名古屋の鬼ばばあ

鈴木家の箱 (単行本 --)

 こういうおばあちゃんを、こんなふうに見られるって、なんかすごいなあと感動しました。

 

P157

 ・・・父方の祖母は、おばあちゃんというイメージとはほど遠い人だった。

 名古屋に住む・・・おばあちゃんはとにかくいつもおじいちゃんの悪口を言っていた。「このクソじじい。〇〇で〇〇なくせにいつも私のことぶん殴りやがって」と、今考えると到底小学生に言うべきではない下ネタを交え、いつもおじいちゃんに悪態をついていた。

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 おじいちゃんはとても優しくて、孫たちとよく遊んでくれた。名古屋の家にはピロという犬がいて、私は名古屋に遊びに行くといつもピロとおじいちゃんとお散歩に行っていた。・・・

 ・・・私はピロとおじいちゃんが大好きだった。

 そんなおじいちゃんやピロを「クソジジイ!汚い犬!私は飼いたくなかった」と口汚くののしるおばあちゃんを私は鬼ばばあだと思っていた。・・・

 そんなあるとき、いつもどんなに悪口を言われても苦笑いでひと言返すくらいだったおじいちゃんが言ったのだ。

「あれはお前が包丁を持って追いかけてきたからじゃないか」

 それを聞いたとき、私は包丁を片手に鬼の形相でおじいちゃんを追いかけるおばあちゃんを想像して、やはり本物の鬼ばばあだと思った。おばあちゃんは「クワバラクワバラ」と言うのが口癖だったが、「こっちの台詞だよ!」と心の中で突っ込んでいた。

 ・・・

 そんなおばあちゃんは、手紙を書くのがとても上手だった。誕生日やクリスマスには品のいいお洋服のプレゼントとともに、達筆で礼儀正しい素敵な文の手紙をくれた。その頃、私たちが名古屋に遊びに行っても「孫とご飯なんて面倒くさい」と言っておばあちゃんは来なかったのだが、手紙の中のおばあちゃんはとても優しくて孫想いの、いわゆる普通のおばあちゃんだった。あまりに実際のイメージとは結びつかないので、私はゴーストライターでもいるんじゃないかと思っていた。

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 八〇歳になったとき、高齢のおじいちゃんを一人名古屋に残し、おばあちゃんが東京にやってきた。足腰が悪くて歩けなくなったからというのが上京の理由だった。

 しかし恵比寿にやってきたおばあちゃんは元気そのもの、家の近所にデパートがあると大喜びして毎日アトレに天ぷらを食べに行っていた。・・・

 それから一年くらい遅れて、おじいちゃんがガンを患い、恵比寿の同じマンションに引っ越してくることになった。おじいちゃんと同じ部屋は絶対嫌だとおばあちゃんが言うので、同じマンションの違う部屋に越してきた。その頃からおばあちゃんのおじいちゃんに対する呼び名は「クソジジイ」から「ガンジジイ」に変わっていた。なんてひどいネーミングだ。

 でもなんて面白いネーミングだとも思った。ガンを患ったという悲しい事実を吹き飛ばす破壊力だ。しんみりしない、ウジウジ悲しんでいても仕方ない。そんなおばあちゃんのたくましさは私たちを少し元気にしてくれた。

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 闘病生活を明るく頑張っていたおじいちゃん。まだまだ生きたい、死にたくないと言っていたが、おじいちゃんは東京に来て数カ月で旅立ってしまった。・・・

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 ・・・極めつけはおじいちゃんのお通夜の準備をしているときだ。葬儀屋さんに「この写真見たくないから捨てて。持って帰って」と大騒ぎをして、葬儀屋さんが断ると、「じゃあ裏返しにして。気持ち悪くて見たくない」と言い放った。

 おじいちゃんのお通夜はまさかの遺影裏返しで執り行われることになった。

 こんなお通夜ってあるの?

 ドン引きしながらも面白かった。おばあちゃんは徹底している。どんなときも一貫しておばあちゃんだ。こんな悲しいシーンでもおばあちゃんはひとつも変わらない。涙も流さなければ、おじいちゃんへの悪口も止まらない。

 焼かれたお骨にまで悪態をついているおばあちゃんを見て、私はまた夫婦漫才みたいだと思った。

 おじいちゃんが死んでからというもの、おばあちゃんはみるみる元気がなくなり……ということもまったくなく、相変わらず近所の人とすぐに仲良くなって出かけてばかりいた。

 おばあちゃんは、外面は抜群によくて人懐っこいので人に好かれる。まったくの他人にも平気で話しかけて仲良くなる。そこで家族の悪口を言いまくり同情を買うのだ。

 一度、父と私とおばあちゃんで散歩に行ったときのことだ。

 「林試の森公園」の道を歩いていたらおばあちゃんが、「疲れた。歩きたくない。帰りたい」と大騒ぎしだした。・・・父はずいぶん先を歩いていたので、私はおばあちゃんにちょっと待っててねと言って父を追った。

 帰ってくるとおばあちゃんのまわりに人だかりができていた。

 孫にいじめられていると泣きそうな顔で演説していたのだ。なんたる心外!いじめてなんかない!

「すいません、祖母こういう人なんです」と爽やかな笑顔で入っていったが、まわりの人の私を見る目は冷ややかだった。一体何を言ったのだろう?自分に注目を集めて同情を買うためには火のない所に煙を立てるから厄介だ。

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 元気すぎるくらい元気だったおばあちゃんも年を追うごとにさすがに足腰が弱ってきて、介護生活が始まった。・・・

 ・・・機嫌が悪いときのおばあちゃんは最悪だった。オムツをはかせようとすると抵抗し、杖で思い切り何度も叩いてくるのだ。腕をつかまれて爪を立てられてひっかかれたこともある。母は何度もそれをやられ、生傷が絶えなかった。

 もしこれが大好きな優しいおばあちゃんだったらそんな姿を見て私もすごくショックを受けたかもしれない。でも相手は鬼ばばあだ。どんな姿を見ても驚かない。・・・

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 介護は、元気だった人がどんどん弱っていって、ときには攻撃的になるのを見なければいけないので、つらいものだ。おばあちゃんは私たちをそんな気持ちにさせなかった。身体は弱っていっていたと思うが、攻撃してくる力はすごく強かったし、口はいつまでも達者すぎるくらいだった。「最近特に攻撃的だけど昔からそうだったから歳のせいなのか性格なのかよく分からないね」とよく家族で話していた。

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 おばあちゃんが亡くなったのは、床ずれがひどくなって入院していた先の病院だった。享年九二。大往生だ。

 ・・・

 おばあちゃんはいつも仏壇の前に座ってお経を読んでいた。信心深いようにはとても思えないおばあちゃんだったが、仏様をとても大事にしていた。ふと仏壇の引き出しを開いてみると、その中にはおじいちゃんや長女、長男である父がうつる家族の写真が入っていた。

 あんなに気持ち悪いと拒否していたのに本当はこんなに大事に写真を持っていたんだなと思い、おばあちゃんの違う一面を見た気がして少ししんみりした気持ちになった。鈴木家は傍から見ると特殊な家族だったが、そこには他人にはわからない絆があったのかもしれない。

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 ・・・はちゃめちゃだったおばあちゃんとのはちゃめちゃな想い出。何度も何度もひどいと思ったこと、ムカつくと思ったこと、いくら思い返してもいい想い出なんてありゃしない。

「本当とんでもない人だったね、おばあちゃんは」と苦笑した次の瞬間、自分でも驚くほど、とめどなく涙があふれてきた。なんで泣いているのか自分でもわからなかった。

 ・・・

 そして私は鬼ばばあのおばあちゃんが好きだったことに気づいた。大変な介護も、死別さえも罪悪感を持たず笑い飛ばさせてくれるおばあちゃん。どんなときも変わらず、たくましく、憎たらしく、強かった。おばあちゃんといると、恐かったり悲しんだり悩んだりしている自分がアホらしくなり、いつの間にか私は、「おばあちゃんならこんなこと笑い飛ばすだろうな」と考えながら生きるようになっていた。

 無駄なことは考えない、人に迷惑をかけるのも嫌な思いをさせるのも気にしない、ただ自分の思うままに我慢せず、自分が楽なように楽しく生きる。おばあちゃんは誰よりも自分自身に忠実だった。そんなおばあちゃんのぶれない生き方は、今思えばとても潔くてかっこいいように思えた。

 今頃おばあちゃんは、「ほれ見ろ」と笑っているのだろうか。