久米宏です。

久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった

 久米宏さんが仕事に就いてから、どんなことを考えてどんな工夫をしてきたか。

 詳細に語られていて、興味深かったです。

 

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ニュースステーション』を続けていてよかったと心から思うのは、実にさまざまな人に会えたことだ。番組のおかげで、生涯会えるとは夢にも思わなかった人へのインタビューもかなった。

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 インタビューで心がけていることは、これまで聞かれたことのない質問をして、相手が初めて語る話、初めて見せる表情を引き出すことだ。自分が取材を受けたときに身に染みて感じたことでもあるが、同じような質問に同じような答えを繰り返すことほどつまらないことはない。想像を超える問いがあってこそ、聞く側、答える側に新しい発見がある。

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 インタビューをする際は自分なりの鉄則がある。それはメモをつくらないということだ。・・・

 質問は最初の一つ二つを考えておき、あとは成り行きに任せる。要するに雑談だ。雑談だから脱線を恐れない。一つのテーマに沿った会話など日常ではありえない。他愛のない話をして、それを見ていた人が感心したり考え込んだりする、そんなインタビューが僕の理想だった。

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ニュースステーション』の後半から始めた「最後の晩餐」は、「明日死ぬとわかっていたら、あなたは最後に何を食べたいか」という質問を中心に、その人の死生観、人生観を探るコーナーだった。

 長嶋茂雄さんをお招きしたことがある。その天才と人柄を伝える「長嶋伝説」はすでに巷にあふれている。僕は長嶋さんに関する資料のほとんどに目を通し、まだ話していない空白部分を探した。その一つが終戦時の体験だった。

 1936年に千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)で生まれた長嶋さんが終戦を迎えたのは9歳のときだ。当時のひどい食糧難を食べ盛りの長嶋少年はいかにして乗り切ったのか。

 僕の問いに長嶋さんは当時を思い出そうとした。いつもの流暢な話し方ではなく、「えーっと」と口ごもる。初めて見る話し方、初めて見る表情だった。

 一杯のご飯にも事欠く時代だ。長嶋少年は夕食のおかずを求めて、毎日のように釣りをしていたという。長嶋さんはひもじかった当時の思い出をなつかしそうに語られた。

 インタビューが終わった後、長嶋さんからは「こんな話をしたのは初めてですよ」という言葉を頂いた。

 食にまつわる思い出には、その人の人生がにじみ出る。

 

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 51年前、あまりに学業の成績がひどくて、普通の企業の入社試験を受けることができなかった。そんなとき、アナウンサーの募集を知って、冷やかしのつもりでその試験を受けてみた。合格することなどあり得ないと思っていた。

 そこから、この50年が始まったのだった。

「ちょっと、試験を受けてみるか……」から始まったのだ。

「とにかく、ちょっとやってみるか」これは結構大切なのだ。そして乗りかかった舟は、とりあえず一生懸命漕いでみる。それぐらいのことしか、人間はできないのではないか。

 50年は、とても長い。しかし、あっという間に過ぎてしまうものでもある。

 一生懸命舟を漕ぐ時間は、長そうでいて、短い。

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 20代の後半、ナポリに旅をしたことがある。ホテルの前に、小さな土産物店があり、その店先に一人の男がいた。両腕を頭の後ろに回して、椅子に掛けてぼんやり遠くを眺めていた。ほぼ僕と同年代の男だった。数時間ナポリ市内を見物して、ホテルに帰ってきたら、その男は、僕が出かけるときと、全く同じ格好で遠くを眺めていた。僕が出かけている間、何人かの客が来たのかもしれないし、一人の客も来なかったのかもしれない。

 僕は、彼の姿を見た瞬間、ある事実に気がついた。もしかしたら、彼が僕だったかもしれない、僕が彼であっても何の不思議もない、と。

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 僕は、たまたま、太平洋戦争が終わる1年ほど前に、日本で生まれた。あのナポリ旅行以来、「自分の人生すべてが、偶然そのものなのだ」、この考えにとりつかれている。偶然乗り合わせた舟を、懸命に漕いできただけなのだ。