結婚への道 迷宮編 つづき

岡村靖幸 結婚への道 迷宮編

 つづきです。

 

こちらは劇作家の宮沢章夫さん。

P153

岡村 80年代は、人気バラエティや深夜番組、ラジオ番組もたくさん担当していらっしゃったでしょ。

宮沢 でも全部やめました。・・・仕事を全部やめて、マダガスカルに行っちゃった(笑)。逃避行ですね。

岡村 なぜ仕事を全部降りようと?

宮沢 飽きたからなんですね、これが(笑)。もっと違うことをやりたいと思ったんでしょう。それが演劇だとはその頃は思ってなかったけど。

岡村 なぜマダガスカルへ?

宮沢 どうしてもマダガスカルに行きたいという気持ちはまったく。日テレで一緒に仕事をやってたフクマというディレクターがいたんですが、彼はバックパッカーだったんです。で、ある日、マダガスカルとイランとどっちに行きたい?っていきなりなことを聞いてきた。・・・で、まんまと騙されて一緒に行った。ものすごくいい旅でしたね。

岡村 マダガスカルにはどのくらい滞在していたんですか?

宮沢 半年ですね。

岡村 なぜそんなに長く?

宮沢 帰りたくなくなったんです。単純に、自分とは違う価値観で生きてる人たちに出会ったときの新鮮さが面白かった。サルを神様だと思ってる人たちだったから。

岡村 楽しかったんですね。

宮沢 楽しかった。・・・で、その後しばらくして、カミさんと一緒に住むことになったんです。

岡村 じゃあ、いまの奥さまとはマダガスカル帰国後に再婚を?

宮沢 いや、ずっと籍は入れてなくて。住み始めて7年目に入籍したんですよ。

岡村 なぜですか?

宮沢 絶対にあり得ないことを入籍の条件にしてたんです。カミさんは、昔の大洋ホエールズ、当時の横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のファンだったんです。「じゃあ、ベイスターズが日本一になったら籍を入れよう」って。そしたらホントに日本一になった(笑)。

岡村 あり得ないと思っていたのに。

宮沢 忘れもしない。大魔神佐々木主浩が活躍したシーズンです。でも僕は、入籍したくないとかそういうことじゃなく、冗談だったんです。人生冗談ですから(笑)。そんなキッカケがなくても籍は入れたと思う。

岡村 結婚っていいものですか?僕にすすめますか?

宮沢 おすすめします。というのは、お互いのマイナス部分を埋め合う、ってきれいごとを言ってるみたいですけど、夫婦ってそういうところがあると思う。僕が得意ではないことをカミさんがやり、カミさんの得意でないことを僕がやる。オーディオの配線は僕がやりますから(笑)。

 


こちらは内田樹さん。

P246

岡村 先生の著書『困難な結婚』を読んで、「結婚は人間が成熟するための訓練の場である」とおっしゃっていたのが非常に印象的だったんです。ご自身は2度、結婚を経験されているそうですが、最初の結婚は何年くらい続いたんですか?

内田 13年間です。・・・

岡村 どうして結婚しようと?

内田 女の子と付き合うとすぐ、「結婚しよう!」って言う男だったんです(笑)。宿命的な出会いなんて求めてなかった。どんな人と結婚してもそこそこ幸せになれる気がして。

岡村 それは本でもおっしゃっていますよね。「あれじゃなきゃダメ、これじゃなきゃダメ、と結婚に条件をつけてはダメだ」と。

内田 あらかじめ、理想の結婚相手、理想の結婚生活というソリッドな枠組みがあると、自分の生活をそれに合わせなくちゃいけない。そんなの不自由じゃないですか。それより、与えられた環境に適応する方が楽でしょう。合気道の師匠である多田宏先生が「合気道家は入れ歯が合わなきゃいけない」と言われたんです。

岡村 それはどういう意味ですか?

内田 歯科医から聞いたという話を先生が教えてくれたんですが、ふつうの人は入れ歯を作っても不快感、違和感があると言って何度も作り直させるんですって。でも、合気道家は最初の入れ歯で「あ、これでいいです」って受け入れてしまう。自分の歯じゃないから、違和感があって当たり前なので、自分の身体を与えられた入れ歯に合わせちゃうんです。

岡村 つまり、自分をその環境にアジャストしてしまうと。

内田 そうです。アジャスター(笑)。合気道はそういう場への適応能力を高める技法なんです。・・・武道の用語では「座」とか「機」とか言うんですが、与えられた環境で、自分がどこに立って、何をすればいいのか、直感的に察知する。それ、武道ではとても大事なことなんです。だから、結婚の場合も、「自分がどういう人と結婚したいか」ではなく、「相手がこういう人で、こういう関係なら、こういうふうにふるまうとうまくゆく」という手立てを考えればいい。結婚生活はかくあるべしという理想形が僕にはないんです。

 


こちらはヤマザキマリさん。

P302

岡村 ・・・イタリア人のパートナー、ベッピさんと出会い結婚されるわけですが。これもまたドラマチックですよね。彼はなんと、ヤマザキさんをイタリアへと誘った〝マルコじいさん〟のお孫さんだったそうですね。

ヤマザキ それも策略だったのかっていう(笑)。・・・母とマルコじいさんは友だちだったので、母はずっと連絡を取り合っていたし、マルコじいさん亡き後は、娘さん家族と仲良くなってたんです。で、私が子どもを連れて日本に帰って4年ほど経ったあるとき、母に「あなたは知り合ったことがないけれど、マルコじいさんの家族はホントに面白いから、今度一緒に行こうよ」と誘われて。・・・そこで当時ハタチだった、マルコじいさんの孫のベッピと出会うわけなんです。カイロ大学で考古学を勉強する学生で、・・・ふとしたことから古代ローマルネサンスの話を始めたらとまらなくなり徹夜状態になって(笑)。古代ローマなんて、住んだことも見たこともないのに、「あそこの通りはこうだよね」とか「どの皇帝がいちばん好きだった?」とか、それがもう楽しくて。古代ローマルネサンスは大好物なのに、帰国してからは誰ともその話ができなかった。・・・それが彼と出会ったことで一気に解消されたんです。彼は正真正銘の変人。・・・これは面白い人だなと。

 ・・・

 向こうも同じことを思ったんでしょうね。毎日ぶ厚い手紙が届くようになったんです。自分が調査した内容であったり、私の知らない古代ローマの秘話が書いてあったり。で、・・・彼から電話がかかってきた。「結婚しませんか?」って。「僕がいま結婚を申し込まなかったら、あなたは他の人を見つけて結婚しちゃう。そう思ったら具合が悪くなりました。いま入院中です」って(笑)。

 ・・・

 ・・・それともうひとつ、うちの息子も気に入っちゃってたんです、14歳年上の男の人を。

岡村 じゃあ、結婚を決意したのは息子さんの存在が大きかった?

ヤマザキ もちろんです。だから、共同体という意味で、彼と一緒に家族をつくるのはありだなって。一緒に暮らし、しゃべりたいことをしゃべり、触発し合い、それがお互いの表現に関わっていく。・・・

岡村 結婚後は学者のベッピさんとともに、エジプト、シリア、ポルトガルアメリカ、イタリアと、世界中を転々とされて。海外から日本を俯瞰したとき、何を感じますか?

ヤマザキ すごく狭いところで悩んでる人が多いなと思います。「おおいに変人になれ」という話はよくするんです。変人になってしまえば周囲の人はみんなあきらめる。そうすれば気にならなくなるんです。空気読まなきゃとか、世間体がどうのとか。いまの日本人が悩んでることは、私にとっては歩幅5ミリの中で起こってることにしか思えないんです。もちろん、日本の中だけで生きている人たちにとってそれが大問題であることはわかります。でも、悩むんだったら、全部またいで外に出てみない?と思います。海外旅行にいこうよって。海外が無理なら、近場の温泉でも。お風呂につかれば気分も変わりますからね(笑)。