あたらしい移住のカタチ

あたらしい移住のカタチ

 素敵だな~と思う方ばかりでした。

 

 福岡県糸島市に移住した藤田さん

P18

「こころとからだ、食べるもの。自然とともにあること、宇宙の一部であること。〝わたし自身のものさし〟を見つけること。これがくらすことの大きなテーマです。それを、この自然豊かな地で、家族とともに実践して、自分の生き方を通してそれを伝えていけたらと思っています」。

 

 山梨県北杜市に移住した内藤さん

P23

 何年か前に神奈川県横浜市菊名に「山角」というパン屋さんを訪れたことがあった。山角はパン好きのなかでは名の知れた存在で、駅から少し離れた、住宅街というわかりづらい場所にあったにもかわらず、ぼくが訪ねたときも先客がいて、すでにほとんどのパンが売れてしまっていた。

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 山角のオーナー・内藤亜希子さんが、故郷である神奈川県から山梨県へと移住したのは今から5年ほど前。34歳のときのことだ。ふとしたきっかけで清里にあるホテルのチケットを知人から譲り受け、訪れてみたのがこのエリアとの出会いだった。「旅行で来たんです。そのときに辺りをぐるっと見てまわったら、雰囲気がすごく気に入って。その後、何度も来るようになりました」。

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 ・・・北杜市の四季折々を何度も訪ね、どんな町なのか空気感を肌で直に感じ取り、自分に合いそうだと判断して、移住を決断した。・・・「パン屋だったらどこでもできるし、ちょっとこの辺いいんじゃない?という感じで移住しちゃいました。不安は特になかったですね」。

 ・・・「パン屋の前はカフェで働いてたんです。パンも修行したわけではなくて独学です。元々これをやりたいとか強く思ったことがなくて、風の吹きまわしでここまで流れてきた感じなんです。パン屋は自分の暮らしがしやすいからやっていて、今は絵も描くし、料理もなんでもします。山が好きなのでギアについて学びたくて、アウトドアショップでアルバイトをしたり、野良仕事のお手伝いもしています」。

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 ・・・今年、内藤さんにとってまた新たな展開が待っている。年内にオープン予定のゲストハウスの敷地内に、お店を持つのだ。

「仕事や暮らし、遊び方も変化し続けたいと思っています。1年先のことなんて本当に想像もできないけれど、想像をしていないところにいくのが楽しいんです。仕事に関しては次のステージに向かって動いているけれど、今度は1から10まで自分一人で完結するパン屋じゃなくて、山梨で出会ったユーモアある人たちと一緒につくっていきたい。彼らの得意なところは彼らにお任せして、適度に接点を持ちながら、パン屋だけどパン屋じゃない、何者か、何屋かわからないミックスジュースみたいなお店をしたい。そしてせっかく近くに山があって豊かな自然のある最高のフィールドに暮らしているのだから、もっともっと自然を楽しむ暮らしにシフトしていきたいです」。

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 ・・・「もし明日、何か面白い話があったらそっちに移住しちゃうかもしれないです。暮らすのは都会じゃなければどこにでも行けます(笑)。でも今はこの場所が好きなので、ここにいたいと思っています」。

 

 山口県長門市に移住したいのまたさん

P81

 山口県長門市の山間部にある俵山温泉。・・・そのささやかな温泉街からまた少し離れた場所に、いのまたせいこさんのお店はある。見渡せば周囲は山ばかり。畑の脇を通って石段を登ると、薄いブルーのかわいらしい扉と、ちいさな看板に「ロバの本屋」の文字。・・・

 東京都出身のいのまたさんは、中学生の頃から「東京以外で暮らしたい」と考えていたそうだ。・・・だから専門学校を卒業したらすぐに新潟へと移り住んだ。「新潟を選んだのはおばあちゃんが住んでいたから。趣味でやっていた陶芸も続けたかったので、自営業をするのが現実的かなと思い、調理師免許を取り、おばあちゃんの家のそばに親戚の大工のおじさんに建物を建ててもらって喫茶店を開いたんです」。

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 3年ほど喫茶店を営んだのち、「次は暖かいところに住みたい」と地図を開き、早速一番南にある沖縄を目指すことにした。・・・さらに石垣島へと渡ってみた。そこは程良く田舎で、本好きのいのまたさんにとって大切なポイントの、良い図書館もあった。だから移住先を石垣島に決めた。

 東京の実家に戻り、バイクで持てるだけの荷物を持ち、家も仕事も決めずにフェリーで石垣島へと向かった。・・・

 ・・・あるとき自宅の庭で焚き火をしていると、煙の向きが悪かったのか、隣家の住人にひどく怒られてしまう。・・・「この場所で暮らすことは難しいかな」と思い、家を出ることに。その後は納得のいく家をゆっくり探そうと、テントを買ってキャンプ場へ。テントの前にブルーシートで屋根と簡単な台所をつくり、なんと4~5か月ほどキャンプ場での暮らしを続けたという。一方、仕事はたまたま取材に来た石垣島の出版社がスタッフを探していて、本づくりの経験は全くなかったけれど、出版社で働くことになった。家賃2万円ほどの家を見つけ、それからは会社勤め。「石垣島に来てから物欲が全くなくなって、一人暮らしなら、7万円あれば暮らせるなと思って、それ以上はわざと働かないようにしていました」。

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 いのまたさんの話を聞いていると、よく出てくる言葉に「とりあえずなんとかなると思って」、というのがある。例えばバイク一つで石垣島に移住することとか、キャンプ場で暮らすことも淡々と語るから、ついなんでもないことのように聞こえてしまうけれど、客観的に考えればちょっとすごいことだ。それでも軽々と実現させてしまうのは、楽観的なようでいて、実はしっかりと現実を見据えているからではないだろうか。この環境なら、このくらいの収入があれば自分が心地良く暮らせる、そしてその金額を得るにはどのくらい働けば良いのか、というモノサシをしっかりと持っているのだ。

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 ・・・そしていのまたさんは再び、地図を開いたのだ。

「前に住んでいた石垣島は離島だったから、今度は陸続きの場所で、家賃は2万円まで」。・・・家賃2万円は、「2人暮らしなら10万円あれば楽しく暮らせるし、貯金もできる。それぐらいの金額だったらアルバイトでもなんとかなるだろう」と思ったから。その条件で、物件探しをスタートした。

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 借りた家は20年ものあいだ空き家だったので、傷みがかなり激しかったけれど、和室2室は使える状態だったので、そこで寝泊まりしながらコツコツと改装をした。台所にあった井戸は、夏の日照りで枯れてしまい、しばらくは近くの川で水浴びをして、水を汲んでくる生活。全壊だったトタン屋根は改修し、半年ほどでおおむね家がなおってきたところで、「貯金も尽きてきたし、働きながらゆっくりなおしていこう」ということに。

 その頃は、お店をやるつもりはまだなくて、「里山ステーション俵山」という地域交流施設でジャムやお弁当をつくるアルバイトをしながら暮らしていた。・・・