いいかげんなイタリア生活

いいかげんなイタリア生活 - イタリア在住15年の私が見つけた頑張りすぎない生き方 -

 日本の快適さ、便利さも素晴らしいものの、こういうゆるさもやっぱりいいな~と思いました。

 

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 イタリアの一年は9月にスタートして7月末に終わる。「8月は一年分の疲れから回復する休暇のためにある」とイタリアの人々は言い、その回復期間が「vacanze(バカンツェ)」だ。いつも陽気で楽しそうなイメージがあるイタリアの人々だけど、実はものすごく働き者で残業だって多い。元気に見える彼らだって疲れているのだ。

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 日本と大きく違うのは、イタリアでは正社員もアルバイトも関係なく、みんなが最低でも二週間休むということ。「仕事が忙しくて休みがとれない!」なんてことは絶対にない、他の会社もみんな休みだから、一人だけ働いても意味がないのだ。

 会社だけでなく、飲食店や美容院も最低でも二週間は休みになる。テレビの人気帯番組も二ヶ月は夏休みがあって、その間は別の番組が流れるか、過去の番組が再放送される。そのくらい休暇をとることを徹底しているのだ。

 この長い休暇で彼らが何をするかというと、答えは単純で「日常から離れて生活する」のだ。辞書で調べると、生活とは「生存して活動すること、生きながらえること」と出てくる。つまり、休暇中はただ生きていればいいのだ。

 まず、日常から離れるために、イタリアの人たちは海や山、行きたかった街へと移動する。移動先は豪華である必要はなく、アパートでも、キャンプ場のコテージなどでもいい。一週間単位で借りられる部屋を探し、そこで生活するのだ。

 バカンス中の過ごし方は、だいたい次のような感じだ。

 朝、起きる。海か山、または街に行ってだらだら過ごす。夜になったら何か食べて寝る。これを最低でも一週間、できればそれ以上続けるのだ。

 いつもと違う景色の中で生活することが、休暇の一番の目的なので、観光や美味しい食事はすべてオプションとして考えられる。家事ですらオプションにすぎない。

 ましてや、「将来の役に立つこと、意味のあることをしなくては」なんて考えからは、しっかり離れるべきなのだ。ただ今のことだけ、どんなに先でも今日一日のことだけを考えて生活すればいい。

 大げさかもしれないけれど、たったこれだけのことで人生に色が戻ってくる。本当に魔法のようで、「だから、この人たちはこんなにバカンスを大事にするのか」と、目から鱗が落ちたほどだ。

 とはいえ、私は最初のうちはこの何もしない長い休暇が苦手で、「時間の無駄」とすら思っていた。というのも、私にとって休暇は、子どもの頃の夏休みのイメージのままだったからだ。子どもの頃に何度も言われた、「休みの間もきちんとしていないと、休みが終わった後が大変だよ」という言葉に囚われていたのだ。

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 でも、イタリアのバカンスを経験して、この考えはなんだかおかしいと思うようになった。もし、休み明けに以前のような日常に戻れないなら、休み前の日常に何か問題があるはず。もしくは休みが全然足りていないから、もっと休むべきなのだ。戻るのが嫌なら戻らなくてもいい。嫌なのはそれが自分にあっていない証拠だから。

 いつかのために準備ばかりすることをやめて、今を生きる。これがイタリアで知った休暇の意味だ。もっと休みを。

 

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 ・・・イベントのときに感じるのが、イタリアの人たちのちょっとしたお金を使って楽しむことの上手さだ。義妹が用意したような自分から配るお菓子に、お店に置かれた子どものための飴、100円で買える紙吹雪やフェイスペイント用のクレヨン。そうした些細なものにお金を払うことに躊躇しないのだ。

 一方私はケチで、そういうお金の使い方が下手だし、それどころか無駄だとすら思っていた。

 子どもだけでなく、自分に対しても同じようにケチだった。バールで飲む100円のカフェや一輪の切り花といった、〝ちょっとした幸せ〟を感じられるものに対して、「これは無駄使いなのでは?」という罪悪感を持っていた。あまり余裕がないという理由ももちろんあったけれど、それだけでなく、いつか「もっといいお金の使い方」をするために、楽しみは我慢すべきという考えが自分に染みついていたのだ。

「いつか」も「もっといいお金の使い方」も何かわからないうちに月日は流れ、いつの間にか子どもは大きくなって風船を欲しがらなくなり、ケチな自分だけが残されたことに気がついた。「いつか」のために我慢するよりも、数百円の小さな幸せを子どもにも自分にも、たくさんあげていたらよかったのに。ここ数年、ハロウィンのコスチュームがショーウィンドウに飾られる季節になるとそう思う。

 でも、過去を振り返ってもやもやしているだけでは仕方がない。少しずつでも変えていかないと。まずは、今年のハロウィンにかぼちゃのクッキーでも買って、「今の私」が幸せを感じてみようかな。

 

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 2022年で、イタリアに来て15年。この本の中でも何度か書いたように、「毎日、楽しくてあっという間だった」というわけではなく、価値観の違いに戸惑ったり、あまりの適当さに「今すぐ日本に帰りたい!」と思ったこともたくさんありました。

 それでも、今も私はイタリアに暮らしています。家族がいるということももちろんですが、それ以上に「ここの生活がラクで居心地がいい」と感じていることが大きな理由です。将来のことはわからないけれど、今の自分にはここでの人や社会との関わり方が合っていると感じています。

 イタリアでは、毎日のように予想外のことが起こります。だけど、「まあ、最後はなんとかなるだろう」という、いい意味での適当さ、いいかげんさがあれば意外と上手くいくし、私もいつの間にかそうした考え方が身についていました。

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 大変そうなことが起こっても、力を抜けばだいたいなんとかなる。そして、人は思っているよりも親切である。これがイタリアで学んだ一番大きなことかもしれません。これからも頑張りすぎず、いい意味でいいかげんに頼ったり頼られたりしながら、イタリア生活を乗り越えていきたい、そう考えています。