笑ってる場合かヒゲ2

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(2)

「笑ってる場合かヒゲ」が面白かったので、続きを読みました。

 

P74

 最近の若い人はとてもまじめだが、すぐに仕事をやめてしまう、なんてことをあちこちで聞きます。「でも若い人って昔からそうでしょう?」「いや、ほんとに長続きしないんですよ」「昔と明らかに違うんです」。みんな口をそろえて言います。

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「最近の若い人」が仕事をすぐにやめてしまうのは、彼らに問題があるんじゃなくて、「最近の仕事」の方に問題があるんじゃないかと思うんですよね。僕らのテレビの仕事にしたって、昔はもっと自由に番組を作っていたし、何より自分たちの作る意志というのが一番尊重された。

 でも今は、こんな番組がクライアントに求められている、みたいな事前のマーケティングが一番尊重されるし、何より作った番組に対してコンプライアンスは守られているか、視聴者から苦情がくるようなコメントはないかと、危機管理ばかりを考えてビクビクしながら番組を作っている。

 その上、昔よりも明らかに賃金は安くなっている。そんな職場から離れていくのは当たり前だと思うんですよね。

 若手の教育方法を考えるよりも、上の世代が自分たちの仕事のやり方を考え直すべきじゃないでしょうか。リスクヘッジばかり考えず、ビクつかず、失敗を恐れず、ちゃんと自分自身で考えて、思い切って課題を突破していく。そんな堂々とした仕事をすべきじゃないでしょうか。そういう職場には勇気があふれ、そして楽しい。若い人も喜んで仕事の輪に入りたいと思うに違いありません。

 

P118

 思い返してみると僕は、その時々の状況に流されるがままに人生を送ってきたように思います。「自分の進むべき道を決める」なんていう強い意思があったわけではなく「人に誘われたらそこに行く」「レギュラーが取れそうな場所に行く」というだけのことです。行き着いた場所でなんとかやっていく。それはまるで選択肢が限られた「サイコロの旅」のようです。そこに身を任せた人生は悩むヒマもなくて、逆に良かったように思います。

 

P184

 六年ぶりに札幌で「水曜どうでしょう祭」を開くことになりました。数万人のどうでしょうファンが全国から集まる大規模なイベント。前回も大いに盛り上がりました。「またやってほしい!」という声が多く上がりました。でも前回の祭りを終えたとき、僕は「もうやらないだろうな」と思っていたのです。

 理由は、規模が大きくなり過ぎたからです。お客さんが増えればスタッフの数も増える。スタッフが増えれば、意思の疎通も出来づらくなる。意思の疎通が出来ないと、それぞれに心配事が増え、不安と不満も募る。その結果、スタッフ側に「めんどくさい」「でも仕事だからしょうがない」という気持ちが芽生えてしまう。それでは祭りを続けていくことはできない。だから僕は「もうやらないな」と思ったのです。実際、ファンの盛り上がりとは裏腹に、誰からも「また来年もやりましょう」という声は上がりませんでした。

 翌年の夏、祭りで売れ残ったグッズをトラックに載せ、東北各県を少人数のスタッフで行商する「キャラバン」というイベントを始めました。会場は山奥の温泉やスキー場、海沿いの公園などその都度変わります。会場に着けば、すぐにスタッフが集まり、ステージや物販テントの配置を決める。そして号令一発、テントの設営が始まります。でも少人数だから時間がかかる。そこでお客さんにも設営を手伝ってもらうことにしました。みんな喜んで手伝ってくれます。ならばいっそのこと販売の売り子もやってもらおう、受付もやってもらおう、手伝ってくれる人をその場で募ると、多くの人が手をあげてくれた。お客さんが自主的に運営側に参加してくれることで、「ただ見ているだけではなく、自分たちでこのイベントを盛り上げるんだ」という機運が生まれました。スタッフが少人数だったからこそ生まれた一体感がありました。

 二十日間ほどで十会場以上を回る「キャラバン」は、スタッフ全員ヘトヘトに疲れ果てます。でも「こんなキツイ仕事はもうやりたくない」という声はあがりません。それどころか「来年は東北以外でもやりましょう」「いつか九州にも行きたいですね」、そんな声がどんどんあがる。スタッフに充実感があったのでしょう。「キャラバン」はその年から毎年継続して開催され、六年の月日が流れました。

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 どんなことでも、一番大事なことは「それを継続していけるかどうか?」だと僕は思っています。継続のために大事なことは、不安や不満を帳消しにするほどの充実感です。充実感とは「これは自分の力でやったんだ」と各人が思えることです。

 不安や不満をなくすために、人を増やし、予算を増やし、リスクを減らすことをみんな考えます。でもそうすることで「自分の力」がどんどん縮小されていく。そこには充実感は生まれません。関わる人それぞれが、それぞれにリスクを負うことこそが、実は継続の原動力になる。僕はそう思っています。