2020年に出された「不自由な脳―高次脳機能障害当事者に必要な支援」の続編です。
とても参考になりました。
P105
鈴木 ・・・記憶の障害については、初期は三桁の数字すら覚えていられないにもかかわらず注意障害と誤認して自己理解が立ち上がらず、業務の中断を妨害的に感じたり、長期スパンの仕事を把握しきれないことで重なる失敗の中で予期不安の塊になってしまったりと、回復のステージによって不自由の出方や感じ方が大きく変わってきた症状です。
山口 今はどうですか?
鈴木 自分自身の仕事の中で困るのは、やっぱり構想の把持ですね。これは構想を想起した際に徹底的に記録を残す習慣づけである程度はカバーしていますが、構想が生まれた瞬間のフレッシュなモチベーションまでは把持できない。あと頻発しているのは「やった仕事」と「やろうと構想した仕事の記憶」が混在して、同じ仕事を二度、三度とやってしまったり、逆にやっていない仕事を「やったはずだ」と探し回ってやってない結論に至るといったことです。これは連絡ごとでも頻発で、返事を考えたことと返事をしたことが混在して、チェックすると四~五日に一度はメールの返信忘れを発見するぐらいの頻度です。毎日確認すればいいんですけどね……。一方で他者の絡む仕事では、もっと深刻です。
山口 と言うと?
鈴木 まず一つは、ホウレンソウができていないことがあります。自分の中の計画、構想があって、それを相手に伝えたつもりでも伝えていないということがあり、相手に伝えたことと自分の中で思っただけのことの間で記憶の混在が起こっていると気づきました。報告、共有したことも文章化して残しておかなければ、忘れてしまうのです。これは、せっかくもっていたアイディアに手を付けていなかったせいでチャンスを逃してしまったり、同じ人に二度同じ相談をしてしまったり、「なんでこの人こんな基本の部分からわかってないんだろう」って腹が立ったけど実はまだ僕が説明してなかったりと、積み重なるとものすごく大きなストレスになっていきます。・・・
・・・
鈴木 ・・・つくづく思うのは、記憶障害って、単に忘れっぽいじゃなくて、驚くほど広域に長期に、特に心理面に対しての影響が出てくるということです。対策としてメモをはじめとして徹底的に記録を残すこと、記録の検索性を高めて、思い出せないことや確認したい情報にスッとアクセスできるようにすること、憶えておきたいことは意図的に感情を動かして意味づけすることなんかをしています。あとは後々困りそうなことには証拠を残す習慣。でも、この記憶の問題は、発症から時間が経つほどに、その人の病前パーソナリティや取り組む課題などによって個別性が高まってくる印象がありますね。いずれにせよ、僕自身が記憶の障害に気づくのに一年半、対策としてのメモ習慣やその実用性を会得するまでに四年ほど、対処の難しい困りごとが出てきたのが五年目以降です。制度を超えた生活期の心理的支援を求めたい症状だなと思います。
P169
山口 また、当事者の心理の話に戻ってしまうのですが、当事者の自己理解の過程では、自罰と他罰の両面を揺れ動く方もいて、そうやって気持ちが行きつ戻りつすることの中に、当事者のつらさが垣間見えるように思います。
鈴木 そうですね。僕も先ほど言ったように、問題が起こったときや相手に腹が立ったときに、自分が悪いのか相手が悪いのか、その感情が症状のせいなのか、そういう判断がつかずに揺れ動いている感じがします。・・・
・・・例えば、仕事上で相手に配慮をお願いしても応じてもらえないことで、同じ仕事をするにも労力が何倍にもなったと感じられるときに感じる憤りですね。要点をまとめてからメールをくれとお願いしても、主語すら抜けているとか。依頼だけきて納期指定がなとか。実際にそうした小さな配慮をいただけないだけで労力が本当に数倍になるわけですが、一方でそうした仕事上の精密さも相手の能力だし、理解や配慮ができるかどうかも一つの能力だから、人によって差があるのは当然です。そんな中、僕は「障害を持っていることを盾にして腹が立っているだけなんじゃないか」という懐疑が立ち上がる。最近はいつも自分に、その苛立ちは症状か、相手の無配慮はそれほど重大なことか、問いかけ続けているような感じです。
P180
山口 年月が経って回復してくる部分もあるけど、以前とはまた違うつらさがあるということですね。
鈴木 はい。発症して以降、書いてきた何冊もの本についても、それぞれ執筆時の心理的ステージが異なり、内容にも如実に反映されています。二冊目の闘病記(鈴木、二〇一八)のときに僕は九十五パーセント回復したと主張しているのですが、今考えると信じられない感覚ですね。あの時期は、情報処理速度や現実の把握度がある程度戻ってきて、限定的な知人との対話が病前通りにできたというだけで、全体的な機能回復はまだまだだった。
山口 今思い返すと、その当時何パーセントぐらいの回復度だと思いますか?
鈴木 五十パーセントぐらいですね。
山口 回復したからこそ、新たに表に出てきている症状もあるのでしょうか。
鈴木 無かった症状が出てきたということですと、代表的なのが対話中に易疲労が訪れた際に起こる吃音や緘黙です。・・・リラックスした状況で認知資源がたっぷりある状況でならばかなり病前に近いスピードで話せるようになった半面、発作的な易疲労が起こったときに、病前経験したことのないような吃音が出てきたんです。脳からはもう言葉は出てこないのに、口だけが動こうとしてしまう結果、言葉の語頭音で何度もどもってしまったり、その言葉の先が出なくなる、緘黙様の症状に陥るんですね。
・・・
・・・現状、易疲労と記憶の問題が、日常生活や仕事の上で大きく問題化しているというのがポイントです。症状そのものによる苦しさのピークは発症後一年ほどまで、対策が取れないことによる苦しさが四年目ぐらいまで、五年目の時点では、かなり心理的には安定していたわけです。けれど間違いなく、四~五年目の時期より今のほうが心理的にはしんどいと思います。
山口 初期の頃に感じられていた、純粋な障害へのつらさより、今のほうが繊細なつらさと言う気がします。鈴木さんは仕事に復帰し、ご家族の理解もある。なのに、八年経った今が一番つらい……。これはとても大事なところだと思います。
鈴木 たぶん、当事者にとって理想的な着地点といえるのが、僕の発症後四~五年の心理状態だと思います。自己理解はかなり進み、不自由を対策でクリアし、自分がどこまでやったら破綻するのかを予測して、そこまでの課題には挑戦せず、「不自由だけど苦しくはない」「この脳の仕様でやれることをやって生きていけばいい」という、穏やかな諦観の境地です。・・・
・・・
・・・けれど僕の場合、記憶や易疲労の面では想定外に障害が長引いた半面で、コミュニケーション面やマルチタスク面では自身で想定していたよりも機能回復があって「この脳の仕様」がまたわからなくなりました。それで、諦めていた取材の仕事に部分的に戻ったり、業務量を増やしたりする中で、やっぱり取材を伴う執筆業務では病前の品質を全く再現できないことや、自身がどこまでやれるのかの見極めを誤って受けた仕事をやり切れなかったりして、どん底のメンタルに落ちました。せっかく一度は着地した穏やかな諦観の境地を自分で壊してしまったわけです。
P235
鈴木 あともう一つ、ちょっと難しい話をしたいです。これは機能回復課題に取り組むシーンからその後の生活期の支援にまで言える希望ですが、その時々の当事者の最高の能力値を基準点に据えて考えてほしいということです。繰り返してきましたが、僕らは外的な環境要因、妨害情報やら、不安や焦りをはじめとする自身の内的思考への過集中みたいにさまざまな妨害によって、大きく認知機能のスペックが落ちるんですよね。なのでまず、そうした妨害要素をできる限り取り除いた状態でどのぐらいやれるのかを見極め、それを基準として、その能力を落とす要因を当事者と一緒に探す、どうすれば本来機能を最大限発揮できるかを当事者と一緒に考えるという視点を持ってほしいんです。
山口 訓練室内の課題ができたからそれでよしではなくて、環境刺激や妨害刺激があった際、つまり日常生活ではどうだろうかというのを念頭に、環境要因や妨害刺激についても一緒に考えたり、助言が欲しいということですね。
鈴木 そうですね。・・・よく「できないこと探しを一緒にやる」って支援方針があって僕もそれは大賛成なんですが、その前に「何も邪魔がなければこれだけできる」という基準点を作った後に、その基準を再現できない部分=できないこと探しをする。そんなプロセスが、当事者にとってはすごく大事な心理的支援になるんじゃないかと思います。お仕事に戻った当事者さんでも、この基準をおもちの方とそうでない方では、課題に挑むスタンスもモチベーションも全く違う気がします。・・・
・・・
・・・やっぱり、できないばっかりじゃ折れるし、できた経験がないと「なんでできないんだろう?」っていう自己理解の種が立ち上がらない。・・・就労支援の場だけでなく、病棟のリハビリの段階からそういう視点を少しでももっていただけたら嬉しいんですよね。
