家事か地獄か

家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択

 きのうの本の松原さんとはまた全然違う路線で、こういう人生の楽しみ方もあるな、清々しくていいな・・・と思いつつ読みました。

 

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 ずっと、お金を稼ぐことと、そのお金で素敵なものを買うことが忙しくて、家事はいつでも後回しだった。故に、いつも食べきれないもので冷蔵庫は溢れかえり、着きれない洋服でクロゼットはぱんぱんとなり、その他様々の溢れかえるモノたちが部屋に散乱し、それが邪魔をして掃除がどんどん億劫になり、つまりは365日24時間、ほぼ混乱した汚い部屋で生きてきた。だって何度も言うが、私は忙しかったのだ。稼ぐことと買うことで一杯一杯。それを整えるヒマなどなかったのである。よく考えたら、私は必死になって豊かな暮らしをするべく頑張っていたのに、なぜか頑張るほどにその目標はどんどん遥か彼方に遠ざかっていく一方だった気もしてくる。

 それが会社を辞めて、お金を稼ぐ時間も使う時間もグッと減ったとたん、忙しさもモノも減り、家事は急にとてつもなくラクになった。これまでの家事の労苦を100とするならば、1くらいの労力でこなせるようになったのだ。ってことで、毎日ちゃっちゃとその「ラクな家事」をして、毎日ちゃっちゃと「豊かな暮らし」を簡単に自給して生きてる。こうなってくると、あんなに嫌いだった家事があろうことか楽しくなってきた。つまりは暮らしの中から耐え忍ぶ時間というものが消えた。生きている時間が全て楽しいのである。

 あれ……楽しく生きるって、こんなに単純なことだったの?

 その「あまりのこと」に気づいてからというもの、私の人生は180度変わってしまった。

 

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 ところで、数年前に亡くなった『はらぺこあおむし』で知られる米国の絵本作家エリック・カールさんが、かつて日本の子供たちに発したメッセージが新聞に載っていた。

「忘れないでほしいのは、楽しむこと、遊ぶ時間をつくること、そして自分でいること!」(朝日新聞天声人語」2021年5月31日)

 いやーこれって、便利を手放したら私の元に全て転がり込んできたもの、つまりは今の私のラク家事生活そのものじゃないの!と思ったことでありました。

 そうなのだ。人とは何はなくとも、本来そのような最高の暮らしを送るようにできているのである。そしてそれは、このモノに溢れた現代においては、余分なものを手放して初めて見えてくるものなのである。

 

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 よく考えたら一昔前までは洗剤なんぞこの世になかったのだ。桃太郎のおばあさんは川で洗濯してたわけで、現代の我らは大量の洗剤をぶち込んで洗濯して「ああスッキリ」などと言っているが、それは洗剤という化学物質を自然界にどんどん送り込んでいる行為でもある。

 で、さらに調べてみたら、汗汚れには「水洗いが一番」らしいじゃないの!ってことで、今は汚れている場所だけ石鹸をすり込みつけ置き洗い。汚れてなければ水洗い。時間も手間も水も大幅に節約できる。環境にもいい。ただ生きているだけで社会のお役に立ってる感じ。「おトク」とはこのことだ。

 で、このように物事が転がりだすと、さらに次の悪知恵が働いてくる。今考えているのは、そもそも「洗わない」って考え方もありなんじゃ?ということだ。

 ・・・

 ってことで、今愛用しているのが、友人が作っている「洗わなくていい下着」。薄いウールの長袖シャツで、ウールそのものに汚れ排出効果があるので洗剤どころか洗濯も必要ないとか。最初は疑ったが「2ヶ月毎日着て一度も洗ってない」という友人のブツをクンクン嗅いだら確かに無臭だったので即購入。結局冬じゅう着続けてただの一度も洗わずじまい。ということで、今や冬の下着はこれ一枚あればオールオッケー。最高である。

 で、このようなことを日々追求していると、どんどん身軽になってくるわけです。水さえあればいつでもどこでもこざっぱり元気に生きられるとなれば旅の荷物も劇的に減った。下着は夜風呂に入る時ついでに洗えば、着替えなど一切持っていかずともなんの問題もなし。

 ということで、今やどこへ行くにも普段持っている斜めがけカバンいっちょ。地球が全てご近所。まるで風のよう。世界が我が家。そんなウルトラ自由な感覚を、ラク家事がもたらしてくれたのである。