「注意を向ける」と「意識をする」

身体は「わたし」を映す間鏡である

 注意の向け方や意識の仕方、どこに、どのくらいの強さで、と色々工夫することで、驚くほど身体の動き方が変わる・・・面白いことがたくさん書いてありました。

 

P64

 <高速道路を運転していると眠くなるのはなぜか?>

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 ・・・主な原因は「運転中の目の動き」にあったようなのです。・・・運転中九割方は前を走る車を中心にした前方の景色に目を向けている人が多いのではないでしょうか。ところが、そうやって変化の少ない景色や車にじっと目を向けているうちに、目が前方の一点に固定されてしまうような状態になり、それが引き金となって、考えたり外からの情報を処理する能力が弱まり、・・・つまり催眠状態に陥ってしまうらしいのです。

「目の使い方」にも研究のうえで興味があった私には、期待以上に納得のいく結論であったのですが、実は、・・・「一つに注意を向けること」という観点で読み解くこともできるのです。

 注意にも「濃度」がある―というと、料理の話のようですが、・・・注意における濃淡の違いは身体の動きにも影響を与えるのです。

 注意がある物事に強く向くこと、あるいはある一点に向くことを、私は「注意が濃い」ととらえています。一つに注意が向いていることはいいのですが、注意が「濃く」なりすぎると、注意を向けたこと以外は〝盲点〟になってしまうことが問題です。

 

P80

 私は動きやすさを得るために、「一つに注意を向ける」という表現を使っている。しかし、「注意を向ける」という言葉はいつの間にか、「意識をする」という言葉に変換されてしまう場合が多くある。しかし、「注意を向ける」と「意識をする」という言葉は似ているようにも思えるが、この二つには明確な違いがある。

 あくまで私のとらえ方だが、「注意を向ける」は、身体の動きを滑らかに優位にするカラダ言葉。「意識をする」は、計画を立てたり考えをめぐらすためのアタマ言葉だとは考えられないだろうか。このことは、実際に身体を動かすときに使ってみると明白になる。

 だれかに実験台になってもらい、その人の目の前にカップを置き、「カップに注意を向けて立ってください」といってカップに注意を向けてもらい、その人の肩を揺らしてみる。このとき、身体は揺れないことに気がつくだろう。同じように「カップを意識して立ってください」というと、どうだろう?前と同じ強さで揺らしているのに、今度は身体が揺れてくる。

 ・・・不思議なことに、身体はこの違いを正確にとらえているのだ。

 ・・・今までの習慣や癖を改めようとするときには、「意識をする」という言葉の出番だ。意識という言葉は、何かを見たり覚えたり、今までの前提を変える必要があるときに、標準を合わせるべき一点を変更する目的で使うと効果がある。

 それに対して「注意を向ける」は、意識したことを受けて実行に移すときの言葉である。

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 ふだんの生活の中でも、人と話すことが苦手な人は、相手を見たり聞いたりするのではなく、「相手に注意を向けて」みるようにする。そうすることで、余計な緊張感なく相手の話に耳を傾けることができ、自分の話したいことも自然に出てきやすくなってくるだろう。「相手を意識して」話そうとすると、どうしても身体も言葉もこわばってしまいがちになるのは、想像できることではないだろうか。