自分らしく

心に折り合いをつけて うまいことやる習慣

 物腰というか、佇まいというか、こんな風な方と話したら気持ちが落ち着くなと思いました。

 

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 2017年、88歳の夏ごろから、なんや本をつくるということで、これまでのことをいろいろと思い出してみました。

 そうこうしているうちに、・・・来年は90歳になるんやと思うと、我ながらえらい年まで生きてしまったなあと半ばあきれてます(笑)。

 長いこと精神科医をしてきて思うことは、「人は悲しみや苦しみを分かち合う人をいつも探している」ということです。

 人は根本的には、自分一人で生きていかねばなりません。

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 そのことを、腹に据えていくことがうまいこと生きていくにはまず大事なことやと思っています。何が起きても、これは自分の人生なんやと主体的に考えることです。

 でもね、「それだけでは寂しい」というのも実際のところなんやね。

 人に甘えたくなるし、本音も言いたくなる。でも、本音だけでは生きていけへんから何かと方便も必要。

 どんな人もみんな、心の奥底に寂しさや不安、孤独、苦しみをいつも感じながら生きています。

 そうした悲しさや苦しみを、そのときどきで少しだけでも分かち合える人がいれば、ちょっとだけラクになったり、元気になることができるんやと思います。そうやって折り合いをつけていくんやろうなということです。

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 人に期待しすぎてしまったり、また、自分に厳しくしすぎて疲れたり。自分と人と、うま~く付き合っていくのが大変なこともあるでしょう。

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 折り合いをつけるというのは大変な問題で、完ぺきに割り切ることはたぶん誰もでけへんと思うのやけど、私の座右の銘の一つは、「一隅を照らす存在になれればよし」というものです。

 成功や活躍せずとも、自分の置かれた環境で一隅を照らしていければええ。そんな考え方です。

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 大事なのは、「自分は何ものなんや」と、きちっと向き合ってみるということやということかもしれません。

 明確に、「これをしたい」と早い段階で決まる人生もある。なかなか芽が出ない大器晩成型の人生もある。また、人から見れば平々凡々と言われるような人生もある。

 それぞれ人生には特徴があって、それは誰かと比べたところでどうしようもないんです。

 私は医者として活躍しようっていう志もなく、何か大きな目標に突き動かされて生きてきたわけやありません。そして医者や言うたって、ずっと勤務医。70年間、ずっと会社員です。

 何か特別な能力があったわけではないし、ぜいたくをして生きてきたわけでもない。それでも、89歳の今は思い残すことは何もありません。

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 人は勝手なもんやから、「こう生きるべき」やとか「こうするべきではない」とか、決めつけみたいなもんがありますな。お金をたくさん稼いでいる人がえらいとか、夢をかなえてナンボやとか。

 それが「なんか違うなあ」と思うなら、その感覚を信じたらええんではないでしょうか。

 人生の満足感は、誰か他の人が決めるもんではありません。誰かと同じような人生を生きなければならないという気まりもありません。

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 結局人は、「自分らしく」しか生きられないんですわ。人に振り回されっぱなしの人生に疲れたときは、そんなことをぜひ思い出してみてください。