感染症と漢方治療

ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話 (文春文庫)

 ふと目にとまって読んだこの本にも、新型コロナについて興味深いお話が載っていました。

 西洋医学東洋医学の両方を取り入れた診療をしているという津田篤太郎先生のエッセイから。(ちなみに去年の今頃、一年前に書かれたものです)

 

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 私は数年前に、日本東洋医学会から「感染症と漢方治療」という演題の講演を依頼され、文献をいろいろ調べていました。・・・

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 そこで参考になったのが、百年前の先人はどうスペイン風邪を治療したのか、の記録です。明治末期から昭和初期にかけて、漢方医学が最も衰微した時代に独創的な治療体系を打ち立てた森道伯(一八六七~一九三一)は、スペイン風邪を三つのタイプに分け、胃腸症状が主のものには香蘇散加茯苓白朮半夏こうそさんかぶくりょうびゃくじゅつはんげ、肺炎型には小青竜湯加杏仁石膏しょうせいりゅうとうかきようにんせっこう、脳症をきたした場合は升麻葛根湯しょうまかっこんとうに白芷びゃくし・川芎せんきゅう・細辛さいしんを適宜追加して使用した、と言われています。後年、道伯の事績を弟子がまとめた『森道伯先生伝』には「その卓効に驚きて、治を乞う者日に繁く、これを服して治せざるものなし。此処に於て漢方医学の優秀なる所以漸く世人の関心する処となる」と書かれています。

 今回のパンデミックのピーク時には、私も何人かの知り合いから発熱や味覚・嗅覚障害などの症状が出たとのことで相談されました。森道伯の処方を基に漢方薬を飲むようアドバイスしたところ、みなさん快方に向かったので、私個人の見解に過ぎませんが、漢方にある程度の有効性があると判断しています。他方、現代医学的な抗ウィルス剤による治療の開発は、最新鋭のAIをも投入してもいまのところ期待されたほどの鮮やかな成果が出ておらず、まだまだ評価に時間もかかります。臨床の現場で新型コロナが疑わしい症状に出くわした場合、現状では漢方薬で対処するしかないのではないかと私は考えています。

 漢方治療の有効性については、もっとケースを重ねて科学的に検証する必要がありますが、同一のウィルスが人体に侵入しても、体質によっては胃腸症状・肺炎・脳症と表現型が変わり、それに合わせて対応を変えるという伝統医学的戦略は、多様な問題を引き起こすウィルス疾患の治療によりフィットしたものだと言えます。わずか数カ月の間に世界を席巻し、しばしば重篤化して短期間のうちに死に至らしめる新型コロナ感染症は、スペイン風邪以来の、百年に一度の歴史的感染症だと私は思っていますが、その百年に一度の出来事に対峙するには、数十年の歴史しかない近代ウィルス学や〝根拠に基づく医療(EBM)〟を引っ提げて一九九〇年代から登場した臨床疫学では、まだまだ未熟で力不足なのかもしれません。