お金と幸せ

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)

インドのお手伝いのモナさんの話です。

P482
 キッチンに行くと、シンクがきれいに片づいている。ハエも退却したようだ。スレーシュ家のメイドのモナが来ているにちがいない。
 会ったことはなかったが、彼女の噂は聞いていた。腕と足首にバングルをつけていて、それがジャランジャランと小気味良い音を立てること。このうえなく幸せそうだが、テラスから見えるスラムに住んでいて、暮らしはひどく貧しいこと。英語で知っている言葉は「スーパー」だけだという。そこでスレーシュに通訳を頼むことにする。
「モナ、あなたは幸せですか?」
「ええ、とっても」
「それなら、幸せの秘訣を教えてくれますか?」
「考えすぎないことが第一だと思います。何もかも忘れてしまうのがいちばんです。考えれば考えるほど、幸せは減っていきますから。幸せに生きて、幸せに食べて、幸せに死ぬのがなによりです」そう言いながら、モナは大げさに両腕を広げた。彼女なら、会った瞬間からタイの人々とうまくやっていけそうだ。
「でも、何か問題はないのかな。たとえばお金のこととか?」
 モナはふたたび腕を広げる。その動作には勢いがあって、私のことを考えすぎだとでも言いたげだった。そして同時に、あなたはしゃべりすぎよという意味も込められているようだった。モナとの会話はこのぐらいにしておこう。モナにはいろいろ仕事がある。彼女が歩き出すと、バングルが夕べの部屋に響き渡った。
 モナのことをどう理解すればいいのだろうか。高貴な未開人(ノーブル・サヴィッジ)という幸福神話の落とし穴は十分に承知している。何もなくてもみんな幸せだ、と神話は告げる。統計的にはそれは正しくない。世界で最も貧しい国々は、幸福感もきわめて低い。インドもその例外ではない。ルート・フェーンホーヴェン教授の幸福分布図を見れば、インドの位置は最底辺に近い。
 だが、モナは統計ではない。とても幸せだとみずから言い切る、血の通った人間だ。否定する根拠が私にあるだろうか。貧しさは幸せを保証するものではないが、妨げるものでもない。
 ・・・
 ・・・モナのバングルの音がした。洗濯物のバケツを肩に乗せ、優雅にバランスをとりながら歩いてくる。顔を見合わせて話を始める。とはいえ交わすのは言葉ではない。こういう会話は、モルドバにいるときにルーバと身ぶり手ぶりで話して以来のことだ。
 お茶はいかが、とモナが言う。遠慮するが、彼女はなおも勧める。お茶を飲んだほうがいいと思いますよ。天井のファンを回したほうがいいですか?今日は暑いですから。もしかしたら回転が速すぎるかもしれません。少し回転を落としましょう……。モナは二つのことを同時にやるのはよくないと言って(彼女は実に気が利く)、ラジオを消した。数分後、今度はお茶が冷めるから早く飲んでしまうようにと催促する。こうしたすべてを、彼女はまるで楽器でも演奏するように腕を振って伝えることができる。統計なんか当てにならない。どう見てもモナは幸せだ。そして実に賢い。