ホセ・ムヒカさんの本が面白かったので、著者の他の本を探して読んでみました。
理論物理学の先生、佐藤文隆さんに「死ぬ意味、生まれて来た意味」について聞きたい、とアポを取ったところから始まり、著者の意図とは違う方向へ話が…色々参考になりました。
ちょっと長くなりますが、ここは、実在とは?ということに関するやりとりです。
サイエンスで説明できたところで、わかったことにはならないという…
P16
「ぼくは、実在には三つあると考えている」
「実在、ですか?」
われに返った私は、前のめりになって聞き耳を立てた。
「ふつう、物理で「物がある」というと、時間空間の中にぽんとあるわけやね」
先生の口調にはときどき京都弁が混ざる。
「いっぽう、頭で考えたことや夢に見たことはイメージだけで、「物」としてはない」
「ええ、おっしゃることはわかります」
「……と思うところが錯覚なのである」
え?
「この目の前のカップにしたって、頭にカップが「ある」わけではないですよ。光に反射してカップが見える。視覚によって、脳にカップの像を結ぶ。それとほら、こうして触った感覚」と、目の前のコーヒーカップを両手でくるんだ。
「これらはつまり、瞳と手からの電気信号が脳に伝わり、「ある」と認識している。じっさいに頭の中に物が「ある」わけではない」
だが、カップという「物」は、実際にいま私たちの目の前にある。いま私が消えても、カップはそのままある。私と関係なく存在する。カップとは、そういう「物」のはずだ。
「このかたいカップは第一の実在で、外界です。石でもいいし地球でもいい。人間がいなくても外界はある。しかしこれをカップだとぼくたちが認識するのは、電気信号の作用。いっぽう夢も、頭のどこかで信号が起きたことによる。つまり、カップだと思うことと夢で思ったことは、同じレベルの話なのよ。これは第二の実在です。外界に対して内界、つまり人間の内部です。この第二の実在は外との関係で存在する」
外との関係で存在する?
「われわれが「物がある」というとき、物が頭の中にあるわけではない。いちど電気信号にして認識している。ようするに「信号」です」
信号によって脳で知覚されたものを、われわれは「物」といっているわけだろうか。
「夢を見たり考えたりすることと、カップをカップだと認識することは同じなのだよ。ただ、カップは外界と対応して認識するが、夢はそうじゃない。そこが違うだけ」
私は自分の頭の中に意識を集中させた。
「さて、第三の実在とは、ぼくたち人間が社会的に受け継いできたものをいう」
人間は社会的な動物だ、言語だとか慣習とかはぜんぶ第三の実在である、文化も科学も宗教も、と先生はいった。
「この第三の実在は、カップみたいに時空の上にポンとある物質ではないけれど、人間の社会の中で受け継がれ踏み固められてきたものです。そして、新しい科学的知見が現れれば、この第三の実在、つまりおおかたの常識は変化していく」
私はようやく口を開いた。「実在とは実際にあるということだけれど、グラムで表せる物質だけが実在ではなく、言語や文化も人間にとっての実在だということですか」
「そう。われわれが生きている世界はよく、人間の外側と内側という分け方で表現される。しかし、外界でも内界でもない三つ目の実在、つまりわれわれが長い時間かけて蓄積してきた慣習とか認識とかは、人間にとって物と同じくらい確かなものなのです。ごく簡単なことでいえば、互いの体をあまり近づけないようにするふるまい方だってそうでしょう。これはサルにもあると聞くから、その時代あたりからの蓄積かもしれない」
・・・
先生のいいたいことが少しわかった。もし生まれてからたった一人で私が生きてきたとして、私の前にカップがあるとする。私はそれを見ても「カップだ」と認識しないはずだ。・・・このかたいものはそういうものであるという共通認識を得ているから、これを「カップ」だと認識して、コーヒーを飲もうとするのだ。
「そうです。第一の実在についてわれわれが思っていることそれ自体が、特殊な思い方ですよ。第三の実在を参考にした、外界のものの見え方です。社会的なことをぜんぶはぎ取って、純粋に物そのものを思うなんて、うそである」
・・・
「あなたの主題である「死」というものを、第一と第二だけで考えたらむなしくなる。死というのは、第一世界の概念ではなく、第三世界の概念なのだよ」
でも死は確実に体がなくなること、つまり、先生のいう第一世界からなくなることではないのだろうか。
「科学的に原子や分子のレベルでいえば、生とは有機的な集合体ができることで、死とはそれがふたたびバラバラになっていくだけのこと」
・・・
「しかしね」と先生は続けた。
「これは「死」ではない。「死」というとき、すでにサイエンスではないのだよ。死という現象は、第一世界の現象だとは思わない。第三世界の概念です。死というのは第三世界のターミノロジーで、サイエンスがわかったところで死がわかるわけではない」
・・・
「・・・ぼくはあらゆる物質について説明できる。この水は何とかで誘電率はどうでとか、延々と何時間でも話せる」
それは……すごい。
「しかし、それで水がわかったかといえば、そうではない。だから、あなたのようなサイエンス音痴はサイエンス的な見方に感動してしまうかもしれないが、騙されてはいけない」