以前見ていたフリーペーパー「R25」に『キメゾーの「決まり文句じゃキマらねえ」。』という妙な味わいのマンガがあって、未だに記憶に残っていますが、なんとその作者がこの本の著者でした・・・びっくり。
生まれた息子さんの目が見えないことがわかり、どうしたらいいんだろう?と困ったことから、障害当事者の方々に直接会って、色々教えてもらおう、と・・・とても興味深く読みました。
P51
単一の反対は、多様です。
今、僕が進めている仕事は、ゆるスポーツも含めてどれも、息子や障害のある友人たちや自分自身の「できない」や「悩み」から生まれたもの。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。トルストイの言葉です。
たとえば、映画監督に「幸福な家庭を撮ってください」とお願いしたら、ある程度似通った画になると思います。家族で食卓を囲んでいて、大型犬がいて、暖炉があって、みたいな。一方で、「不幸な家族を撮ってください」なら、千差万別です。無数に表現方法はあります。
つまり、「弱さ」の中にこそ多様性がある。
だからこそ、強さだけではなく、その人らしい「弱さ」を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていくと思うんです。
・・・
今、僕は「強さ」も「弱さ」も、自分や大切な人のすべてをフル活用して仕事をしています。弱さは無理に克服しなくていい。あなたの弱さは、だれかの強さを引き出す力だから。
弱さを受け入れ、社会に投じ、だれかの強さと組み合わせる―。これがマイノリティデザインの考え方です。そして、ここからしか生まれない未来があります。
P97
僕は、どんどん未知の世界にのめり込んでいきました。意外だったのが、会う人会う人から「おもしろい」エピソードが出てくるんです。
たとえば・・・
・・・義足をつけている方の話。
「自転車に乗っていたら、車とぶつかりそうになって転んだんです。幸いケガはなかったんだけど、義足がポーンと外れちゃって。そうしたら車の運転手さんが『ぎゃー!足が取れた!』って驚いて。『や、大丈夫っすよ』ってその場で足をキュッとつけるとまた『ぎゃー!』」。
とにかく、これまでまったく聞いたことのなかった話がどんどん飛び出してきます。
そして、そのエピソードは「おもしろい」だけではありませんでした。彼らの暮らしや生き方そのものが、発見に満ちている。困難の乗り越え方、自分との付き合い方、人生の捉え方、幸せや豊かさの定義。それぞれの考え方が、本当に勉強になりました。
どうしてこれまで関わってこなかったんだろう?悔しさすら込み上げてきたほど、目の前には「新大陸」が無限に広がっていました。・・・
すこしずつ、息子の人生がイメージできるようになりました。目が見えなくても、こんなふうに勉強して、こんな働き方ができるんだ、と。
そして、「僕ら家族のために」と思って話を聞きはじめたはずが、いつの間にか僕自身が彼らと一緒に過ごしたいから、障害当事者に会いにいくようになりました。
からっぽになっていた僕は、ゴクゴクと水を飲み干すように、新しい発見や驚きで満たされていきました。それはまさに、「アンラーン(Unlearn)」学びなおしの機会だったのかもしれません。