もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX

もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX

 あ、二巻目あったんだ、と気づいて(6年前に出版されてたのですね)読みました。

 巻末に一巻目の宣伝が載っていて、村上春樹さんバージョンを久しぶりに読んで、 すごいな~と思ったのを思い出しました。

 ちなみに村上春樹さん風は

「きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。(中略)ただ、一つだけ確実に言えることがある。

 完璧な湯切りは存在しない。

 完璧な絶望が存在しないようにね。」

 

 こちらは吉本ばななさん風。

P26

 私がこの世でいちばん好きな食べものはカップ焼きそばだと思う。

 容器を覆うビニール、手順が書かれている蓋、中に入っているかやくとソースの小袋、できあがるまでの三分という時間、それさえあれば私はつらくない。

 美味しくないカップ焼きそばだって、たまらなく好きだ。

 伸びきった麺や味が薄いソース、入れ忘れて後からかけたかやくが口の中でごりごりしても、それでもいい。食べきる。負けはしない。

 食事をしている時、私はよくうっとりと思う。世界最後の日、私はカップ焼きそばを食べるだろう。人生で最後の湯切りを、私はちゃんと見つめたい。

 先日、湯切りを失敗してしまった。びっくりした。シンクに飛び出していく柔らかな麺が、ぽとんと音を立てて流れていった。麺がひとつひとつ消えていって、すべてなくなった。こんなこともあるのかと驚いた。

 

 その夜、私は夢を見た。

 

 月明かりの下、川岸にいる。ほの暗いかすみがかった川向こうで、聞き慣れた音がした。私は冷たい夜風を感じながら、目を閉じて耳を澄ませた。じょぼじょぼと水を打つ音がする。

―誰かが湯切りを―している。

 川向こう、確かに誰かが湯切りをしている。目を開いて瞳をこらすと、容器を傾けている人影が見えた。

 私だ。

 それは人生最後の湯切りをする私の姿だった。

「ありがとう。」

 瞳から涙があふれ出してきた。向こうの私が手を振っているような気がする。顔の見えない彼女に微笑むと、彼女も微笑みかえした気がした。

 目を覚ますと朝だった。私は起き上がり、キッチンでヤカンに火をかけた。わいたお湯の蒸気が部屋を満たしていった。