温泉主義

温泉主義

 横尾忠則さんが温泉を訪れて、絵と文章をかいたものをまとめた本です。

 横尾さんの感性に触れていると、自分も異次元につながる感じがします。

 

P93

 今晩のホテル「佐勘」は伝承千年の宿である。ホテルのファッサードの一部が車寄せになっていて、そこがまるで駅のプラットホームそっくりで、タクシーは列車が滑り込むように入って行った。広大なロビーには川が流れ、橋の下には緋鯉が壁に掛けられた日本画の中から抜け出したかのように弧を描きながら泳いでいる。館内には「名取の御湯」、「河原の湯」、「大浴場」、「露天風呂」と、一回では入りきれないほど数々の湯がある。夕食前に入ったのは「名取の御湯・殿の湯」で、湯舟には檜の幹を輪切りにした板片が十ばかり浮かんでいる。湯の中で無重力状態で浮いている自分の体を触ってみると、皮膚の表面がヌメヌメした皮膜で全身が包まれているのに気づいた。こんなちょっとしたことが温泉の高級感を満喫させるのである。館内には料亭、クラブ、レストラン、カラオケバー、ワインバー、味処、喫茶室、大宴会場、パーティールーム、ガーデンプール、ショッピングプラザ、ギャラリーなどがあって、数え切れない。方向音痴のぼくは館内のエレベーターに乗って風呂に行くのだが、どうしても自分の位置確認ができず、広い館内をウロウロするばかりだった。

 この夜、ぼくは一晩中夢の中で秋保温泉の絵の構想を練り続けていた。・・・部屋の窓の下には名取川が流れている。両岸には深い樹木や巨石が左右からせり出して見事な渓谷を形づくっている。その上に背の高いアーチ型の赤い大きい橋が渡されているが、ぼくはその橋の下辺りの川の中にいる。川の中といっても水の中に入っているわけではない。ぼくの眼がその辺りにあるのだ。この位置から下流を眺めると右上手にホテルの建物と河岸に近い所に「河原の湯」と呼ぶ露天風呂の小屋が見え、左岸には滝がある。

 そんな風景を前に、ぼくは絵の構想を練っているというわけだ。とその時、下流から馬に乗った一人の武士が右岸に沿ってこちらに向って駆けてくるのに気づいた。馬上の武士は鎧兜に身を固めている。ほとんど全身が真っ黒だ。川の水量は実際よりも多く、かなり深いように思えた。その水面を馬が奔ってくるのである。その勇姿にはどこか超越したような不思議な力がみなぎっていた。馬の足が蹴散らした川面の水が周囲にパッと飛び散る。まるでキリストのように水面を走る馬は、きっと神馬に違いないとぼくは思った。やがてぼくの前で馬が止まった。ぼくと馬上の武士と眼が合った。といっても顔が暗くてよく見えない。この人物はいったい何者だろうと思ったその時、ぼくの脳内に「伊達政宗」という名が響いた。そして夢はここで終った。

 目が覚めるなり、ぼくは「そうだこの夢の光景を描けばいいんだ」と確信した。ぼくは日頃から、絵のイメージは考えたり、求めたりするのではなく、向こうからやってくるものを描けばいいんだと言い聞かせているではないか。今朝の夢はまさに向こうから馬に乗ってやって来たではないか。それにしてもこの夢は通常見る夢とは異とする別の次元からやってきた霊夢のような気がしてならなかった。それにしてもなぜ伊達政宗なのだ。

 ぼくは歴史にうとい人間だが、仙台と伊達政宗は大いに関係があるとMさんが言う。・・・この夢の話を旅館のおかみさんに話したら、伊達政宗がここの湯を好み、よく足を運んだという記録があると語った。・・・さらにぶらっと入った一階のショッピングプラザで、ぼくは意外なものに遭遇した。「いったい何だと思いますか」。

 そこには伊達政宗の兜の模造と、なんと夢で見た通りの馬上の武者姿の伊達政宗のミニチュア像を発見したのである。ここで初めて夢と現実が一致した。・・・

 観光もそこそこに仙台市博物館に向かった。何か心当たりがあるかもしれないと思ったからだ。そしてとうとうここで、伊達政宗本人の鎧兜を発見したのだった。兜には細長い金色の下弦の月がついている。他は夢で見たとおりすべて黒一色である。さらに青葉城仙台市を一望できる展望台の広場で、ぼくはとうとう馬上の伊達政宗銅像と遭遇したのだった。夢の表象がそこにあった。

 縁もゆかりもない歴史上の一英雄が事もあろうに、彼がしばし通った湯のその場所で四〇〇年の時空を超えて、ぼくの夢の中に飛び込んで来たのだった。・・・

 ・・・

 今朝の夢は死者伊達政宗のこの世への帰還であって、生者のぼくには死者の国への旅であった。生者と死者の間には二つの境域を分ける根拠なんて存在しないように思えてきた。・・・