運の本、2冊目も読みました。
P78
『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)の司会を始めたときは、生活ごとガラッと変えました。最初はテレビじゃなく、ラジオのチャリティー番組を担当したんですが、長距離トラックの運転手さんたちが、わざわざ遠回りをしてラジオ局まで寄付金を届けにきてくれたり、感動的なことがたくさんあったの。
それで今度はテレビでもチャリティー番組をやろうという話になったんですが、自分が司会をやるのはいやだったんです。だって、チャリティー番組の司会をやってるって、「いい人」に思われるでしょ。僕、いい人なんかじゃないですからね。まだ結婚はしていなかったから、女の人がいるお店に飲みに行ったり、周りにちやほやされてけっこうやりたい放題、好きなことをやっていたんです。
でも、24時間もテレビを独占してチャリティー番組をやるんだったら、もうそういう生活自体を変えなくちゃいけないと思いました。
だって、高級なお店で飲んでいるところを誰かが見て、「あれ、みんなに募金を呼びかけていた欽ちゃんて、自分はこんな贅沢なお店でお金を使ってるんだ」と思うかもしれない。
だから、募金をしてくれた人をがっかりさせないために、誤解や疑惑を招くようなこと、贅沢なことはもういっさいやめようって決心したんです。
一大決心でした。だってもともと聖人君子なんかじゃないですから。決心を実行に移すのも、いろいろなことを自粛しなくちゃならないから、つらかったのなんの。
でもね、引き受けたからには責任があるし、我慢しようと思っていたら、それが習い性になって、生き方そのものが変わってきちゃいました。
「なんでそんなにいい人になりたがるんですか?」
とか、
「夜遊びをぜんぜんしないなんて、欽ちゃんどっかおかしいんじゃない?」
とか、人はいろいろ言いましたけど、自分で「こういう生活をしよう」と決めたんだから、誰に何を言われても気にしない。
生活だけでなく、仕事の面でもこれまでいくつか節目がありましたが、節目節目で、運の神様が見ていてくれたような気がします。
あなたの人生の節目にも、運の神様はそばにいるんです。人を蹴落としたり、嘘をついたり、ずるいことをしなければ、神様はちゃんと味方してくれます。
P47
ときどき神社に行くことはありますが、そんなときは手を合わせて拝んだあと、お賽銭をあげてこう言うことにしています。
「僕には専属がいますんで、こちらにお願いすることは何もございません。どうぞその分、ほかの方に運を渡してあげてください」
僕が特別な人、という意味じゃないですよ。専属の神様って、本当は誰にでもいるんです。みんなもよその神様にばっかりお願いごとをしていると、専属の神様に「あ、私はいらないんだな」と思われちゃうかもしれない。
でも、お参りするのはいいことなんです。自分の欲を満たすためのお願いじゃなければ、どんな神様も「よし、わかった」って言ってくれるんじゃないかな。
子どもの頃、つらいことがあると、僕はよく自分の神様にたずねてました。
「今の僕、つらすぎるよね。いつまでもこのままじゃ不公平だよ。今にきっと、でっかい運になって返ってくるよね」
コメディアンになろう、お金持ちになって母親を楽にさせよう、そう思って頑張れたのも専属の神様がいてくれたおかげだと思っています。
みんなもつらいことがあったときは、自分の神様に話しかけてみるといいですよ。