江戸の時間

お金がない! (暮らしの文藝)

 たくさんの方のエッセイが集まった本の中に、杉浦日向子さんが江戸の時間とお金について書いていて、印象に残りました。

 (図書館で借りた本で、ページ数を記録し忘れたのですが、110ページ位のところです)

 

 江戸の時間は不等時法です。日の出から日没までを六等分して、昼の一刻とし、日没から日の出までを同じく六等分して、夜の一刻としました。つまり、一刻の長さが、昼夜で異なることになります。そればかりか、昼間の長い夏と夜長の冬では、昼の一刻に四〇分ほどの差が生じます。季節にそって、時が伸び縮みしました。日常で使う、もっともちいさな時間の単位は「小半刻」、すなわち四分の一刻で、およそ三〇分に相当します。それ以下の時の区切りは、かれらの生活での出番がなかったのです。電子レンジで五〇秒加熱するとか、一〇〇分の一秒を争うという、わたしたちにとって見慣れた「日常」は、かれらにとって奇異な「非日常」に映るでしょう。

 わたしたちにとっての「良い時間」とは、一定間にどれだけ多くの物が詰め込めるか、「時短」と「効率」を問うわけですが、彼らにとっての「良い時間」とは、感動の有無、ああおいしかった、たのしかった、うれしかった、そんな実感の持てたひとときを指し、「仕事がどんどんはかどった時間」は、単なる「忙しかった」に過ぎないとみなすのです。

「早起きは三文の得」とはいうものの、「四文払っても朝寝がしたい」が、江戸の本音。銭形平次親分がクライマックスで投げる、青海波文様の穴あき硬貨は四文銭。「四文屋」という屋台は、煮もの揚げもの焼きもの、なんでも一つ一コイン(四文)で売りました。小僧のこづかい銭がターゲットの、もっとも手軽なファーストフード屋。早起きしたとてたかが三文、「四文屋」の一つも買えやしない。それなら、ぬくぬく寝坊したが得というもの。

「一両は現代のいくらですか?」と問われます。これがむつかしい。「サンピン侍」とは、年俸が現金三両と、大人一人が一年間に食べる量の米を現物支給される下級武士のことですが、それでも一家を養う上は、一両は六〇~八〇万円くらいあってほしい。ところが、長屋の連中が「カカアを質に置いてでも買わざあなるめえ」といきまいた初鰹一尾に、三両の値がつくときけば、高くつもっても一両はせいぜい六~八万円ほどと思われます。そもそも、現代の貨幣価値に置き換えようとすること自体に無理があり、江戸では、時が、季節によって伸び縮みするように、金も、生活の場面に応じて軽重が変化すると考えるほかはないのです。・・・

 ・・・江戸の「時」と「金」に求められるのは「質」と「使い方」で、そこにはひとりひとりのライフスタイルが反映されることになり、数値には変換できません。