今日を悔いなく幸せに

今日を悔いなく幸せに (中公文庫)

 91歳の時に書かれた本を、100歳になって加筆再編集して出されたもの、興味深く読みました。

 

P30

 十五歳で働き始めてからは、戦争中の一時期を除き、仕事をしなかった時期はほとんどない。結婚してからは、夫の世話、家事、自分の仕事で、毎日目が回るほど忙しかった。ある時期からは、それに姑の介護も加わった。

 夫が亡くなってから仕事が増え、原稿もたくさん書いた。飛びまわっているうちに毎日が過ぎていき、気がついたらこの歳になっていた。

 一〇〇歳を迎えた今、身体がだんだんきかなくなり、何をするにも時間がかかるようになった。家のなかを歩くのも、集中しないとひっくり返ってしまうので、一歩一歩慎重にゆっくりと足を運ばなくてはいけない。お手洗いに行くのも一所懸命。大袈裟にいえば、全力を傾けて行く感じだ。とにかく、一所懸命生きているだけで精いっぱい。あっという間に一日が過ぎてしまう。

 生活を手伝ってくれる身内はいるものの、一人の寂しさを感じることもあるし、肉体の衰えがまったくつらくないといえば嘘になる。ただ、これは今の私が見なくてはいけない風景だと思って、自分でうまくあやすようにしている。人生、上り坂の風景もなかなかいいものだが、下り坂も味わいがある。

 下り坂になったからこそ、見えるものもある。上り坂のときは、自分の健康について考えることもなかったし、人に対しても「この人、どうしてこれができないのかしら」などと思ったりもした。今は、人にはそれぞれの体力があるし、できることの量も一人ひとり違うのだと理解できる。

 やはり若いころには、若さゆえの不寛容もあるのだろう。ことに私の場合、若いころは戦争だったし、結婚しようと思っていた相手も戦争で亡くなってしまった。だから、一所懸命生きていてもダメなものはダメなんだという諦念もあるし、その一方で、とにかく一所懸命生きていこうという気持ちもあった。そんな矛盾の中で生きてきた一〇〇年だ。

 一〇〇年もあれば、いろいろなことがある。人生とは、そんなものだろう。