石川直樹さんの本、印象に残ったところです。
(私が読んだのは単行本の方なので、↑の文庫版とはページが違います)
P170
視界が北極の冷たい海に満たされると、不思議と気持ちが落ち着いた。先が見えないことと行き止まりがないことは違う。流れゆく川、その先にどこまでも続く海。カヤックに乗った人は誰もが〝遥か〟をもつことができる。ぼくは時間を忘れて、ただ沖へ向かう。ひたすら水平線に向かって漕ぎ続けた。
P188
アフガニスタンという国は、このように時勢が混沌とする以前、旅人にとってユーラシアのオアシスのような存在だった。数十年前のアフガニスタンを旅した人に話を聞くと、皆それぞれ宙を見上げながらまるで夢の世界を語るように、アフガニスタンの良さについて口をひらくのだ。旅人をもてなすイスラムの教えを町の人々が体現し、移動する越境者たちは疲れた身体を小さな町で休めていく。
・・・
パキスタンのペシャワールからバスに乗り、カイバル峠を越えて、カブールを目指す。混乱の続くアフガニスタンを逃げ出し一時的にパキスタンで過ごしていた人々が再び故国へと戻り始めている最中、それらの人々が乗った幾台ものトラックが、僕が乗っているバスの横を通り過ぎていった。後ろから見える荷台には家財道具があふれ、その隙間に身を寄せ合うようにして砂埃と振動に耐える家族の姿が見える。
水不足の町では女たちが何キロもの道のりを歩き、井戸から水を汲んでまた町へと戻っていった。頭の上に置いた一杯のバケツが、その日の料理や洗濯に使う唯一の水である。彼女たちは、水を運ぶためだけに炎天下の砂漠を半日かけて歩き、子どもの世話をして一日を終える。このような市井の人々の頭上に爆弾を落とす理由などどうやっても見つけられないことを、誰もがわかっているはずだ。
カブール、マザリシャリフ、バーミヤン、カンダハール、ヘラートと、ぼくはアフガニスタンの主要都市を一ヵ月かけてすべてまわった。英語の通用度はかなり低く、旅先で覚えたダリ語と身振り手振りを駆使してなんとか旅をしながら、痛いほど身にしみたことがある。それは、彼らの底なしの優しさだ。旅人に親切な人はどこの地域にも存在する。しかし、出会ったほとんどの人が、尋ねること話すことすべてにじっと耳を傾け、気遣い、友好的に接してくれる国をぼくは知らない。母語が違うにもかかわらず、彼らは自分とコミュニケーションをとろうと知恵を絞り、なんとか対話を試みる。異邦人をここまで受け入れようとしてくれる彼らに対して、ぼくは驚きを隠せなかった。いわゆる先進国と呼ばれる国々は彼らにいったい何をしてきただろう。声無き人々の声を汲み取ろうとしてきただろうか。
・・・メディアを通して聞こえてくる声は、他の多くの声のほんの一部でしかない。土の上からかすかに聞こえる隣人の息吹をどれだけ感じられるか。今ここを意識しつつ、ここではない場所や自分と異なる人々について、少しのあいだ思いを巡らせてみることはそんなに難しいことではない。もしかしたら、本当の辺境は自分の内にあるのかもしれない、とも思う。