ユダヤとのつながり

神社めぐりをしていたらエルサレムに立っていた

 この辺りも興味深く読みました。

 

P92

 エルサレムに初めて神殿を建てたソロモン王の時代、紀元前10世紀頃、外国との交易を広げるために大型の船・タルシシュ船が東アジアまで行き来していました。こんな大昔に大型船でアジアまで物資を運んでいたと思うとワクワクしますね。そして、前7世紀頃になると、西アジア方面から多くのイスラエルの民が台湾を経て八重山列島へと入ってきたそうです。台湾の東方に浮かぶ八重山列島の一番手前の島与那国島は、旧約聖書の「ヨナ書」に由来しているのではないかと言われています。・・・

 「八重=ヤーヘー」とはヘブライ語で神を意味します。八重山列島に入った渡来の民は、久高島を経由して沖縄本島へと入ってきました。もしかすると、このルートが、「久高島から沖縄本島のヤハラヅカサに神様が到着した」という沖縄神話に繋がってくるのかもしれません。ちなみにヤハラヅカサとはヘブライ語で「神の山」もしくは「神の立石」を意味するそうです。

 沖縄には「ニライカナイ」という他界概念があります。遥か遠い東の海の彼方にあるとされている「ニライカナイ」。この言葉もまた、ヘブライ語に訳すと「耕された畑の島を得て長く住む」という意味。

 また、那覇「ナハ」は安息、安住という意味。イスラエルの民が東の島々に約束の地があると信じて旅してきたことと関係があるようです。もう、ここまでくると、もはや偶然の一致とは言えない気分になってきますね。

 2015年、沖縄の神女の方に伊平屋島という島に連れて行って頂きました。「イヘヤ」を逆さに読むと「ヤヘイ」「ヤーヘイ」と、ヘブライ語で神を表す言葉になります。その島には「ヤヘー岩」と呼ばれる巨大な岩石があり、その近くにはクマヤ洞窟と言われる大きな洞窟があります。このクマヤ洞窟は元祖「天の岩戸開き」の舞台であったとされ、・・・沖縄と本島を結ぶ起点になる場所の一つだと言われています。

 こうやって紐解いていくと、ユダヤと沖縄と大和・倭(日本)の神々がうっすらと重なって見えてくるようです。

 ・・・

 沖縄にはユダヤの風習と類似したものが沢山ありました。今まで私はこんなことを、全然知りませんでした。

 いくつか挙げると、まずは過越の祭り。「旧約聖書」の出エジプトのお話の中に、エジプト中の長男が急病で死ぬという災いがあります。その時、神はイスラエル人だけに子羊を屠り(殺し)、その血を家の入り口の柱と鴨居に塗ることを命じました。そうすればその家には災いは起きないというのです。真夜中、エジプト中の家の長男は突然死しました。しかし、約束通り、イスラエル人の家は「過ぎ越して」いったのです。そして、この出来事は今でも「過越の祭り」として存在しています。

 このお祭りととてもよく似た風習が沖縄にもありました。それは「島クサラシ」「島カンカー」「看過牛」と呼ばれるもので、やはり屠った牛の血を家や町の入り口の柱や鴨居に塗ると、災厄が入り込まないというものです。時期も、古代イスラエル人が子羊の血を塗ったニサンの月。これはユダヤ暦の正月と同じ、2月上旬。旧暦でいう正月なのです。

 他にも・・・「男は女にかかると愚かになるよね」という「イキガヤ・ソーキブニーヌ・ティーチタラーン(男は肋骨が1本足りない)」という、まるでアダムの肋骨からイブが出来たというお話を真似たような方言があるとか……想像以上に色々あると聞いて、びっくり。

 

P143

 ・・・「『伊勢音頭』はモーセの姉ミリアムが、紅海を渡った時に歌ったものと同じなのではないかと言われている」ということを教えて下さいました。戻ってからネットで検索してみると、いくつか記事が見つかりました。・・・

 

 伊勢音頭

伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ ア ヨーイヨイ

尾張名古屋は ヤンレ 城て持つ

ササ ヤートコセ ヨーイヤナ アリャリャ

コレワイセ コノナンデモセ

 

 そして、ヘブル語の歌を研究していた川守田英二さんによると、

 

ササ(汝ら喜び悦べ)ヤー・トコー・シェル(主は敵を海に投げ入れた)ヤーエ・ヨハナン(主は憐み深く)

アハレリヤー(主を賛美しよう)コレ・ワイシェ(主は人々を召し出して救われる)コーノ・ナギイド・モーシェー(主はモーセを立て導かれる)

 

 となるそうです。