水中考古学について、何も知らなかったので新鮮に楽しく読みました。
何よりも、著者がなんと興味深い方なのだろうと・・・
P7
私は2009年からアメリカの大学院で船舶考古学を学び、現在は世界中で水中調査・研究を行っている。
アメリカに留学した当初、私は英語が全くできなかった。マクドナルドでハンバーガーを注文することもできなかったし、半年間勉強しても、TOEFLの読解問題は1点しか取れなかった。だが、「こんなに面白い学問は他にはない!」とほれ込んだ水中考古学の勉強をしたい、その一心で英語を学び、アメリカの大学院に入学し、指導教官のもとに押しかけ、博士号を取得した。
そして、大学院卒業後、世界中の海に潜り、船の発掘と研究をしている。
P78
・・・語学学校のオフィスを見つけ出した。クーラーの効いた室内に入ると、受付のアメリカ人女性が話しかけてくる。私には彼女が何を言っているのかが、さっぱり分からなかった。
しかし運がいいことにその日、少し日本語の話せる韓国人の男性が入学の手続きにやってきていた。受付の女性に加え、何人もの講師が必死になって私とコミュニケーションをとろうとしている奇妙な様子を見て助けを申し出てくれた。彼の通訳によって、ようやく私に住む場所がないこと、知り合いが誰もいないことが彼女たちに伝わった。後から聞いた話によると、私のように住む所さえ決めずに渡米してくる学生は前代未聞だと、職員内で笑いの種になったそうだ。
何もできない私の代わりに、語学学校の受付の女性が入学の手続きやアパートの手続きをしてくれた。しかし入居できるのは、授業が始まるのと同じく1週間後。それまでは、語学学校の先生が手配してくれた大学近くの安いモーテルに滞在することになった。
モーテルに着いた頃には夜の6時を過ぎていた。前日からほとんど何も口にしていなかった私は、考えられないほど空腹だった。
歩いて行ける距離にマクドナルドがあり、そこで食べることにした。店内は夕食時でとても混雑している。私が注文する番になり、体格の良い女性店員に何か尋ねられたが、彼女が何を言っているかは全然理解できない。
実は、アメリカのマクドナルドではハンバーガー単品のことを「サンドウィッチ」、セットメニューのことを「ミール」という。そんなことは全く知らない私は「バーガーセットプリーズ」と完全な日本人発言の英語で懇願していたのである。
徐々に店員の女性のいら立ちが顔に見え始め、繁盛している店内で私の後ろの注文待ちの列は、みるみる長くなっていった。
私の心は、完全に折れてしまった。
恥ずかしさと申し訳なさで、何も注文することなく店を飛び出す。その後、気を取り直して、近くにあったスーパーに行って軽食を買おうとした。ただアメリカのスーパーではレジ係が「Did you find everything,Okay?」などと、必ず気さくに話しかけてくれるのだ。・・・
レジで店員さんに話しかけられた私は、怖くなって何も買わずにまたしても逃げ出してしまった。
語学学校が始まるまでの1週間、モーテルの受付の横にあった小さなスナックとジュースの自動販売機だけで命を繋ぐことになった。部屋と自動販売機を行き来しながら「なんで自分は、こんな所に何も考えずに来てしまったのか?」と、情けなさと後悔で泣きながら過ごした。
しかし、留学生活も半年が過ぎ、振り分けられた一番下のクラスの留学生相手なら苦労なく会話ができるようになっていた。
成長した自分の英語力を試してやろうと、私は留学生向けの英語試験であるTOEFLを受けることにした。・・・
・・・成績が届き、スコアを確認してみると……。
読解:1点
目を疑った。TOEFLは全て選択問題だ。適当に答えても各セクションで5点は取れそうなものなのに、1点とは……。他の分野のスコアも散々で、合計でも30点かそこらだった。このままだと、いつまでたっても大学院入学など果たせない。徐々に近づいていたと思っていた水中考古学ははるか先にあった。
次の日から、語学学校での授業後、深夜3時まで図書館で勉強する毎日が始まった。今思えばこの時が人生で初めての〝受験勉強〟だった。
P256
丸山 それにしても、大学院に入る前の語学学校時代はがんばりましたね。2年で大学院に入学できると思っていました?
山船 勉強し続ければ、いつかは入れると楽観していました(笑)。私は丸山さんみたいに学部から考古学を学んで院に……という正規のルートではなく、野球漬けの大学生活からいきなりアメリカの語学学校に行ってしまったので、自分が上っている階段が何段くらいあるのか分かってなかったんです。階段の高さがあらかじめ分かっていたら、諦めていたかもしれません。通った語学学校は目標としていたテキサスA&M大学の併設で、偶然、水中考古学の教授の奥さんが語学学校で教えていて、「コウタロウはバカだけど、やる気はある」とプッシュしてくれました(笑)。
丸山 その後、無事に大学院に合格、研究室に入るわけですよね。この頃に、一番ご自身の能力が伸びたのでは?
山船 どちらかと言えば、院へ正式入学する前の「お試し期間」だった仮入学の1年が最も辛かったですね。結果を出せなかったら日本に帰されるというプレッシャーから、幻聴や幻覚が出るくらいまで勉強しました。