いのちのエール

いのちのエール - 初女おかあさんから娘たちへ

田口ランディさんの本を続けて読みました。

ランディさんが、佐藤初女さんとの交流の中で、気づいたことなどが書かれていて、興味深かったです。

 

P14

 初女さんが、わたしの前に来た。

 真顔だった。愛想笑いもしていない。

 かといって、とまどってもいなければ、拒否してもいない。

 ただ、そこに居るだけ。こんな人に、会ったことがなかった。

 人間って、ふつう、もっと笑ってみたり、驚いてみたり、そういう「振り」をするものじゃないのか。

 どうして、この人は素のまんまで、他の人の前に居られるんだろう。

 

P59

 わたしの父は漁師だったから、縄も編めれば裁縫もできる、大きな魚を解体できたし、機械や道具の手入れ、整理整頓も完璧な人だった。あまりにも完璧主義だから、じぶんでじぶんがしんどくなり、お酒を飲んでしまったのかもしれない。

 その父から「物を教わるときは、黙ってよく見ろ。いちいち質問するな」と言われてきた。「なんだかんだと、つべこべ言うやつは頭でっかちで船では使えない。いいか、人から教わるときは自分の考えは一度捨てて、よく見て、全部、真似てみるんだ。正確に真似るんだぞ」

 父から教えられたことも、仕事をするうえでとても役に立った。父は、ほんとうにどうしようもない酒乱でアルコール依存症だったが、仕事に関しては真面目でひたむき、手抜きのない人だった。

 その父の良い面を、わたしは捨てなかったのだ。そして、それは、わたしの財産になった。

 初女さんは、父や母と同じことを言う。

「はい、わかりました」と、なんでも素直に受け入れることが大事ですよ、と。

「よおく見て、教わったことは真似てみるの」

 なぜだろう。初女さんといると、初女さんを通して、父や母の良いところがたくさん思いだされる。そのことがわたしをとても慰めた。

 

P118

 いつも初女さんに「祈りって、なんですか」と質問をすると、「わたしには生活が祈りです」とおっしゃる。

 とてもシンプル。ことばではわかるけれど、実感が伴わなかった。

「初女さん。それは一瞬、一瞬、なにをするときでも、心を慈しみと愛のほうへ向けていくと決めて、覚悟して、へこたれそうになっても、ぐっと、腹に力を込めて、愛と慈しみの方向へ舵をとる、ってことでしょうか。そうやって、ていねいに生きていれば、祈りへと通じるのでしょうか」

「はい。ていねいに、小さなことを、ひとつずつ、積み重ねていくこと。それが、祈りです」

 

P124

「ランディさん、小松菜や、アスパラガス、チンゲンサイ、どんな植物も、ゆがくときは、色や香りをよく見ていてね。あちこち、気を散らさず、よく見るの」

「はい」

「そうすると、野菜のほうが合図をしてくれます。ふわっとそのもののよい香りがたって、茎がうっすらと透明になりますから、そのときに、すっとあげるんです。見ていればわかります」

「透明になったときですか?」

「そうですよ。見ていてごらんなさい」

 初女さんは小松菜をゆがきながらじっと鍋を見つめていた。そのうち、小松菜独特の青苦い香りが湯気といっしょに上がってくる。

「ほらね、こうして透明になりますから、そのときさっとあげるの」

 わたしは慌てて小松菜をザルにあげた。

「こうして、透明になって、いきものはいのちを捧げてくれているのね。それをいただくことで、わたしたちのいのちとなっていく。不思議ねえ、いのちが移し替えられるとき、みんな透明になっていきます」