アメリカに家出して僧侶になって帰ってきました

お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。 (幻冬舎単行本)

 タイトルの通りのお話で、帯にある通りの波乱万丈っぷり・・・しかも、一つ一つのエピソードが面白い(ご本人は必死ですが)・・・一気に読んでしまいました。

 

P22

 正直、アメリカまで家出をした直接の原因は、お見合いでした。お見合いを強要されることによって、耳が聞こえなくなるほど精神的に追い詰められていたのも事実です。けれども、そのことによって、私の心の中であぶり出されてきたのは、「空しい」ということだったのです。

 私が生まれ育った大行寺・・・は両親が公務員として働き、なんとか維持をしているような小さなお寺でした。が、お見合いのご縁をいただいたお寺さんの多くは、笑ってしまうほど大きなところばかり。中には学校を経営されている方なども。宗派を超えて、色々なお寺さんとご縁をいただきましたが、こんなことがありました。

 京都の料亭、・・・絵に描いたようなお見合いを経て、二人で会った時。何気ない会話の中で「(結婚した後も)時々、月に一度でいいから、友人とお食事に行きたい」と言った私。わざわざ確認するような内容でもありませんが、相手の方は俯いて、思案顔。え?何かヘンなこと言っちゃった?五分くらいでしょうか、かなり長い沈黙の後に絞り出された言葉は、「その件については、父と相談させてください」

 …………。はぁ?「友達とごはんに行くだけなのにぃ~!ナゼにオオゴト?てか、それくらい、自分の判断で決めてよ!」との言葉を、必死の思いで飲みこんだ私。が、そのお寺さんの嫁としての大事な仕事は、笑顔で来客をお迎えすること。「デパートの外商さんが来てくれるから、買い物も外に行かないでほしい」と言われ、さらに愕然。
 こんなこともありました。お見合いをした数日後、相手のお寺さんの縁者の方が大行寺へ。お茶をお出しした私に向かって、「わかっておられると思いますが、男のお子さんを産んでくださいね」。その言葉に、ただ、ただ、衝撃。

 ・・・

 ・・・条件を考えたら、これ以上はないだろうと思われるような方たちばかりとのお見合いでした。下世話な話をすれば、あきらかにオトクで、お見合い相手としては松竹梅の特松!くらいの方たちばかり。正直、もし私の友達からこんな話を聞かされたら、羨ましいと思ったかもしれません。けれども、当事者となると話は別です。

 ・・・

 ・・・求められるのは愛想よく笑っていることと、男の子を産むことだけ。私はペットじゃないよ、と。まぁ、ペットにするには大きすぎますし、可愛げもイマイチですが。

 ・・・

 アメリカに家出をした理由を一言でいってしまうと、「お見合いが嫌だった」ですが、・・・

 ・・・

 では、なぜアメリカにしたのか?

 ・・・

 ・・・「もうアカン。とりあえず、どっか遠くへ……」と思った私は、自分の部屋で世界地図を広げました。・・・

 まず目に入ったのが、スペイン、そしてイタリアです。当時、スペイン出身のハリウッド俳優、アントニオ・バンデラスに夢中だった私は、当然のことながらスペイン推し。食べ物も美味しそうだなと思ったところで、イタリアに留学していた友人の言葉を思い出しました。イタリアで食べる家庭料理は世界一。

 ・・・スペインか?イタリアか?・・・ハタと気づいた。スペイン語も、イタリア語も、まったくしゃべれへん!

 では、英語はどうだ?ハッキリ申しあげて、学校での英語の成績はブッチギリで悪かった。・・・

 でもね、「This is a pen.」が言えたんです。「これは、ペンです」。これをスペイン語やイタリア語、はたまた中国語や韓国語で言えるかと問われれば、まったく言えない。・・・ここで大きな勘違いをした私。「This is a pen.」この構文が言えるというのは、ひょっとすると英語はかなり得意な方かもしれない、と。

 ・・・

 ハッキリ言って、アホである。

 ・・・

 ・・・そうして、二九歳の私は、サンフランシスコ国際空港に降り立ったのです。・・・

 空港に降り立った瞬間に、覚りました。私は英語ができない、と。もうねぇ。大丈夫?というレベルじゃないですね。まったくもって、ダメ。

 ・・・

 ・・・渡米当時、いかに英語がダメダメだったのかは、聞くも涙、語るも涙です。常に電子辞書を持ち歩き、バスの中で広告を見ては単語を調べ、スーパーで商品を手にしては単語を調べるは、当たり前。語学学校に入学し、まさに「This is a pen.」から勉強し直しました。