くて、何事もキッチリしていた母。その母が確実に一つずつ「ダメ」になっていく。手は震え、服装は乱れ、背中は曲がり、歩くことも食べることもうまくできなくなっていく。私はそのことが許せなかった。大好きな母が母でなくなっていくことが怖かった。でも誰より母自身が絶望していたのだと思う。・・・母は自分を恥じていたのだ。・・・母は、家で居眠りばかりするようになった。そしてますます縮んでいき、周囲を悲しませた。

 ・・・

 ・・・我が家族は「できなくなること」「失っていくこと」への備えが全くできていなかった。それはダメなことだという価値観を信じ切って生きてきた。・・・

 動きたがらない母に、我々家族は、頑張って歩こう、できることはやろう、脳トレ頑張ろうと繰り返し言う。だが母は悲しそうにうなずくだけで動こうとしない。そしてある日、そんな耳タコの励ましを受けた母は顔をしかめ、悲しそうに言った。「年を取っちゃいけないの?」

 一瞬の沈黙。いや、そんなことはないんだよ。でもさ、ちょっとでも元気でいて欲しいからさ……と言いつつ、ああそうなのだと思う。母の言う通りなのだ。我々は母が「年をとること」が許せなかったのだ。

 ・・・

 で、私は遅まきながら考えたのである。

 できないこと、できなくなること。それは本当にダメなことなんだろうか?阻止しなければならないことなんだろうか?もしそうなら我々はどうやって歳をとっていけばいいのだろう。歳をとるということは「できなくなること」の連続である。その度に敗北感に打ちひしがれ、絶望のうちに死んでいかなくてはならないのだろうか。

 ・・・

 ・・・ここに至り、私は心から決意した。

 何としても自分を変えねばならない。価値観を変えねばならない。「失っていくこと」は敗北ではない、「できないこと」は惨めではない、っていうか、むしろ楽しいかも……などと考えることはできないだろうか?いやわかっている。どう考えても無理がある。だがいくら無理があってもこの転換はどうやったってやり遂げねばならぬ。・・・

 ・・・

 で、この本は、まさに「失った人」「できない人」「回復することのない人」たちの物語なのであった。

 その名を「障害者」という。

 しかし読み進めるうちに、そもそも障害って何だろう?ということがわからなくなってくる。つまりは、できないとは何だろう、できるとは何だろう?と混乱してくるのである。

 そのくらい、彼らのエピソードは愉快なことに溢れているのだ。

 なぜだ?なぜなんだ?

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 ・・・なぜこの本は愉快なのか?それは、彼らのいる「スウィング」という場所が、「できない」ということにこだわっていないからである。・・・そしてこだわらないだけで、なぜか「できる」がどんどん増えてくるのである。・・・

 ・・・

 ・・・なぜ我々は、できるとかできないとかにこだわってしまうのだろう。そのことも、この本にはちゃんと書いてある。全ては「お金を上手く儲けられるかどうか」ということなのだ。それが「できる」と「できない」(ひいては「いい」と「悪い」)を分けているのである。

 改めて考えると、お金はもちろん大事だけれど、所詮は道具だ。

 ・・・

 ・・・愉快なのは、この、お金が支配する「できる」とか「できない」とかを取っ払った途端、ガチガチにみんなを縛っていたロープみたいなものが緩み、いろんなことが爆発的に生まれてくるらしいのである。・・・いやそんな理屈を並べるまでもなく、この本に地雷のごとく散りばめられた詩を読めばもう誰も何も言えないよ!だってこの、どんなにカタクナな人の心のガッチガチの栓をも有無を言わせずプシュウと抜くような、破壊的なパワーに溢れた「障害者」のポエムと言ったら!

 ・・・

 ・・・私はなんだかよくわからないながらもすごい希望を持った。

 でも同時に深く落ち込みもしたのである。母の「できない」を認められなかった自分の小ささ、狭さがもたらした罪を改めて考えざるをえなかった。・・・

 ああ本当にダメな私であった。全ては私の弱さである。

 でも、ならばその弱さからスタートするしかないのだ。

 ・・・

 ・・・この本は、スウィングに集う人々の非生産性、非効率の極致、そして予測不能なぶっ飛んだ行動に、時にイラつき、いやもう勘弁してよと心の中でツッコミを入れつつも、いや……もしかしてそれってそもそもアリなんじゃ?しかもよくよく考えるとなんか笑える!なんて総括しながら、縮こまりそうになる心を風にさらし、もつれすぎて絡まった糸を少しずつ解きほぐしながら、なんだ大丈夫じゃん!これでいいじゃん!いやむしろこっちの方が良かったりするんじゃ?と、どんどん自由に、身軽になっていく木ノ戸さんの青春の記録でもある。・・・つまりは、木ノ戸さん自身が「障害者」に切実に救われているんである。・・・