ヤクザときどきピアノ

ヤクザときどきピアノ

 5年越しでようやく校了して、仕事から解放された著者が、その解放感も相まって、ミュージカル映画「マンマミーア」の曲、ダンシング・クイーンに大感動したことからピアノを習うことに・・・先生も魅力的で、また著者の音への感動が伝わってきました。

 

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 レッスンのたび、レイコ先生に頼んでピアノを聴かせてもらっていた。それは毎週のご褒美だった。極端にいうと、ただ「ド・レ・ミ・ファ・ソ」と弾くだけで、レイコ先生の演奏には緩急があり、抑揚があり、見事な演奏になっていた。

「先生すごい!かっこいい!」

 俺の稚拙な賛辞を聞くたび、先生は「ピアノを触った時間が多いだけ」と素っ気なく答えた。

「飲み込みが早い人はいる。同じ練習をしても、上達の度合いは違う。才能の違いはどうにもできない。

 でもね。練習しないと弾けないの。弾ける人は練習をしたの。難しい話じゃない。

 仕事が家族が体調が……誰の人生にも問題は色々ある。でも弾けない原因は一つしかない。単純に練習が足りない。

 鈴木さんより上手な人は、鈴木さんより多く弾いている。上手くなりたいなら遊びに行かず、飲みに行かず、部屋に籠もってひたすらピアノを弾くしかない。まずはそう思ってくれていい」

 練習がすべて、練習こそ正義というなら、俺にだって勝ち目はあるだろう。

 ・・・

 両手での譜読みは難航した。週一回の練習を一コマ増やすしかなかった。原稿など発表会の後でどうにでもなる。しかし、ピアノばかりは、予想すらできない。どれだけ練習すれば弾けるのか。レイコ先生につめよった。

「無理矢理弾かされてると感じたら、もう駄目なんです。誰も導けないし、助けられない。お金でどうにかなる話でもない。

 そうじゃなく、

 鈴木さんが強く『弾きたい』と思うこと。

 何度つまずいても、時間がかかってもそう思い続けること。弾けるようになるかどうか……究極はそこです」

 抗争事件が頻発し、レッスンに行けない日が増えていた。レッスンの前日に事件が起きると、いたたまれない気持ちで、暴力団を逆恨みした。

 

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 本番は一回勝負である。数回弾いたあと、ようやく調子が出てくるようでは発表会でベストな演奏はできない。

 毎日、ピアノの前に立って、目の前に観客がいるつもりになって一礼し、椅子を直し、一切の音を出さずに曲を弾く。最初の一回が勝負だから、そのシミュレーションをするわけだ。

 意識すれば一日の中に、何回か一回目を作ることができる。朝に、仕事帰りに、風呂に入ったあと、飯を食ったあと……何度も一回目の演奏を行い、体を慣れさせる。

 俺の課題は、他人の雰囲気を感じるだけで演奏が腰砕けになることだった。防音スタジオの扉にはガラスの窓がある。練習中、そこに子供の影が映るだけで、というより、見られていると邪念が湧いた瞬間突っかかる。

 自分のメンタルがこんなにも弱いことを知って愕然とした。

 二十年以上、暴力団に脅され続けた経験は無意味だったということか。

 次第に焦りが生まれた。その心情は、はっきりとピアノの音に出はじめた。

 レッスン中、レイコ先生が突然「影が差している!」と言うので訊いてみたら、「音を大事に弾かず、苦手部分を勢いで押し通そうとしている」とのことだった。その後も何度か同じ注意を受けた。

 発表会での御法度は、手が止まってしまうことだ。間違えたっていい。ミスはなくならない。だがそのたびにいちいち演奏を止めるわけにはいかない。

「多少ぶつかってもアクセルは踏み続けて」

 そう言われると、どうしたって苦手な部分で急いでしまう。

 ・・・

 発表会の一週間前は、毎日スタジオに籠もって弾きまくった。人生でここまでなにかに集中したことはなかった。いや、いちどだけあった。

 中退の届けも出さず、大学を辞めた俺は、写真スタジオと現像所でアルバイトをしていた。前者は貸しスタジオ、後者はプロ・ラボである。ある日、現像所の責任者から、「アメリカに行く仕事があるんだが、やってみるか?」と持ちかけられた。出発は三週間後、採用の条件は免許を持っていることだった。

 アメリカでの撮影はレンタカー移動が基本なので、アシスタントは絶対に運転ができなければならないというのだ。

 諦めきれず、免許を持っていると嘘をついた。三週間で自動車免許を取得する必要があった。

 まずは荻窪の非公認教習所に通った。実技試験が免除にならない非公認なら、毎日の練習時間に制限はない。毎日六時間、一週間練習し、鮫洲に仮免許の試験を受けにいった。失格となったら翌日、府中の試験場に行く。

 仮免の試験は結局五回落ちた。本免許の試験は一回で合格した。免許を手にしたのは、出発の四日前だ。

 その時と同じ、いやそれ以上、俺はピアノに没頭していた。これだけ練習したのだ。失敗したなら仕方ないと思えた。最後のレッスンを終え、緊張感はマックスだった。

「もう死にそうです。みんなこうなるんですか?」

「シニアのみなさんは緊張しすぎて、なんというか悲壮な感じで、わかりやすくいうと……お通夜ね」

 こうなったら見事に成仏するしかない。