岸田奈美さんの「もうあかん」日常・・・大変すぎる中に笑いや優しさがあって、糸井さんが帯に書いているように、大物だ、ほんとすごい、と思いました。
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たった三十七日の間に、いろんなことがあった。ありすぎた。
一言でいうならば、いままで見て見ぬフリをして、だましだましかわしていた問題が一気に噴出した。天から兵糧攻めをくらっている。
はじまりは、いつまで経ってもよくなる気配のない、母の微熱だった。
あれよあれよという間に悪化していき、「心内膜炎」という名前がついたと思えば、「死ぬかもしれんよ」といわれる手術が始まった。
しかし、その母の入院により、ばあちゃんと弟と、2匹の犬が住まう実家の留守をわたしが預かることになった。
いわゆる一国一城の主だが、この城はちゃんちゃんばらばら、謀反と天災だらけで。であえ、であえ。いや、であわんといてくれ、殿中であるぞ。実家やぞ。
もともと、ちょっともの忘れが出てきたなあ、くらいに思っていたばあちゃんが、なんか、一気にやばいことになった。
ばあちゃんの頭のなかでは、母の入院はなかったことになり、わたしは中学生になったり大学生になったりした。学生の本分は勉強ということで、部屋で仕事をしていようもんなら、「寝なさい!」とはげしく怒って突撃してくるようになった。ビデオ通話で打ち合わせをしているたびに突撃してくるので、いつしか突撃は「おばあチャンス」と呼ばれるようになった。冷蔵庫にあるすべての食材を、魔女のごとく大鍋で煮込み、ソースまみれにするか、腐らせた。
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弟は生まれつきダウン症だけど、身のまわりのことはだいたい自分でできる。なので穏やかだったのだが、ばあちゃんがやばくなったので、つられてやばくなってしまった。
タイムスリップして忘却の彼方へ飛んでいくばあちゃんの変化についていけず、怒ったり、泣いたり、情緒が一本下駄を履いてしまったのだ。・・・
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そろそろ弟も、グループホームなどを利用して、自立のときが迫っていたので、この機会にばあちゃんと離そうと考えた。
戦略的一家離散というわけだ。
思いついたはいいが、この奇策は想像以上にあかんかった。
福祉のサービスに頼ろうとしたものの、手続きが、めちゃくちゃ大変。
体力と精神力がバーゲンセールのごとく、片っぱしから奪い去られていく。なんでそんな仕組みになってんねんと叫び出したくなるくらい、果てしなくめんどくさい。
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担当してくれる人は、ほとんどいい人で、たまに首をかしげたくなるくらいずっと機嫌の悪い人もいる。その差がまた、しんどい。
でも大丈夫、大丈夫。
これを乗り切れば、ばあちゃんと弟のことは、ひと安心だから。
そう思っていたら、めったに鳴らない実家の固定電話が鳴った。フラグを立ててはいけないことを学んだ。
10年以上入院していたじいちゃんが、ぽっくり亡くなったという知らせだった。
なにがなんやらわからないうちに、気がつけば、家のどこにも見当たらない喪服の代わりを探し、夕方の町を駆け抜けていた。
そのまっただなか、なぜか洗濯機と掃除機と電子レンジが、いっぺんに壊れた。「俺たちはもうここまでかもしれない」という、静かなる断末魔の叫びが聞こえた気がした。
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手術が成功して命が助かっても、母は3ヶ月は安静で、1年は働けないだろうということだった。家計を担うのは、わたししかいない。
書く手を、歩く足を、止めてはいけない。止めると、ライフラインが止まる。
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「もうあかんわ」
心から思った。
だけど。もうあかんくなっても、1人。
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なにが悲しいって、どんだけしんどいことが起きても、わたしの話で笑ってくれる人がだれもいないこと。
かのチャップリンは、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言った。
わたしことナミップリンは、「人生は、ひとりで抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」と言いたい。
みんなも心当たりがあるだろう。悲劇は、他人ごとなら抜群におもしろい。
ユーモアがあれば、人間は絶望の底に落ちっこない。
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「やばすぎ、ウケるわ」「ばあちゃん、どないしてん」
理不尽なこの日々を、こうやって笑い飛ばしてもらえたら、わたしはそれで救われる。同情はいらない。やるべきこともぜんぶわかっているので、家に駆けつけて手伝ってほしいわけでもない。
ただ、笑ってほしい。悲劇を、喜劇にする、一発逆転のチャンスがほしい。
心のどこかでわたしは、「たしかにしんどいけど、これはこれで、おもしろいよな」って思っているのだ。数年後には笑い話になると信じているのだ。そういう明るい自分を、わたしは見失いたくない。
でも、このまま1人で抱えとったら、もうあかんわ。
そんな経緯で始めたのが、この『もうあかんわ日記』だ。
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いま読み返しても、こりゃもうあかんわ、と1人でつぶやきたくなる。
でも、書くことでわたしはたしかに、救われていた。
だれかに笑ってもらいたくて書いた日記は、だれよりわたしが笑うための大切な作業になった。・・・