久しぶりにヘミシンク

星野源さんの本で思い出しました。

そういえば1か月ちょっと前に、久しぶりにスターラインズのお土産CDを聴いて、F34/35に行った時、こんな体験があったので書き留めておきます。

 

なぜか星野源のコンサート風景。

ちょっと前の朝ドラの曲を歌ってた。

(後で調べたら「アイデア」というタイトルでした。歌詞に「すべて越えて響け」「すべて越えて届け」ってあるので、宇宙の方からもつながろうとして手を伸ばしてくれてるように思えました)。

で、なんでまた星野源?と思っていたら、

星野源って、星の源って書くんだ!と気づいてびっくり。

 

これだけといえばこれだけなのですが(;^ω^)

 

そして最後に「とにかく感謝して、自然体で、笑顔で過ごす、大事なのはそれだけだよ」とガイドさんからメッセージがありました。

 


星野源 - アイデア【Music Video】/ Gen Hoshino - IDEA

 

自然体

星野源雑談集1

星野源さんの雑談集も読んでみました。対談でなく雑談なところが、とてもいい味わいになってて、おもしろかったです。

こちらは鶴瓶さんとの話。

 

P16

星野 お会いした時、鶴瓶さんってテレビと一緒というか、テレビの中の鶴瓶さんって普段のまんまなんだと知って、凄くかっこいいと思ったんですよ。・・・

 ・・・

鶴瓶 ・・・俺、普通やんか。ハイテンションで喋る時もあるよ。でもたいがいこんなんやねん。そういう時におもろいこと言おうとかっていう意識よりも、例えばね、これが一番わかりやすいわ。この前、爆弾低気圧あったでしょう。俺ね、『家族に乾杯』で丸亀行ってたんよ。うどんの美味いとこ。そこ行ってたんやけど、そこから瀬戸大橋は渡れない、明石海峡でも帰れないと。で、徳島に泊まろうってことになって、ホテル急きょ取ったの。そしたら前に温泉があるゆうんで、そこ行ったんよ。人そんなに来てなかったんやけど、おっちゃんがちゅるちゅると来たんよね。で、俺の顔見て、名前はわからんけどああああ言うてはんねん。でも俺はその人がわかったんよ。その人ね、阿波踊りの有名なポスターに出る人やったんよ。(四宮)生重郎さん言うて。俺がわかって向こうがわからん言う。

星野 凄い(笑)。

鶴瓶 で、わあって喋りかけてきはるわけよ。俺がポスター出てはりますなって言うたらおっちゃん喜んで、先に俺が風呂入ったら、後からおっちゃんも入ってきて横に座らはったんよ。まだ名前わからんと俺に喋りかけてきてな。ほんなら唐突に「チータをよう知っててね」って、チータって水前寺清子さんのことね。急にチータ言われてもね、何やろ思うてたら、チータとよう寿司食いに行くねんって。そこ美味いから行こ、一緒に行こ言うんやけど、80なんぼの人に奢ってもらうの嫌やんか。でも土地の人が美味い言うんやからよっぽど美味いんやろと思うて、なんちゅう寿司屋ですか聞いたら、「つるべ……あ!」って言わはったんよ(笑)。「つるべ」ゆう寿司屋やったんよ。

星野 ははははは!凄い!

 ・・・

鶴瓶 ほんで、これ。見てみ(と言って「つるべ」の箸袋を見せる)。

星野 本当だ!(笑)。

鶴瓶 俺は昔からそうなんやけど、3時間の『ミッドナイト東海』の時から絶対嘘しないのよ。だから喋りは流暢やなくても、つっかえたりしてもええけど、ほんまのことを求めながら喋るわけ。他のお笑いの人は悪くないよ。話を盛ることが一つの笑いを作るわけやけど、俺は盛らないから普通なんや。

 ・・・

 俺ね、この間ラジオで言うたから、電話しよ思って「つるべ」に電話したんよ。そうしたら「はい、つるべです」って。

星野 ははは。

鶴瓶 そやんな、向こうもつるべなんやから。めっちゃおもろいの。「はい、つるべです」「僕も鶴瓶ですけど」って。・・・やっぱりね、より本当が面白いねん。

自分に寄らない

そして生活はつづく (文春文庫)

あまり自分に目がいくと…自分のことを思いすぎない方が、精神的によさそうです(^^;

 

P127

 ・・・内気で自己中心的な非常にめんどくさいタイプの私・・・そんなめんどくさいタイプの自分とはなるべくおさらばしたい。しかし、そういったことを考えている自分もまた、自分のことしか考えていない自己中心的な「気にしい」であることに変わりはない。って、この短い段落に自分という言葉が三回も出てきた。めんどくさいなあ、自分。

 私の大好きな落語家、二代目桂枝雀はあるテレビ番組でこのような発言をしていた。

「気が寄る」というか。

 自分のことを、思いすぎるんですね。

 でも、実は自分を思うことが自分を滅ぼすことなんですな。

 人を思うことが、本当は自分を思うことなんです。

 レコーディングスタジオのロビーでその番組を偶然観てしまった私は「ああもう、その通りだよう」と一人で呟いてしまった。

 確かに、自分のことばかりを考えている人より、人をあっさりと思いやれるような人のほうが魅力的に見える。自分の立場とかプライドとか、そういったものを常に考え、なるべく自分が損しないようにいつもビリビリしているような人より、たとえ自分が多少損をしたとしても「いいじゃない」とあっさり前に進める人のほうが、ストレスも少なそうで、かつ生きることを楽しんでいるようにも見えるだろう。ちなみに私は思いっきり前者である。

 話は変わるが、以前受けた取材の中で「音楽と演劇って共通する部分はあるんですか」との質問に、「自分がなくなることです」と答えたことがある。

 ・・・

 ・・・ごくたまに、演奏が盛り上がり、観客との一体感が生まれ、それが最高潮に達すると、まるで「自分がなくなった」ような感覚に陥るときがある。

 ・・・普段自分を思う気持ちでがんじがらめになっているものから解放されて、楽しくて仕方がない。

 ・・・時たま考えなくてもセリフがスラスラと出てきて勝手に体が動いたり、・・・「その役になりきらなきゃ」という気持ちもなくなり、自分がまったく誰でもなくなるという不思議な瞬間がある。・・・

 それが客観的に見たらどういう状態なのかはわからないが、個人的には仕事や日常のいろいろから解き放たれたようで、とても気持ちいい。そういった状態を私はいつも、「自分がなくなる」と呼んでいる。

 ちなみに枝雀さんはこうも言っていた。

 なんといいますか、同じようなことを楽しいと思い合うっていうんですかね。

 そんな風なことが落語をやっていく上で大事なんではないかと思うんです。

 気持ちが「いけいけ」になるんですね。

 あなたも私もないようにね。

 それが「笑い合う」っていうことなんでないかなあと。

「あなたも私もないように」というのは、おそらく私が舞台やライブ会場で感じた、自分がなくなったという感覚と同じものなんじゃないか。自分だとか他人だとかいうことがどうでもよくなる瞬間、それは仕事や日常をよりよく過ごすためのヒントではないかと思う。

そして生活はつづく

そして生活はつづく (文春文庫)

星野源さんの初期のエッセイを読みました。おもしろかったです。

 

P25

 つまらない毎日の生活をおもしろがること。これがこのエッセイのテーマだ。なぜこのテーマを選んだかには一応理由がある。

 人は生まれてから死ぬまでずっと生活の中にいる。赤ちゃんとして生まれてから、やがて年老いて死ぬまで生活から逃れることはできない。誰だってそうだ。

 一見華やかな世界にいるように見える芸能人や、一見ものすごく暗い世界にいるように思える犯罪者だって、当たり前に生活をしている。その人のパブリックイメージと実際の生活は、必ずしも一致するとは限らない。

 たとえばアカデミー賞の授賞式。ファンの声援に応えながらレッドカーペットを歩いているスター俳優の家の炊飯ジャーでは、一昨日炊いて食べ残したご飯が黄色くなり始めているかもしれない。

 ・・・

 どんなに浮世離れした人でも、ご飯を食べるし洗濯もする。トイレ掃除だってする。・・・一国の首相だって、たまたま入ったトイレのウォシュレットの勢いが強すぎてびっくりしたりする。どんなに凶悪な殺人犯だってご飯を美味しいと思う。・・・

 たとえ戦争が起きたとしても、たとえ宝くじで二億円当たったとしても、・・・現実を目の当たりにしながら、人は淡々と生活を続けなければならない。

 全ての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々とつづく「生活」だけなのである。

 でも私は、生活というものがすごく苦手だ。

 昔から、この劣等感の塊のような自分から逃げたいと思っていた。だからそんな自分を忘れさせてくれる映画や芝居、音楽やマンガなどに夢中になった。しかし夢中になればなるほど、その逃避の時間が終わって普通の生活に戻る瞬間、とてつもない虚無感に襲われた。でも当たり前だ。逃げているだけでは自分は変わらない。

 そこで私は、その逃避できる世界を作る側に回りたいと思った。・・・

 しかし大勢の人の前で芝居をして拍手をもらい、一万人の前で演奏して拍手をもらっても、一度家に帰ってひとりになると、そこにはあの小学生のときに感じた、とてつもない虚無感が変わらずに広がっていたのである。

 ・・・

 私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてきぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。楽しそうに仕事をする裏側で、もう一人の自分はずっとあの小学生の頃のつまらない人間のままだったのである。・・・

 そんなわけで生活をおもしろがりたい。

 しかし、・・・むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しいうえにちゃんと生活をすることができるはずだ。・・・

うまい言い方

 

 

壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方

 言い方で違うものだなーと思ったお話です。

 

P165

 桑田真澄清原和博のいわゆる「KKコンビ」・・・に黒星を付けた唯一のチームは、名将・木内監督が率いていた当時の取手二高(茨城)。試合は取手が1点リードで迎えた9回裏。PLが起死回生のホームランで同点に追い付きます。延長に入れば、サヨナラ勝ちができる裏の攻撃のほうが有利。優勝目前で追いつかれて気落ちしてベンチに戻る取手の選手たち…。

 問題

 心が折れかかった選手たちを復活させた、監督の言葉は何だったでしょう?

 答え

「よかったなあ、まだ甲子園で野球ができるぞ!」

 甲子園の決勝戦。ということは、他のすべての球児の「夏」はもう終わっている。この大舞台で、まだ野球を続けられることがどんなに幸せなことなのか…。

 この魔法の一言で、心機一転。プレッシャーを「喜び」に変えることができた選手たちは、10回表の攻撃でなんと4点を奪い、取手二高は茨城勢で初めての甲子園優勝を果たすことができたのです。

 

P167

 中田英寿がワールドカップに出場する時、親友の木村拓哉が電話で彼に贈った言葉。「大きなプレッシャーがあるかもしれないけど、そのプレッシャーを味わえる日本人は11人しかいない。究極のプレッシャーを楽しんできて欲しい」

ゆるゆると

壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方

いろんな方の逸話が載っている本、そういう姿勢もありだな~と視野が広がっておもしろかったです。

こちらはゆるいお話二つ。

 

P75

 おヒョイさんこと藤村俊二のエピソードです。57歳の時、生まれて初めて受けた人間ドックで初期の胃ガンが見つかります。でも、「胃ガンで入院なんて、自分のキャラに合わない」と、周りには「ちょっと海外ロケへ行ってくる」とうそぶいて、誰にも知られずに入院して治してしまったそうです。

 さて、手術も無事に終わったある日、愛煙家であるおヒョイさんは主治医から「今後、喫煙はやめるように」と厳命されてしまいます。

 

問題 主治医から大好きなタバコをやめるように言われた後に、おヒョイさんが取った、いかにも彼らしい、ゆるゆるの行動とは何だったでしょう?

答え タバコをやめて葉巻を吸い始めた

・・・ 

 さすがおヒョイさん!禁煙の苦しみからもヒョイと逃げちゃった…。自分の欲求を満たし、医者にもウソをつく必要がない選択をするところがニクイ!このユーモアのセンスに、医者も笑って(あきれて?)許してくれたとか。彼は、「『規則を真面目に守りすぎない』が長生きのコツですね」とも、著書で語っています。

 ・・・

 マスターズ陸上競技会で、100歳の時にやり投げと円盤投げで世界記録を作ったあるご長寿アスリートが、「練習を続ける秘訣」を聞かれた時の言葉。「続ける秘訣は、ちょっとごまかすこと。腕立てふせとか、しんどくなったら数をごまかす。ちゃんとやって嫌になるより、ごまかしても続けた方がいい」

 ・・・

 一流の人のすごい考え方

 辛い時は、嫌になる前に適当にごまかそう。

引き出す

病気に強くなる生き方のヒント (青春新書インテリジェンスシリーズ)

教育の語源が「引き出す」だったとは、初めて知りました。

 

P142

吉川 ・・・教育というのはご存じのように「education」ですよね。語源は「引き出す」ということなんです。日本はインプット、インプットで、詰め込んじゃう。本当の教育というのは、みんなが持っているその可能性とかを引き出す役目。教師も医者も、「先生」と呼ばれるひとの役目は同じなんですが、そういう哲学を持っている人が少ないですね。

 

石原 2005年のことですが、バレンタイン監督率いるロッテが優勝しましたよね。あの人はまさに、引き出したんです、選手の才能を。絶対に選手に無理強いはしないそうです。そのかわり、自信を持たせることに心を砕いて、その結果、選手の能力を引き出すことができた。

 ・・・

吉川 個々の力を引き出すためには指示を推しつけるのではなく、環境をつくることが必要なんです。環境づくりに欠かせないのが「入れて、出す」。インプット、アウトプットの哲学。

 ・・・

 ・・・こっちが「やれ」というんじゃなくて、・・・自発的に自然な治癒力が出るように導く。

 そういう時代になりつつあるけれども、まだまだインプット中心です。・・・みんな変わらなくてはいけない。その根本となるのが、「入れて、出す」思考だと思います。

石原 そして、「出す」ほうが重要である、ということですね。確かに、体も出せば出すほど元気になります。