遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ

遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ

 スズキナオさんの本を続けて読みました。

 こちらも面白かったです。

 

P9

 本書のタイトルの元になった記事が掲載された「遅く起きた日曜日に」という連載は、WEBメディア『QJWeb クイック・ジャパン・ウェブ』で2020年の3月から1年ほどにわたってつづいた。ほぼ丸ごとコロナ禍と時期が重なっていたが、連載をはじめるにあたって考えた「休日の昼下がりからでも味わえるようなちょっとした楽しみについて書く」というコンセプトはほとんど影響を受けることがなかった。むしろコロナ禍だからこそ、今まで以上に自分の住まいの近所に目を向ける機会を得たような気がした。

 おかげで普段、何も考えずに通り過ぎてきた近所の喫茶店や食堂の向こうに自分の知らなかった空間と時間があるという、そんな当然のことを改めて知った。そして〝近所〟と簡単な言葉で指し示してしまう範囲に限っても、私が一生かけたところで到底知り尽くすことのできない広がりがあることも痛感した。

 これからの世の中がどうなっていくのか、この文章を書いている今、まだまだ見通すことはできない状況だ。しかし、新型コロナウィルスによって、あるいはその他の何かによって私たちの生活がどんな制限を受けようと、自分の近くにあるものにじっくりと目を向ければ見出せる楽しみがある。・・・

 

P151

 日本にある離島のデータを集約した『SHIMADAS(シマダス)』という事典がある。公益財団法人日本離島センターという団体が作成しているもので、・・・1750もの離島の情報がギッシリと詰まっている。

 ・・・パッと開いたページに出てきた島へ行ってみることにした。運まかせの島旅である。

 1700ページ以上あってズッシリと重たい『シマダス』を適当に開く。よっぽど普通に行くのが困難な場所でない限り、開いたページに掲載された島に行くと決めたのだ。目を閉じて一呼吸。気合いを入れて本を開くと、現れたのは「横山島」という名の島だった。

『シマダス』の記載によれば、「賢島の南約400mの海上に浮かぶ小島。民宿を営む1世帯が住む。島への行き来は電話をすれば自前の船で賢島にすぐ迎えにきてくれる」とのこと。・・・

 記載にある通り、その横山島へ行くためには賢島という島にまず行く必要がある。賢島は、三重県志摩市志摩半島の南にある英虞湾に浮かぶ島。・・・近鉄志摩線が乗り入れているから特急電車に乗れば大阪難波駅から乗り換えなしで2時間半、一気に賢島まで行けてしまう。

 ・・・調べてみればみるほど大阪に住む自分にとっては行きやすい島なのであった。我ながら〝シマダスめくり運〟がいい。

 ・・・

 ちなみに私が泊まる予定の横山島にある民宿「石山荘」のプランは素泊まりのみ(当時)で、食事の用意はない。事前に電話で宿のオーナーとお話しした際にも「うちは本当に何もない宿ですので」と繰り返しおっしゃっていた。天気のいい日に夕日がきれいに見えるのが自慢で、それ以外に特別なものは何もなく、静かな時間をゆっくり味わうだけの場所だという。

 ・・・

 石山荘は創業から間もなく半世紀。現オーナーが父親から宿を引き継ぐにあたり、若い頃に旅した東南アジアの心地よさが忘れられず、その雰囲気をイメージして作り変えたのだという。

 もともとの建物を活かしてリフォームされているため、日本の民宿風の雰囲気とバリ的なムードが混ざり合っているのがおもしろい。

 宿のあちこちをじっくり見たいところだが、早くしないと夕日が沈む。部屋の窓からでも夕日が見えるそうだけど、やはり宿の前、船着き場からじっくりと眺めたい。向こうの山に沈んでいく太陽をつまみに、買ってきた発泡酒を飲む。夕日が沈んだあと、ピンク色になっていく空を気が済むまで眺めてから宿に戻る。

 1階の暖炉にはすでに火が入れられていてあたたかい。30分に1回ほどのペースでオーナーが薪をくべに来てくれる。

 日が沈んだら、あとは時間がゆっくり流れるのを感じながら過ごすだけだ。取材時は他に宿泊客がいなかったのもあり、オーナーが暖炉の火加減を見ながらたっぷりお話を聞かせてくれた。

―ゆったりした気分で過ごせていい宿ですね。いつからこういう、バリ風の雰囲気になったんですか?

「平成10年頃だから、20年以上前になるかな。それぐらいから徐々にやり出しましたね。35年ほど前に、夫婦でバリ島に行ったの。はじめて見るものばかりで、カルチャーショックを受けて、カルチャーショックにも良いほうと悪いほうがあると思うけど、非常に心地いいカルチャーショックだったのね」

―肌に合ったんですね。

「いちばん驚いたのは、暗いって落ち着くんだなっていうことだった。単にその時代、電力事情が悪いだけだったみたいで、今のバリはもっと明るいんだけど、暗さが心地良かった。幼少期の頃を思い出させてくれるようでね」

―以前の造りから大きく変えたんですか?たとえばこの1階部分は……。

「柱から全部変えた。変わってないのはフロントの位置だけかな。それまでは1階にも客室が並んでたんだけど、夫婦ふたりでやっていくのにちょうどいいペースを考えたら『いらねーや』ってなって(笑)。だったらお客さんが使えるユーティリティスペースにしたほうがいいんじゃないかって」

―部屋を増やすより居心地の良さを重視したということですね。

「そのほうが2階の客室にも専念できますから。客室を減らすことについては、同業者の仲間には『アホちゃうか』って言われたけど、でもアホちゃうかって言われるってことは正解だなって思ったの。一人ひとりが余裕を持って広々と過ごせるほうがいいじゃない。それで少しずつ自分で手を加えて、でも、まだ自分のなかでは完成してないと思ってるんですけどね」

 ・・・

―昔は他にも住民の方がいらっしゃったんですね。

「今はうちの夫婦だけ。やっぱり、生活していくうえで不便なことがたくさんあるからね。ガスは切れる前にガス屋さんに電話してプロパンを運んでもらわなきゃいけない。何か故障したら電気屋さんを送り迎えして来てもらわなきゃならない。どうしても一度、陸の生活を知ってしまうとね」

―そうですよね……。

「だからここは『交通至便な不便な宿』なの。賢島までは特急に乗ったら都会からドアツードアで一気に着いちゃうでしょう。この宿も、桟橋までは駅から300メートル。だけどそこからは船に乗らないと行き来できない。不便だよね」

―海で切り離されているからこそ落ち着くような気もします。

「この不便さを覚悟したうえで来ていただけるといちばんありがたいですね。かといって砂浜があって泳げたりするわけでもない。泳いだりトレッキングしたり、そういうアクティブなことを期待されても困るの(笑)。もうただリラックスし、ゆったりしてほしい」

―不都合や不便を覚悟してゆっくり楽しむと。

「そもそも旅に出るって不便の連続じゃん。いちばん便利なのは家にいることだからね。『トラベル イズ トラブル』、『トラブル イズ トラベル』っていう言葉が好きなんです。だからここで暮らせるんです。毎日天気は違うし、風が強いと波が立つから船でここから出られないこともあるし」

―オーナーにとって島で暮らすというのがやはり大事なことなんですね。

「いや、この島に来たのは出会いがしらですよ。親父が戦争から帰ってたまたまここに来た。狙って来たわけじゃないんです。本土でもどこでも良かった。来てみたら結構快適だったというだけでね。でもそういう場所が、最終的には僕の精神安定剤になったという。全部出会いがしらなんです。あんまり考えて計画しないからこういう場所に住めるんだと思う。自然にも翻弄される場所だし、台風が来たらお客さんに謝ってキャンセルしてもらわなきゃいけないし。朝起きて『今日は風が強いな。じゃあ何をしよう』って。『晴耕雨読』というやつですよ。天気の悪い日に頑張っても仕方ない。風の強い日だからこそできる作業もあるし」

―賢島に観光で来る人は、増えたり減ったり変化していますか?

「(伊勢志摩)サミットのあとは宿泊バブルが少しあったけど、あまり変わらないですね。バブルとかリーマンショックとか、そう影響を受けない土地なんです。京都や東京みたいにオリンピックとかインバウンドの影響もあまりないし。ただ今回のコロナは大きいね。厳しいね!しんどいね!まあでも、『トラブル イズ ビジネス』だよ(笑)。こんなんでダメになるのも割り切れへんやん!大丈夫、なんとかなるでしょう、でもしんどいね」

 ・・・

 ・・・電車に乗ると、うたた寝をしているうちに大阪まで一気に着いてしまった。今朝まで確かに横山島にいたはずなのに、今はもう住み慣れた町にいる。この妙な感覚が好きで、また旅に出たくなる。