「さみしさ」の研究

「さみしさ」の研究(小学館新書)

 たけしさんのお話、なんかちょっと真面目な口調のところだけ切り取ったみたいになってしまいましたが、印象に残ったところです。

 

P3

 とうとうオイラも71歳になっちまった。

「気にすんな、どうせジイサン先はない」

「赤信号、バアサン盾に渡りましょう」

 ツービート時代、そんな漫才でよくジジイやババアをネタにしてたもんだ。あの頃からもう40年以上経つ。そのオイラが、今やすっかり老人の仲間入りだよ。

 普通のヤツならこの辺で「一丁上がり」ってことで、人生のしまい方を考え始める頃だろう。だけどオイラはまだそんな風には一度も考えたことがない。

 自分で「第38期黄金時代」なんて言ってるぐらいで、この歳になってもなかなか忙しい毎日だよ。・・・

 ・・・

 本業の「お笑い」の話だって、忘れちゃいない。こないだから、ラップなんてものにも手を出しちまってさ。

「早くやめちゃえ自民党、裏で糸引く公明党、何に変わった民主党、立憲・護憲・東郷健、おいまだいたのか共産党

 なんてね。悪ノリだけど、やり始めると面白いんだよね。韻を踏んでるのが楽しくて、次々ネタが湧いてくる。・・・

 こうやって景気のいい話を並べてると、ビートたけしはいつまでもエネルギッシュで、悩みなんてないって風に見えるだろう。もちろんそうありたいとは努力してるけど、オイラだって衰えるよ。・・・

 ・・・

 ・・・歳を取るってのは残酷だよな。昔の自分と比べて、ドンドン不自由さが増していくのがよくわかる。だから、多くの男たちは老いることに一抹の「さみしさ」を感じてしまう。

 ・・・

 人生は、年齢を重ねるほど生きづらく、理不尽になっていく。夢のように輝かしい老後なんてない。若い頃に比べりゃ、つまらないことばかりが増えていく―それが真理なんだよな。

 だけど、「どう開き直るか」で老後ってのは変わってくる。積極的に老いを認めて、都合の悪いことはなんでも歳のせいにする。何か失敗しても、「ジジイなんだから仕方ない」と開き直る。怒られたら、ボケたフリをしてしまう。それでいいじゃねェか。

 ・・・

 最近、「老い」とか「老後の孤独」をテーマにした本が次々とベストセラーになっているらしい。その多くは「老後を素晴らしく、充実したものにするにはどうすればいいか」を語ったものだ。この本の担当者も、オイラにそんなことを語ってほしくて、この本の出版を持ちかけたんだろう。

 だけどオイラの考えは違う。老後なんてのは「くだらなくて、みすぼらしい」のが当然だ。それを「素晴らしいもの」「いいもの」にしようなんて思うから、かえって辛くなってしまうんだよ。

 ・・・

 オイラも、自分が想像していた以上に長くチンタラ生きてきてしまった。47歳の時、バイク事故でまさに「九死に一生」を得た。その時から、明らかにオイラの人生観や死生観というのはそれまでとは変わってしまったところがある。

 今でもたまに「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。パッと目が覚めたら、事故の直後の病院のベッドの上に戻ってしまうんじゃないかって冷や汗をかいちまうんだ。

 そう考えると、オイラのその後の人生は、明石家さんまの口癖じゃないけど「生きてるだけで丸儲け」だ。「あきらめ」とか「覚悟」なんて言うと、それこそ坊さんの説教みたいで好きじゃないけど、そういう「老後があるだけ儲けもん」って感覚が、何かを変えていく気がするんだよな。

 

P49

 こないだ亡くなった樹木希林さんからも死に対する「あきらめ」みたいなものを感じたし、脚本家の橋田壽賀子さんも「自分で死を選べる社会を」と言っている。こういう意見は、オイラの持っている感覚に近いのかもしれない。ある程度、この世で「やりきった」という感覚があったら、最後に望むのは死に場所とか死ぬタイミングを自分ではからせてくれということになるんじゃないか。

 死ぬことの意味というのを哲学的に考えてもよくわからない。でもそれ以上に「生きることの意味」のほうが難しい。「なんで生きているのか」って意味は、歳を取るほど難しくなってくる。オイラの映画も、「どこで死ぬか」だけを考えているところがある。「ソナチネ」のときなんか、特にそればっかりでさ。

 ガキの頃は足立区の下町でものすごく貧乏だったから、うまいもん食って、野球観て長嶋茂雄さんを応援して、なんて程度で生きることが実感できてた気がする。だけど、ある程度カネもらって、芸人の道や映画である程度認められてとなってくると、この先は「上手くやってもこの程度だな」って見えてくる。言い換えれば、自分の限界を知ったってことなのかもしれない。これから先、これまでの自分にできなかったことが突然できるようになるわけではないし、逆に自分にできることは大体見当がつく。だから今後の人生に過度な期待をするわけでもなくなってくる。

 それなのに「生」にしがみつくっていうのは、なんだか絶対的な存在である「死」の反対側に怖いから逃げていくだけっていう気がしちゃうんだよ。

 若い頃は、「自分はまだまだこんなもんじゃない」って期待するから執着がある。それが「若さ」だけど、年寄りになってもそのままだと、ちょっと恥ずかしいことになっちまう。

 自分の限界がわかって、「できること」と「できないこと」が判断できるようになると、自然と肝が据わる。「人はいずれ死ぬ」という当たり前のことを受け入れられるようになって、少々のことでは動じなくなる。もし「理想の老い」ってのがあるとしたら、そういうことなんじゃないだろうか。

 

P86

 こっちも縁の深い人だった。漫画家のさくらももこさんも、乳がんのために53歳で亡くなっている。知らなかったけど、10年近く闘病していたそうだ。大杉漣さんもそうだけど、自分より若い人が亡くなるのは、どうにもさみしくなる。

 彼女は昔からオイラのテレビやらラジオのファンだったんだよ。で、追っかけみたいなこともしていたらしい。『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のスタジオにも、よく遊びに来てくれたと思う。確かその当時はもう売れっ子の漫画家だったはずなのに、あんまり小っちゃいもんだから、「おい、子供が紛れ込んでるぞ」なんてイジったりして、そっから仲良くなってさ。

 そんなつながりで、オイラがアニメの『ちびまる子ちゃん』に登場することもあったし、プライベートでもちょくちょく交流があったよ。オイラの家にはさくらももこが描いた大きな絵が飾ってあるし、向こうの家にも遊びに行ったこともある。漫画の「ヒロシ」で有名な彼女のオヤジさんにも会ったよ。

 ・・・

 さくらさんと話した中で、よく覚えているのが確かお祖父さんの亡くなった時のことだよ。お祖父さんは亡くなる時に口をポカーンと開けたまま死んじゃって、それを隠すためにほっかむりみたいなのを頭に巻いて納棺したんだって。本当は白いさらしの布がよかったんだけど、見つからないからしたなく〝祭〟と赤い字で書かれた手ぬぐいで代用したんだよな。

 それをさくらさんは「ドジョウすくいの人みたいだった」なんて言ってさ。「今にもクネクネ踊り出すかと思って、あたしゃ笑いを堪えるのが大変だったんだから」ってね。

 芸人ならまだしも、女の人が自分の身内をそういう風に引いた目線で見たり、話したりすることはなかなかできないよね。結局、そういうシニカルさというか、ブラックユーモアみたいなセンスがオイラと似ているのかもしれない。

 それでいて、茶化す相手への愛情みたいなものがあるんだよ。だから歳は離れていたけど、ウマがあったんだろうね。

 

P127

 もし、今の世の中で「道徳」なんてものを堂々と子供たちに説ける存在がいるとしたら、それはエンゼルス大谷翔平くらいなんじゃないか。もちろん努力して素晴らしい結果を出しているっていうのが大きいけど、それに加えてすごいのは「品」があるってことだよね。審判や相手の選手にペコリと一礼したり、ファンを気遣ってやったり、ベンチで他の選手みたいにペッとひまわりのタネの殻を吐かずに、コップに出したりさ。

 あれだけ活躍したら、普通は調子に乗りそうなもんだけど、大谷にはそういうところがまったくない。親や指導者から言われてきたことを淡々とこなしている感じがするんだよな。

 そういうところが、まるで文化が違うはずのアメリカでも「コイツ、可愛いな」って受け入れられてるわけでさ。キレイゴトばっかりの道徳心より、こういう佇まいを身につけさせるほうがよっぽど大事なんじゃないかって思うけどね。

 まァ、もしこれから学校で教えるべき〝道徳〟がひとつだけあるとすれば、「世の中や教師を信用しない」ってことなんじゃないか。こないだノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑さんも言ってたけど、「教科書を信じるな」ってのもまさにこれと通じることでね。

 ・・・

 大人が子供のために考えた道徳なんて、「都合のいい子供」を育てるための道具みたいなもんで、子供を育てるために必要なのは、道徳の授業なんかじゃなくて周りの環境だ。

 上から押しつけたルールを守らせるんじゃなくて「自分で考えて動くことができる子供」を育てるほうがよっぽど大事なんだよ。