母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

 下書きしたままアップしそびれてました・・・だいぶ前に読んだような?

 面白かったです。

 やっぱり元気が何よりと思いました。

 

P34

 人生の先はわからないもので、わたしが65歳のとき、ひとり暮らしの母の家に間借りすることになった。することになったというと理由が母にあるように聞こえるが、わたしが自分で決め、母の承諾もなく転がり込んだというのが正しい言い方だ。

 実は、一生住み続けるつもりで購入した目黒のマンションで、漏水トラブルに巻き込まれたことに嫌気がさして、売却することにしたのだ。

 ・・・

 目黒から埼玉の母の家に引っ越したことを知ると、誰もがびっくりしてこう聞いてきた。

「お母さんの介護で?」

「いいえ、母はピンピンです。ハエたたきで落としたいくらいピンピンです」

 そう正直に答えると、誰もが目を白黒させながらも大笑いした。

 朝6時。階下からの大きな音で目が覚めた。20歳で家を出てから40数年間、マンションでひとり暮らしをしてきたわたしが久しぶりに聞く、自分以外の人が出す生活音だ。

 ・・・

 音は続く。次はドアを開け閉めする「バタン」という音だ。ものすごく元気のいい音だ。・・・歩く音もすごい。・・・

 ・・・

 これは高齢者の出す音ではない。体育会系の男子が出す音だ。もしかして、階下に男性が住んでいるのか。これを妖怪と言わずに何と言うのか。

 音が大きいのは、それだけ筋力がある証拠だろう。そう言うと、大柄な筋肉質の90代をイメージするかもしれないが、うちの妖怪は小柄で華奢だ。・・・

 運動もウオーキングもしたことがないのに、この力の強さは何なのか。この話をひとにすると、「まあ、お母さんが元気でなによりね」と言われてしまうが、父の一歩後ろをそそと歩いていた母はもはや存在せず、どこから見ても妖怪だ。

 ・・・

 妖怪は近所でもお友達の間でもオシャレで知られている人だ。まったくもって不思議なのだが、人が着たらおかしいだろう服を見事に自分のものとして着こなす。ブランドは好きでないようだが、イッセイのパンツを好んではく。

 例のプリーツプリーズだ。「王様と私」のユル・ブリンナーがはいていたバルーンタイプの金色のパンツはよく似合う。

 妖怪のファッションセンスには、ふだんは辛口のわたしも脱帽する。

「こっちの方がいいかしら。ほら、カーディガンを羽織るとこんな感じ」

 また、そのカーディガンが普通ではない。カーディガンと言えば、白や無地の、寒さ対策のカーディガンを思い浮かべるだろうが、見たことのないすごいデザインのものばかりなので、説明するのがとてもむずかしい。

 そう、まるで舞台衣装のように柄物と柄物を組み合わせ、しかもそれが似合うのだからびっくりさせられる。・・・実はこのファッションのせいで、友達からお呼びがかかるのである。

「見て!わたしのお友達、松原さん。素敵でしょ。何歳だと思う?92歳よ」と友達は、おしゃれな妖怪のことを自慢するのがうれしくて食事や観劇に誘うようだ。

 ・・・わたしが子供のころの妖怪は、ここまでぶっとんではいなかった。

 洋服はオーダーで作り、布地はエレガンスで、友布で必ず帽子を作ってもらっていたが、わりとシックな装いだった気がする。そのころから帽子は、妖怪の頭の一部なので、室内以外で無帽ということはまずない。

 また、その帽子のデザインがすごいものばかりだ。絶対に売れないだろうと思われる奇抜なものばかり。例えば、ソフトクリームのような形の帽子とか、モンゴルの遊牧民がかぶっているような帽子とか、鳥の巣のような白い羽で覆われている帽子とか。わたしには、とても恥ずかしくてかぶれそうもない帽子ばかり。しかも、色も素材もいろいろで、手入れのいい妖怪の帽子は、100個はくだらない。

「あんたは女優か?草笛光子か?」と嫌味を言いたくなるほどだ。

 ・・・

 この間も自由が丘で友人と待ち合わせをして、お店の人に道を聞いたところ、お店の人が出てきて「まあ、素敵!」と、営業中なのに、目的の店まで連れていってくれたそうだ。

 ・・・類は友を呼ぶようで、お友達3人組は全員がメチャクチャおしゃれだ。3人が銀座鹿乃子であんみつを食べていると、お客さんから声がかかるというのだから驚く。それも妖怪が大好きな紳士からだ。

「あの~みなさんがあまりにも素敵なので…失礼ですが、何をなさっている方たちなのですか」

 3人は笑いながらこう答える。

「はい、ただの人です」

 ・・・

 わたしの場合・・・「素敵ですね」と見ず知らずの人から声をかけられたことは、自慢じゃないが一度もない。

 それが、妖怪はしょっちゅうなのだから、娘は完全に負けている。妖怪の外出好きは、ただ、買い物がしたいわけではなく、人と話すのも楽しんでいるようだ。・・・

 ・・・

 妖怪はもうすぐ、あちらの世界に行くお年頃なのに、わたしより洋服を持っているし、わたしよりも新しいモノを買う。

「これ、一生ものだから」高い買い物をしたときの妖怪のくちぐせだが、一生ものって?あと何年生きるつもり?と意地の悪いわたしは心の中で思う。

 わたしと妖怪は、親子とはいえ、本当に別物だ。

「今日の最高温度は39度です。室内にいる方はエアコンを…外出される方は熱中症に注意し、こまめな水分補給をしてください…」

 町内アナウンスが熱中症の危険を知らせる。・・・その39度の日、うちの妖怪は言い放つ。

「家でエアコンつけて、テレビを見ていたら余計に暑いから、出かけてきまーす」

とおしゃれをして涼しい顔してバスに乗って駅まで行き、そこから私鉄で池袋まで行くのだから、これを妖怪と言わずしてなんというのか。