祭り?

しあわせのねだん (新潮文庫)

引き続き角田光代さんのエッセイです。
ここに書いてあったバレンタイン祭り?の描写、思わず笑っちゃいました。
この世ならではの光景というか…もしかして宇宙から見たら、一度くらい参加してみたいと思っちゃうかも(笑)
これは2003年の出来事で、あの頃は不景気だったはずですが、そんなこと感じさせませんね(^_^;)

P24
 ・・・バレンタインの前日、私は某デパートのチョコレート売場へと赴いた。
 地下食料品売場には、ごていねいに「チョコレート売場はこちら」の貼り紙が至るところにある。それに従って奥へ進み、そして度肝を抜かれた。
 そこにはすさまじい光景が展開されていた。フロアの一角はショップごとに細かく区分けされ、迷路状になっており、そのスペースだけ、ものすごい数の女たちが押し合いへし合いして群がっている。こういうの一度テレビで見たことある。離れた位置に立ち尽くし私は思った。ロシアの物資不足のときの映像がこんなんだった。あとモスクワにはじめてマクドナルドができたときもこんなふうだった。トイレットペーパーがなくなったときの白黒映像もたしかこんなふうだった。今はいったいいつの時代?そしてここはどこ?
 ・・・
 好きな男にチョコレートをあげるために、この売場では女たちの闘争心が剥き出しになっており、隙間から人が入りこんでチョコレートに近づくことをだれも許さない。足を踏まれ、肩を押され、脇腹を小突かれ、髪をひっぱられ、拳固でアッパーカットを決められ……というのは大げさであるが、しかしそれに近い状態が繰り広げられている。
 女たちの闘争本能の狭間で、クラゲのようになすがままにゆらゆらと意志とは反対方向へ移動し、次第にぼわーんとしてくる頭で私は考えた。三十六年間知らなかったが、チョコレートを買うってこんなにもたいへんなことなんだ。ちょっと男。ちょっと男、どうよ。女たちはこんな思いをしてチョコレートを奪い合うように買っているのだ。これが愛の姿なのだ。男よ、きみは見たことがあるのか、愛のすさまじさを。
 私は女の偉大さに敬服せずにはいられなかったが、しかし、もし男がこの「我先に闘争」を見たら、チョコレートなんておそろしくて口にできないのではないか。
 ・・・
 私とその横に立つ女の隙間に、ベビーカーをぐりぐりと押し込んで若妻が入ってきて、私を押しのけ、「この1000円の、1000円のを三つ!」と叫んでいる。・・・元の位置に戻りかけた私をふたたび押しのけ、香水の風呂に入ってきたような女が1000円のチョコレートを買っていく。続けざまに押しのけられたせいで、何かがキレかけた私は弾けるように香水女を突き飛ばし、「この3000円のをください!」と叫んでいた。この2000円差が私の闘争心なのかもしれなかった。
 ・・・
 バレンタインデーがあのように血を見る女祭りだとは知らなかった。祭りは参加したほうがやっぱりたのしい。来年に向けて体を鍛えよう。チョコレートをむさぼり食いながら私はそう決意した。