「違うことをしない」

「違うこと」をしないこと

すごく大事なことが、バンッとタイトルになっていてびっくりしました。

改めてそうだよなぁと思うことがたくさん書いてありました。

こちらは宇宙マッサージをする白井剛史(プリミ恥部)さんとの対談です。

 

P57

プリミ 溜めちゃう、我慢する、気をつかうっていうのが、魂をものすごく蝕むし、自分へのリスペクトを失わせる原因になるから、・・・

 

吉本 表面的には穏やかにやっていても、人間と人間って、やっぱり必ず溜まっていることが互いに伝わっているものだと思う。私も、しょっちゅう「なんかいやだ問題」にぶち当たるんですけど、そのたびにいろんなやり方でしのいできたんです。その都度「なんかいや」と感じた理由は違うんですけど、とにかく自分の直感を無視しないようにしてきたつもりなんです。

 

プリミ そこでその微細な違和感をスルーしないって最大級に大事なことですよね。

 

吉本 些細なようですごく大事だと思う。「なんか、わかんないけどとにかくいや」みたいなネガティヴな感情って、周りに伝えづらいから、自分で否定して、なかったことにしてしまったりとかね。感情とも言えないような、かすかな直感みたいなものだと、なおさら。でも言葉ではっきり伝えることだけが、自分の態度を示すことじゃないですから。「なんかいやなんだ」ってことは、態度とか居心地の悪さでも示せることだし「あなたのことがいやだから」じゃなくて「この場にいるのがなんか合わないから」って言ってもらえれば、別にそんなにショックではないはず。「こうは思ってるけど、あなたのことは認めてるよ」って相手のことを認めてあげれば、それを口に出して言わなかったとしても、わりとデリケートに伝わるんじゃないかなと思いますね、意外に人間同士って。

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 初めの直感みたいなのって本当に大切で、何回言っても言い過ぎじゃないくらい。自分に嘘をついていることが度重なると直感は鈍ります。・・・

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 自分に正直に生きるってことと、ちゃんと社会性を持って生きていくということは、別にどっちかを選ばなきゃいけないことじゃなくて、ちゃんと両立できることなのにね。そうやって、世の中の常識だと勝手に思い込んでることに自分を合わせていくことばかりしてるから、初期設定がおかしくなっちゃう。

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 ・・・たとえば外国に行くと、日本の常識がまったく通用しなかったりするでしょう。日本では、そんなことをするなんてとんでもないと思われていることが、むしろいいことだと思われていたりする。そういうのを見ると、自分は一体何に縛られていたんだろうって、なんだかバカバカしくなるみたいなことが、私は、いっぱいありました。

肩代わり

淡々と生きる

肩代わりするって、すごい仕組みだなと驚きました。

 

P201

 私たち夫婦はこれまでまったく病気をしない夫婦でした。ところが私が発病した途端に、妻がガンになりました。乳ガンでした。ガン細胞を取り去って、転移がないかどうか見守っている状況ですが、私の発病と同時に妻がガンになったことに驚きました。夫婦が愛し合っていると、お互いにそういうふうに連動するんだねと二人で笑ったのですが、最近は、意味が違うのだとわかりました。

 私がこの病気を得た。普通だったら、たぶん死んでいた。ギリギリのところで、肺のレベルでも生き残ることができ、心臓の数値も普通なら死んでいるレベルなのに生き残ることができ、酸素の飽和状態も普通の人だったらあり得ないような数値で生きていた。通常なら死んでもおかしくない数値を三つも満たしているにもかかわらず、私が生きているのはどうしてだろう。・・・私の中でわかったのは、「ああ、妻が肩代わりをしてくれたんだ」ということでした。

 だから妻に対しての感謝というのは、これまでとまったく違う感謝になりました。食事を作ってくれる、洗濯をしてくれる、子どもの世話をしてくれるという感謝は以前からあったのですが、「ああ、生死の問題も肩代わりしてくれたんだ」という感謝が新しく生じたのです。

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 病気や事故を、自分にとってどうなのかという次元を超えて、他人のために肩代わりできるのかどうかという目で見ることができるようになった境地。そこに至ることはすなわち、病気や事故を本当の意味で受け入れ、平然と生きることを受け入れていることになるのかもしれません。

 そこには、自分への執着を離れ、喜ばれる存在として、ただ淡々と生きる人間の生き方が浮かび上がってきます。

あんでるせん

淡々と生きる

長崎のあんでるせん。行ったのはもう10年前になりますが、すごくびっくりして楽しかった、固定観念が崩れて心地よかったのを覚えています。

 

P50

 長崎県にある川棚町という町のJR川棚駅の前に、「あんでるせん」という喫茶店があります。久村さんというご主人が三十年ほど前からやっているマジック喫茶です。久村さんは大学で超能力研究会を作って、超能力についていろいろ研究していた人です。喫茶店ですがマジックを見せるということで、一回に二十人ぐらいのお客さんが入って、それを一日に三回やる。自分で料理を作って出して、皿も自分で洗って、終わるとマジックショーを一時間半ぐらい行うという段取りです。とくに値段が高いわけではありません。マジックショーの代金は食べ物代金の中に含まれています。

 二十年ぐらい前は、朝から二百人ぐらいの客が並んでいました。最近は電話の予約ができるようになったので並ばなくてもよくなりました。・・・

 私が学生時代からやってきた超能力の研究というのは、一面マジックの研究でもあるのです。マジック、奇術、手品という領域でできるものはたくさんありますが、その勉強をしておかないと、それがマジックなのか超能力であるかは見抜けません。私は普通の人よりも手品とか奇術については詳しい。だからこれは奇術だ、マジックだと言えるのです。・・・久村さんが見せてくれるなかには、マジックでできるものもありますが、どう考えてもマジックにはなり得ない、マジックでは絶対無理だというのがいくつかあります。

 たとえば・・・久村さんがトランプをひと組渡し、「好きなカードを五枚並べてください」と言います。・・・お客にはどんなカードかわかっている、久村さんにはわからないーそういう状態です。久村さんはお客が並べた五枚のカードをじーっと見ながら、もうひと組のトランプを取り出し、裏返しで自分の前に五枚並べます。その上で、こんなことを言います。「今、五枚並べましたよね。今から好きなように並べ替えてもいいです」。・・・それに対して久村さんのほうのカードは一切替えません。

 ・・・

「じゃ、開けますよ」と久村さんが言った瞬間、「あ、もう一回やります」などと言うお客さんがいます。久村さんが「いいですよ」と言うと、二枚目と五枚目を入れ替えたりします。

 そうしたやりとりのあとで、久村さんが開けます。その開けた五枚とお客が並べた五枚が一緒なのです。順番も同じ。すると五枚並べたお客が、「ああ、並べ替えなきゃよかった」と、決まって同じセリフを口にします。

 ・・・

 何回やっても同じです。久村さんは開けたときの絵を見ているだけで、そのとおりに並べてみせます。「じゃ、じたばたしても仕方がないわけですか」と私に聞いた人がいますが、じたばたしたからそうなったのか、じたばたしなくてもそうなったのかは神のみぞ知るなのです。

 

 私が行った10年前は1日2回ショーがありましたが、今は1日1回らしいです。

 予約は2か月前の1日に開始のようです。

 電話:0956-82-2375

あんでるせん 長崎」で検索すると、詳しく行き方など紹介してくれてるサイトもありました。

平気で生きる

淡々と生きる

「悟りとは平気で生きること」というのを読んで、初めて聞いてびっくりするような、でもわかってたことのような(できてませんけども)、・・・

 とても大事なことだと思いました。

 

P183

 いつでも死んでいい、いつでも死ねる、生きることに執着はないーとは、ある程度勉強した人にとってはそういう気持ちになれるものです。私もその程度のことは言っていました。正岡子規の言葉・・・

「悟りとは、平気で死ぬことではなく、平気で生きることである」

 つべこべ言わないで平然と生きること。淡々と生きること。それが悟りである。このひと言にはすごみがあります。それがドーンと響きました。

 正岡子規は単に身体が悪かったとか、数値が悪かったとかいうレベルではありません。脊椎カリエスという、肺結核結核菌が背中から脊髄に入り込んで骨に穴を開け、骨から膿がしみ出てくるーすさまじい激痛をともなう病状だったのです。腰から下がまったく動かせなくなって立ち上がることもできず、ずっと這うような生活をしていました。・・・

 その言葉を目にして、「そうか、現役で死ぬというのは、まだまだだな」と私は思い直しました。生きることに執着はないし、死ぬことは平気ですが、平気で生きるというのは、そんなにわかっている話ではなかったのです。本当にわかった人は、何があっても平然と生きる。だからつべこべ、うだうだ言わない。何があっても平然と生きていく。それが本当の悟りだと子規は言うのです。

ついてる

淡々と生きる

榎木孝明さんが、子どもが家を出る時に「ついてる、ついてる」と言うようにしてるという話を、以前読んだことを思い出しました。

 

P107

 守護霊がついていることを、古来、日本では「ついている」と言ってきました。運がいい、自分以外の力に見守られている、どうやら何ものかがついていると思った瞬間を「ついている」と言ったのです。

 自分にとって好ましくない雑霊がついていることは、日本語では「憑かれた」といい、「疲れた」に転じました。自分の思いや自分の考えている方向と違う何ものかがついたときに「つかれた」という言い方をしたのです。それを肯定的に捉えて、「ツイてる、ツイてる」と口にすると、この存在が味方になってくれます。

 ・・・

 ですからドンと身体が重たくなっても、「つかれた」と言わないことです。「つかれた」ではなく、「ツイてる、ツイてる、ああ、私はツイてる」と繰り返すと、霊は「あ、この人はツイてるという言葉が好きなんだ、では〝ツイてる〝と言える現象をたくさん起こしてやろう」と受け取り、そのための現象を次から次へと起こしてくれます。雑霊は守護霊と同じ力を持っています。同じレベルの同じ仲間です。・・・

手塚治虫さん

淡々と生きる

手塚治虫さんのお母さん、なんてすばらしい、と思いました。

 

P81

 あるとき授業中に、治ちゃん(本名は「治」)がノートに漫画を描いていた。すると先生が見咎めた。・・・そしてお母さんが呼び出しを受けた。「治くんは、授業中に漫画を描いていたのです。何度も注意したのですが、本当にどうしようもない子なので、ちゃんと注意してください」と言われて帰ってきた。そして、「治ちゃん、今日学校から呼び出されて、先生に言われたんだけど、授業中に漫画を描いていたんですって?」「うん、描いていたよ」「どんな漫画を描いていたのか、ちょっと見せてちょうだい」と、このあたりが世間一般の親子関係とは違うところです。「いいよ」と持ってきた漫画を母親は何も言わずに、一ページ目から読み始めます。そして、終わりまで読んで、パタッと閉じた。そこで、「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。これからお母さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてください」と言った。天才手塚治虫が誕生した瞬間です。

 ・・・先生は面子とプライドを傷つけられたかもしれないにしろ、手塚治虫の母親は、注意すべき必要を感じなかった。そして、描いた漫画を誉めてやることで、子どもの才能を引き出したのです。

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 手塚治虫が二十六歳のとき、母親に相談をした。「いま僕は、月刊の連載を六本抱えている。さらに、一日おきに当直がある。医学のほうも忙しい。ここまで忙しいと、医学を取るか、漫画家の道を取るか、どちらか選ぶしかなくなってきた。時間的に忙しくて、両方はできない。お母さんは、僕がどっちをやったほうがいいと思う?」・・・母親はこう言った。「あなたはどちらを選びたいの?」と。・・・手塚治虫は、「僕は漫画家のほうをやりたい。医者は世の中にたくさんいるけど、漫画家はそんなにいない。だから、これから漫画を描いて生活をしていきたい」と答えた。すると母親が、「あなたが漫画家を選ぶのだったら、私はずーっと応援します。あなたがどちらを選ぼうとも、私はずーっとあなたの味方です」と言った。

 ・・・

 ・・・子育ての本質は、その子の芽を摘まないことです。・・・

正観さんの本

淡々と生きる

小林正観さんの本、久しぶりに読みました。

また印象に残ったところを書き留めておきます。

ここはスプーン曲げについて。方位とかも関係あったとは、びっくりでした。

そして「リラックス」というKeywordは、ガイドラインhttps://www.aqu-aca.com/seminar/guidelines/に参加したときに度々出てきたなと思い出しました。

 

P22

 四十年ほど前に大学に入って超常現象の研究を始めたとき、スプーン曲げが流行っていました。そこでわれわれもスプーン曲げを毎日のようにやりました。私自身もこれまでに千本ぐらい曲げてきましたが、それぐらいやると、ちょっとした傾向のようなものがわかります。たとえば、身体を東西に向けるよりも、南北に向けている方が曲がりやすい。南より北に向けている方が曲がりやすいとわかってきました。興味が湧いて、礼文島とか稚内とか北の方でスプーンを曲げたらどうかと実行してみると、北の方が曲がりやすいことがわかった。南の方が曲がりにくい。さらに景色の良し悪しも関係していた。美しい風景の中で曲げようとすると、とてもよく曲がる。・・・不快な風景の中だと、北でも、曲がりにくい。南でも、心地よい風景なら、とても曲がりやすいことがわかった。つまり実験を重ねると、曲がり方にはある傾向があることがわかった。

 そうなると、傾向だけではなく、「絶対にこうである」という条件がわかりたくなるものです。するとわかったことがひとつありました。

 何がわかったか。

 イライラしていると、曲がらない。穏やかで、にこやかで、リラックスして、楽しくて、幸せだ、という気持ちのときに曲げようとすると、たいへんよく曲がる、という事実です。これは大きな発見です。超能力とはリラックスなのです。超能力とは喜びなのです。超能力とは幸せ感である、とわかりました。

 ・・・

 超能力とは、リラックスして、楽しんで、幸せで、という状態で生まれます。その中でも、ものすごく大きな力を持っているのが、「ありがとう」という感謝の心です。リラックスして、楽しんで、喜んで、感謝するという状態でものごとに対すれば、どうやら人間の脳と宇宙とがつながるらしいのです。・・・

 ・・・自分の超能力を使うために絶対必要なことは、気合いと根性を入れないこと。別の言葉でいうと、「淡々と生きる」ことです。「なんとかするぞ」と思った瞬間から、なんともならなくなってしまいます。