肩代わり

淡々と生きる

肩代わりするって、すごい仕組みだなと驚きました。

 

P201

 私たち夫婦はこれまでまったく病気をしない夫婦でした。ところが私が発病した途端に、妻がガンになりました。乳ガンでした。ガン細胞を取り去って、転移がないかどうか見守っている状況ですが、私の発病と同時に妻がガンになったことに驚きました。夫婦が愛し合っていると、お互いにそういうふうに連動するんだねと二人で笑ったのですが、最近は、意味が違うのだとわかりました。

 私がこの病気を得た。普通だったら、たぶん死んでいた。ギリギリのところで、肺のレベルでも生き残ることができ、心臓の数値も普通なら死んでいるレベルなのに生き残ることができ、酸素の飽和状態も普通の人だったらあり得ないような数値で生きていた。通常なら死んでもおかしくない数値を三つも満たしているにもかかわらず、私が生きているのはどうしてだろう。・・・私の中でわかったのは、「ああ、妻が肩代わりをしてくれたんだ」ということでした。

 だから妻に対しての感謝というのは、これまでとまったく違う感謝になりました。食事を作ってくれる、洗濯をしてくれる、子どもの世話をしてくれるという感謝は以前からあったのですが、「ああ、生死の問題も肩代わりしてくれたんだ」という感謝が新しく生じたのです。

 ・・・

 病気や事故を、自分にとってどうなのかという次元を超えて、他人のために肩代わりできるのかどうかという目で見ることができるようになった境地。そこに至ることはすなわち、病気や事故を本当の意味で受け入れ、平然と生きることを受け入れていることになるのかもしれません。

 そこには、自分への執着を離れ、喜ばれる存在として、ただ淡々と生きる人間の生き方が浮かび上がってきます。