鈴木家の箱

鈴木家の箱 (単行本 --)

 鈴木敏夫さんの娘、麻実子さんによるエッセイ。

 なんというか、とても正直な方?面白い方だなーと思いながら、興味深く読みました。

 

P134

 私が久石譲さんと初めてお会いしたのは、『千と千尋の神隠し』の挿入歌「ふたたび」の作詞を担当したときだった。

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 ・・・久石さんはなぜ私にと言ってくださったんだろう。そして私はこれを断ってあとから後悔しないだろうか?

 面白い経験になるかもしれないというワクワクと、それに伴う重圧から逃げたいという思いが私の中でせめぎ合った。なにより一番嫌だったのは「打ち合わせ」という未知のものだ。そんなきちんとした場所に行ってきちんとした人たちと話し合うなんて考えただけで吐きそうだ。それから逃げたい一心で断りたいと思った。

 でも私は、やりたくないと思うことをやってみると、必ず大きな快楽を得られるということを知っている。やりたくないと思えば思うほど、やったほうがいいのだ。初めてのことでやりたくないと思うこと。それは私にとってやってみるべきというセンサーが働いているようなものなのだ。

 数分悩んだのちに考えるのが面倒くさくなり、「とりあえず何も考えずに行ってみよう」と決意した。行って嫌だったら途中でやめればいいだけだ。そう思うとすぐに、先ほど聞いたメールアドレスに「とりあえず話を聞いてから考えたいので打ち合わせに伺います」とメールを送った。

 打ち合わせ当日、女性の方に案内され部屋に入ると久石譲さんがいた。久石さんは「初めまして。いつもお父さんにお世話になってます。こないだもね……」と気さくに話しかけてくれた。

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 そして久石さんは「今回ね、『千と千尋の神隠し』の挿入歌の「ふたたび」っていう曲に歌詞をつけることになってね、誰に作詞お願いしようかなって思ったときに、あ、鈴木さんの娘さん作詞やってるじゃんって思い出して頼んでみようと思ったんだ」と話してくれた。

 思ったより軽い感じで決まったんだと思い、驚くと同時に少し心が軽くなった。こんな感じならできないと思ったときに断りやすいかもと思った。この方なら私が断っても「そうだよね。じゃあ今回は違う人に頼むよ」と軽く受け入れてくれそうだ。まずは話だけ聞いてみようと思った。

 しかし話を聞いてみると言っても何を聞いたらいいのかよくわからなかった。・・・

 まずはでも自分の現状を先にはっきり伝えておいたほうがいいような気がして、私は恐る恐る「私素人なので何もわからないんですが、それでも作詞ってできるものなのでしょうか?」と久石さんに聞いてみた。

 が、聞いた瞬間に深い後悔に包まれた。今までニコニコしていた久石さんの表情が一瞬変わり、空気が変わったのだ。「何言っているの君は?素人も何もないでしょう?」と言っているような、驚きと呆れが混じったような微妙な表情をしていた。ほんの一瞬であったが、場違いなことを言うのは許さないという気迫を感じた。

 この部屋に入った瞬間、私はプロの作詞家なのだ。そうでなければいけない。そうでないと、巨匠である久石さんの忙しい時間を割いてもらってこんなふうに打ち合わせすることなんてできないのだ。一瞬でそれを悟った私は、自分には断るという選択肢などないことを知った。話を聞いて考えてみるなんておこがましい。もうこのプロジェクトは動き出しているのだ。

 その後久石さんは再び笑顔に戻り、「大丈夫、相談しながらやりましょう。きっと素晴らしい歌詞ができますよ」というようなことを言い、「曲はもう聞きました?ちなみに歌うのは平原綾香さん。ご存じです?」と話を続けた。平原綾香?どこかで聞いたことがある。「Jupiter」の人だ。すごく歌がうまい人だ。いやその前にプロの歌手の人だ。平原綾香が私の書いた歌を歌う?どういうこと?

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 久石さんは、すべて私に任せると言った。とにかく思うように書いてみてと言い、どのくらい時間がかかるかと聞いてきた。さっぱり見当がつかない。作詞って普通どれくらいの期間でするものなんだろう。「普通はどのくらいかかるものなんですか?」と聞き返したいところだが先ほど失敗したので憚られる。「カントリー・ロード」はすぐに書けたが、あんなふうにすぐ書けるものなんだろうか?私が答えを出せずに黙っていると久石さんが「まあじゃあとりあえず一週間くらいかな?」と促してくれたので「そのくらいを目指します」と答えた。

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 帰宅してすぐに『千と千尋の神隠し』を見た。見たことはあったのだが、ほとんど覚えていなかった。「ふたたび」がどのシーンで流れるのかもわからなかったので、まずはそれを確認しようと思った。

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 まずはイメージから自分で作らなければいけない。そのイメージが、久石さんがイメージしているものと合うのかもわからない。すべて任せるというのは何でもいいよということではきっとないだろう。

 まずは共通のイメージであろう『千と千尋の神隠し』を見まくろうと思った。そして私は千になろう。「ふたたび」の詞は、千が書くのだ。・・・私は千の想いを言葉にするだけだ。そう考えると少し気持ちが楽になった。

 正直ジブリ映画になじみのない私にとって、『千と千尋の神隠し』を何度も見ることは少し苦痛な作業だった。「ふたたび」が流れるシーンだけ見ればいいかもと思ったが、きっとそれではイメージはつかめない。少なくとも三回は見ようと思い、連続で三回見た(正直三回目は早送りしまくった)。

 三回も連続で見てみると、今まで思いもしなかった感想がたくさん出てくる。まずキャラクターの造詣が素晴らしい。・・・そしてこんなに主役級のキャラクターがたくさんいるのに、すべてのキャラクターが邪魔をし合わずにそれぞれものすごい躍動感で生きている。それでいてすべてのキャラクターが少し切なく、哀愁があるのだ。素晴らしい映画じゃないか。

 見れば見るほど『千と千尋の神隠し』が好きになった。私はこのたくさんの魅力的なキャラクターたちに囲まれて千になり、ハクと手を繋いで大空を飛ぶのだ。目をつぶるとなんとなくイメージが湧いてきた。書けるかもしれない。

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 浮かんでこなかった。さっぱり、どう言葉にしていいかわからない。「カントリー・ロード」のときのようにぱっと思いつくような気がしたのに、できない。頭の中にイメージはあるのにうまく言葉にできなくてもどかしかった。・・・方法を変えよう。

 次に私が考えたのは、歌のことを忘れて普段自分が詩を書くときのように書いてみようということだった。とにかく今頭にあるイメージが消えないうちに詞にしたい。

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 久石さんに依頼を受けて二日目のことだったと思う。我ながらいい詞だ。気に入った。私は千になってハクのことを書いた。しかし気に入ったところで、これは歌詞ではない。さあどうする?

 でもこの詞が気に入ったので、まずはこのままの形で誰かに見てほしいという思いもあった。そこで何を思ったか、私はこの詞を久石さんに送ろうと思ったのだ。

「相談しながらやっていきましょう」久石さんはそう言っていたじゃないか。一人でその先に進むのが難しいときは相談してもいいはず。と自分に言い聞かせながら、勇気を出して久石さんにメールを送った。

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 送ってすぐに久石さんから電話がかかってきた。一瞬出るのに躊躇した。・・・

 恐る恐る電話に出ると、久石さんは興奮気味に「これは素晴らしい。素晴らしい詞ですよ。たった二日でこれを書いたなんて麻実子さんに頼んでよかった!」とまさかの大絶賛をしてくれたのだ。曲に当て込むことができないなんてまるでどうでもいいことのように。

 私は頭を何かで殴られたような、強い、衝撃的な感動を覚えた。久石さんと私が共鳴してお互いに感動し、ほかのことがどうでもよくなる瞬間。なんて素晴らしい瞬間なのだろう。・・・

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 そして「ふたたび」は「久石譲in武道館~宮﨑アニメと共に歩んだ25年間」というコンサートで初披露されることになった。

 オーケストラが聞きなれたイントロを奏で、ステージの上で平原綾香さんが私の作った歌詞を歌いはじめたときは、世界が止まって見えるような感覚がした。言いようのない興奮と感動で、全身の血が逆流して鳥肌が立ち、一歩も動けず、とめどなく流れる涙をぬぐこともできず、ただただ目の前の信じられない光景に釘付けになっていた。恍惚という言葉はこんなときに使うのだろうか。