当事者研究

宇宙飛行士 野口聡一の全仕事術 「究極のテレワーク」と困難を突破するコミュニケーション力

 宇宙飛行士やオリンピアンの第二の人生、そして燃え尽き症候群・・・ただただ、すごいなーと仰ぎ見ていましたが、そういうことも・・・と印象に残りました。

 

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 あれは、2度目のフライト(2009~2010年)が終わった後のことだった。当時、滞在日数や船外活動は日本人最多を記録。やり尽くした感じがわたしのなかにあった。

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 そのころのわたしは、2度にわたる宇宙飛行を終えて、大きなものを成し遂げたという達成感に満たされていた。一方で、これから先にまだ目指すものはあるのか、まだモチベーションは続くのか、と自問自答する日々を送っていたのである。

 実際、国際宇宙ステーションの長期滞在まで経験できたのだから、宇宙飛行士を辞める選択肢もあると意識していた。

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 転職社会のアメリカでは、宇宙飛行士は職業のひとつにすぎない。わたしが宇宙飛行士候補者に選ばれ、NASA宇宙飛行士養成クラスに入ったのはおよそ25年前。その後、同期生44人のほとんどは民間企業に転職し、その多くが成功を収めている。その転身ぶりに、うらやむ気持ちがないではなかった。

 宇宙飛行士の転職には、日米ともに共通する事情がある。ひと言で言えば、宇宙から帰還した宇宙飛行士の第二の人生をサポートする体制が手薄いということだ。宇宙に飛び立つ前の準備期間と飛行中は手厚いサポートに恵まれ、多くの人からも注目を浴びる。しかしミッションを終えて地上に戻ると、そこからはまるで忘れられた状態になってしまう。もちろん、ほかの飛行士のミッションを手助けする地上支援業務はあるが、引退の道を歩む人も少なくなく、そこから先は〝自助努力〟ということになる。

 わたしは、2度目のフライトを終えた2年後の2012年、アメリカ・ヒューストンから日本に戻り、テレビの報道番組でキャスターを務めたり、執筆活動に取り組んだり、第2章で述べたように国際連合の仕事に従事したりした。

 それでも、宇宙飛行に見合うだけの人生の目標が見つからず、模索が続いた。それはまさに、「燃え尽き症候群」ともいえるような長いトンネルの中をさまよう日々だった。

 2度目のフライト後に見舞われた体験を、当時、わたしなりに見つめ返したいと思うようになっていた。宇宙飛行士が経験するような極限状態が人間の内面にどんな変化をもたらすのか、そして地上に帰った後、日常生活に戻っていくにはどんなプロセスをたどるのか、その道のりを探れば、「燃え尽き症候群」を乗り越えてその先の未来を見通せるのではないかと思い描いたからだ。

 こうした動機から、わたしは東京大学先端科学技術研究センターに熊谷晋一郎教授を訪ね、「当事者研究」というテーマの研究メンバーに加わることになった。熊谷准教授は、脳性麻痺を患い、車椅子生活を送るようになった小児科医。障がい者という当事者の視点から果敢な研究テーマに取り組む研究者である。

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 熊谷研究室の「当事者研究」には、興味深いことに、障がい者や依存症と闘う当事者のほかに、わたしのような宇宙飛行士や、五輪・パラリンピックに出場したアスリートも参加した。

当事者研究」のきっかけのひとつは、元バスケットボールオリンピック選手の小磯典子さんのアクション。小磯さんは医療系の学会で、みずからの経験に基づいていまのアスリートの健康問題にかねてより警鐘を鳴らしていた。

 小磯さんによると、中学や高校の部活動で、監督やコーチに怒られ続けた生徒たちの身体は固くなり、試合や練習以外ではゾンビのようになってしまうという。勝敗だけにこだわる能力主義が行きすぎると、勝者への賞賛ばかりが社会にあふれ、試合に敗れた多くの敗者は陰の世界に追いやられてしまう。その結果、引退後に続く長い人生を無為に過ごしてしまう弊害が生まれるというのだった。

 熊谷准教授によると、これがいわゆる依存症の研究結果と二重写しになるところが多いという。依存症になる人のなかには、幼少期に虐待を経験し、トラウマを持っている方が少なからずいる。虐待を受けると、自分が困っても身近な人に頼ってはいけないと思い、①自分自身の解決能力、②身近な物質、③遠くのカリスマ……という3者に依存するしかない状況に置かれるという。①は能力主義、②はドーピングにつながるもの、③は監督やコーチといった権力者を指すのは言うまでもないだろう。

 では、宇宙飛行士はどうして研究対象になるのか。

 熊谷准教授によれば、宇宙飛行士の訓練課程がアスリートのケースとオーバーラップするのだという。・・・また、漆黒の闇の中で船外活動をしたとき、手元以外はまったく見えなくて「この手を離したら宇宙の闇に吸い込まれる」と感じた情景が地上に戻ってからもフラッシュバックするという体験。これは、心に傷を負うアスリートのトラウマに通じるものがあるのではないかと指摘する。

 わたしは一時期「世界宇宙飛行士会議」という世界中の宇宙飛行士の親睦団体の会長を務めていた。そのときに帰還後も日常生活に困難を抱える元宇宙飛行士の話を聞く機会があったので、熊谷准教授の考察は的を射ていると思う。

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 なるほど、宇宙飛行士とアスリートが属する世界はとても似ているとわたしも思う。ともに国の威信を背負い、多額の予算をかけて育成され、プレッシャーのかかる本番を迎えると超人的な能力を発揮してミッションに取り組む。成功すれば、国民のみならず世界中の賞賛を浴びることになる。

 ただし、本番が終われば、〝普通の人〟になってしまう。あまりにも落差の激しい日常に戻らないといけなくなり、将来のビジョンがなかなか思い描けない点もひどく似ていた。

 わたし自身を見つめ直してみると、宇宙ミッションがいかに特別な時間だったかが分かる。長年にわたる過酷な訓練を受けて、いざ地上から飛び立つと、重力のくびきから解き放たれたおかげで、家庭用冷蔵庫くらいの重い機器でも片手ひとつで持ち運びができるし、ちょっと弾みを付けただけで水中を泳ぐようにスイスイと移動できてしまう。まるで身体能力が一気に拡張して並外れた力を備えたように感じられ、そんな生活が半年も続くとついその超人的な生活に慣れてしまう。

 すると、地上に戻ってからが大変だ。筋肉量や骨密度、視力の低下や平衡感覚の喪失といった身体上の障がいが生じてしまう。船外活動という死と隣り合わせの過酷なミッションを経験したために、地上に戻っても当時の心理的体験がフラッシュバックして精神を不安定にさせることもあった。

 あるいは地上でふたたび五感の認知機能が高まったために、宇宙船の生活では得られなかった地上の鮮明な景色や、多くの人々とダイレクトにコミュニケーションをとることによって得られた大量の情報が一気に押し寄せて五感が麻痺し、しばらくクラクラしてしまう経験もした。

 こうした症状は相当のリハビリ期間を設けて回復させないと、いつまでも非日常の感覚のまま暮らすことになり、自分自身をしっかりと取り戻せない事態にもなりかねない。

 ただし、わたしは宇宙と地上を3度行き来しているうちに、完全に地上にいたときの自分に戻るのかというと、そのようなことはないと思うようになった。・・・