キッチハイク!

キッチハイク! 突撃! 世界の晩ご飯 ~ソフィーはタジン鍋より圧力鍋が好き編~ (集英社文庫)

 おもしろい本でした。今はこんな活動

株式会社キッチハイク - KitchHike, Inc.

 をされてるそうです。

 こちらは巻末の、内田樹さんの解説です。

 

P216

 不思議な本である。一人の青年が世界各地の一般家庭を訪ねて、そこで家庭料理をご馳走になって、その様子をレポートするというだけのものなのだが、これがなんだかやたらに面白かった。どうして、この本が面白いのか、それについて考えて、解説に代えたいと思う。

 最初にお断りしておくけれど、僕は著者のことを知らない。それが解説を書くことになったのは、著者の山本雅也さんが若い時に僕の書いたものを読んで、自分がぼんやりと感じていたことを強く肯定されていると感じて、それに背中を押されるようにして「食でつながる旅に出よう」と思い立ったそうだからである。・・・

 ・・・山本さんは会社を辞めて、身銭を切ってその旅に出かけた。何の意味があるかわからないけれど、それはたぶん旅をしている途中か、あるいは旅が終わったあとになればわかると思ったのである。なかなか素敵な腹の括り方である。若い人はこうでなければいけない。・・・

 山本さんは世界中を旅して、「一般家庭」で「一緒にご飯を食べる」ということが一種の人類学的なフィールドワークになるのではないかと思った。これは山本さんにとっては正しい直感だったと僕は思う。でも、言っておくが一般性はない。・・・これだけの仕事をこなせるフィールドワーカーにはいくつかのかなりハードルの高い条件が求められるからである。

 一つは「愛嬌があること」。それもかなりレベルの高い「愛嬌」があること。

 山本さんが毎回投じられるのは、コミュニケーションが難しい環境である。異国の、はじめて会う人の台所で、いきなりテーブルを囲んで一緒にご飯を食べるのである。相手の表情が読めない、言葉が通じない、生活習慣がわからない、何が美味で何がまずいのかがわからない、話していることのどこがジョークでどこがシリアスなのか区別できない……という切羽詰まった状況に山本さんは毎回投じられる。にもかかわらず、山本さんはいつも必ず美味しいものをご馳走になっている。美味を堪能するばかりか、受け入れ家庭の人たちとすっかり打ち解けて、時にはそのまま一宿の恩に与かったりする。これはたいした芸である。常人にできることではない。

 僕が知る限りで、海外の、それもふつうの観光客がまず足を踏み入れることのない僻地やあるいは身の危険のあるエリアで、地元の人とすぐに仲良くなって、さくさくとやるべき仕事をこなしてしまい、別れ際に「またおいで」と言ってもらえる人には共通点がある。笑顔がいいこと、声がいいこと、握手やハグが上手なことである。この三つの条件をクリアするのが「レベルの高い愛嬌」である。

 ・・・

 フィールドワーカーに求められるもう一つの資質は「自分のものの見方に固執しない」ことである。本書の中には、驚くべき事実を知って、その国に対する先入観を修正する場面が何度か出てくる。・・・

「キッチハイクの旅を続けると、なにが常識で、なにが普通のことなのか、だんだんとわからなくなりそうだなあと思う。現地の人と交流して、暮らしのど真ん中を知れば知るほど、『この国はこうだ!この街はどうだ!』なんて、決めつけられなくなる気がするのだ。」(134頁)

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「人それぞれのリアルな暮らしは、ひとつひとつ絶対に違う。この目と胃袋で確認したことは、本当に、本当だ。」(134頁)

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「この旅を通して、僕はいつだって自分の目で見て確かめてから判断したいと思うようになった。先入観や偏見がすべて間違いとは言わないが、事実と異なることは山ほどある。皮肉なことに、目で見て確かめて知れば知るほど、物事をひと言で語れなくなるのだけれど。」(101頁)

「物事をひと言で語れなくなった」、これは世界を旅した青年が持ち帰った最も貴重な知見だと私は思う。

 ・・・

 山本さんの筆致は、最初のうちは、自分がいまここで見たもの、食べたもののリアリティをつぶさに語ることに軸足が置かれていた。でも、巻が進むにつれてしだいに自分自身から離れてゆく。目の前にいる人たちが彼とともに見ているもの、彼とともに食べているもののリアリティを、彼らの身になって想像的に経験するところへと観察が広がってゆく。「物事をひと言で語れなくなった」というのは、おそらくそのことである。

 自分の眼から見えるものと他者の眼から見えるもの、自分の胃袋が受け入れたものと他者の胃袋が受け入れたもの。それらに等しく目配りすることができる人間にとって世界はその深みと奥行きを増す。

 旅することで胃袋の丈夫な若者はしだいに思慮深い大人になってゆく。そういうビルドゥングスロマンとして僕はこの旅行記を読んだ。若い人たちにぜひ読んで欲しい。