こんな家に住んできた

こんな家に住んできた 17人の越境者たち

「あなたはどんな家に住んできましたか?」という質問からはじまる、十七人の方の人生。国も職業も時代も様々で、興味深かったです。

 印象に残ったところを書きとめておきたいと思います。

 

ベニシア・スタンリー・スミスさん

P117

 家族のストーリーについては、全てを語るのは難しいの。ファミリーが真っ逆さまになったと感じたこともあったから……。とくに娘の病気は、簡単に語れるようなことではなくて、半分だけ語ると全部が嘘になっちゃうという気持ちがします。

 でも、私はいま、自分は人生を楽しんできたのだと感じているのよ。いろんな人のお陰で日本での生活も面白かったし、イギリスに戻るつもりもないの。

 貴族の生活を逃れてイギリスを出たときから、穏やかな人生とは自分の心の中にあるというのが、私の思いであり続けてきました。

 朝、起きたら瞑想をして、心が落ち着いたら、庭がとても綺麗に見える。それだけで私は幸せ。お皿を洗ったり庭のお花を見たり、空を見たりしているだけで、人はとても幸せな気分になれる。

 昔の話をずっとしてきたけれど、今この瞬間だけにしか「人生」はないんだ、というのが私のいちばん伝えたいことね。

 

田中未知さん

P160

 ・・・田中さんの作品『質問』・・・

 自宅に送られてきた本を手に取ったとき、ぼくはその出来栄えの素晴らしさに感動した。

『質問』は寺山修司の秘書をしていた彼女が、一九七〇年代に出版した現代アートとも言える一冊だ。

<鏡に映る自分に話しかけたことはありますか>

<三分間で何人に「さよなら」が言えますか>

<ここより一番遠い場所とはどこでしょう>

<寂しさはどの方角からやってくるのでしょうか>……

 頁を開くと一頁に一つの質問が書かれており、その数は一年分の三百六十五個。ちなみに<時間を保存する方法を知っていますか>という問いに対して、寺山修司は「これは記憶もしなければ記録もしないことだと思います>と答えたという。

 

井原慶子さん

P183

 ノーフォークは一〇〇メートルくらいの通りに、商店が十軒ほど並ぶだけの町です。近くにスネッタートンというサーキットがあり、レース関係のショップやファクトリーが周囲に集まる「レース村」なんです。

 ・・・

 スーツケースを引きずってこの村に来たとき、私は初めての一人暮らし、しかも海外ということで、「ここに私が住むんだ」とわくわくしていました。でも、実は新居での思い出はあまり良いものではないんです。というのも、隣のお肉屋さんの店員のおじさんたちが、売れ残りの腐った卵をがんがん投げつけてきたからです。理由を聞いたら「日本人が嫌いだからだ」と言われ、それからの毎日は胃が痛くて泣いていました。にこにことお肉を買いにいくうちに誤解が解け、最終的にはバーベキューに誘われるほど仲良くなれたのですが、今でも日本人だからと差別された悔しさは胸に残っていますね。

 ただ、これが昔の自分だったら、そんなふうにコミュニケーションを取ることはできなかったと思います。それまでの私は苦手な人からは遠ざかるようにしていました。でも、あのときは卵を投げつけてくる人たちに向かっていけた。それができたのは、フェラーリ・チャレンジのセレモニーでミハエル・シューマッハに会ったとき、彼に言われたこんな言葉を肝に銘じていたからです。

「どんな環境でも自分のモノにする覚悟を持ちなさい。嫌な奴を自分の味方に付けられるようになると、それが結果につながるから」

 世界中の実力者が集まる場所でチャンピオンになるためには、速いだけではダメ。不利なマシン、嫌いな奴も含めて、周囲の全てを自分の側に取り込まねばならない、と。それからレースをやって私が変わったのは、嫌なことや嫌いな人と向き合っても、それで死ぬわけではないという気持ちが芽生えたことでした。シューマッハの言葉とレースの世界での経験のおかげで、いつの間にか自分が大きく変わっていたんです。

 

利根川進さん

P238 

 ・・・スイスでの日々・・・その当時の僕は、何しろ研究が面白くてたまらない。毎日、研究所しか行かない生活をしていたから。

 ・・・

 昼も夜もあまり関係ない研究生活で、集中力が続く限り研究して、疲れたら帰ってくる。一週間もするといつの間にか昼夜逆転している。それをウィークエンドに調整する。だから、家で何かをした記憶といえば、論文を書いたことくらい。

 ・・・

 たまにはスキーに行ったり、山に登ったりもした。でも、何をしていても研究のことが頭から離れなかった。コンサートなんかに行っても、「あの実験はどうして上手くいかなかったんだろう」と音楽を聞きながら考えてる。それでアイデアが浮かぶと、すぐにでも席を立って研究所に戻りたくなる。要するにスキーやコンサートよりも、研究の構想を練っている方がはるかに楽しい。楽しさのレベルが違ったんだ。

 ・・・

 一つひとつの研究の思い出を熱っぽく語る姿に接していると、「研究」というものの最前線に身を置くことが、彼にとっての人生の意味そのものであることを実感させられた。また、同時に伝わってきたのは、この世の中において研究者以上に面白い仕事はない、と彼が心の底から確信していることだった。

「これまで研究者を続けてきて一つ間違いなく言えるのは、成功する研究者には独立心が必要だということだ。強い個性があると、周りから嫌われもする。でも、どんな批判にさらされても、『これは俺が判断する』と言えるかどうかが、その人の道を決めていくんだ」

 そうした言葉を次々に語る彼が、インタビューの中で一度だけ言葉を失った瞬間があった。それは「利根川先生にとっていま、家とはどんな場所ですか」と聞いたときのことだった。あまり褒められたものではない抽象的な質問だったが、これまで滔々と話していた彼が、そこでふと押し黙って考え込んだのは少し意外だった。「僕は研究をして、それを楽しむのが生活の主体だったから……」と彼は言った。

「言うなれば、戦場から戻る場所ということになるのか……。そのへんはよく分からないな。もし自分が研究をしなくなったら、家でやることがあるのかなァと思う。どうやって自分は生きていくのかな、と思うことがあるんだ。僕には趣味もないしね」