三昧を楽しむ

温泉主義

 この辺りも印象に残りました。

 

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 温泉旅行も一年半を過ぎ、さらにまだ先があるとすれば、ぼくの後期の人生に突然侵入してきた温泉は、ぼくの人生や生活の中で様々な出来事に影響を与え始めているので、これは約束された運命としかいいようがない。温泉を運命と結びつけるようになったのも、あの八ヵ月も苦しんだ神経痛がたった一回の温泉で治ったこと、温泉をテーマにした絵を描く楽しみを与えられたことである。もし温泉がなければ温泉をテーマにした絵も生まれなかったはずだ。またライフワークになりつつあるY字路シリーズの作品に温泉が結びついたことなどを考えると、そうなるべくしてなったというしかない。人生は人それぞれ約束のもとにこの世の中に放り出されて様々な運命と出会っているように思う。だからその約束された運命路線を走っていると考えている。でないと実にわからないことだらけだからだ。なぜこうなったかと自らに問うてみても、明快な答えが返ってこないことなどいくらでもあるじゃないですか。あの時、あの人やあの出来事と遭遇していなかったら今が存在しないことになるでしょう。まあ蚊に刺された程度の小さい事は問題外(時にはマラリアになって死ぬ場合もあるが)だけれども、なかには人生を決定する大きい出来事は誰でも過去にいくつもあったはずだ。出来事の大小にかかわらず、われわれは運命の女神に導かれながら運命の大海を当てもなく航海して苦楽を共にしているのが人生じゃないでしょうか。そんなことを最近、この小さな温泉旅行で考えさせられるのである。

 Mさんや妻との行動を考えてみても、そうしようと決めてやっているのではないから、何か別のルールが働いているように思える。だからあれこれ意味づける必要もなく、なるようになるとか、どうでもええやんけみたいな、自分を客観視する視点が生まれてくるのだ。これも古稀を迎えていよいよ老境に入ったために、能動と受動の間で気づく感情なのかもしれない。

 今回の温泉は、かつてMさんが三度にわたって訪ねたことのある顔なじみの旅館で、Mさんには縁のある場所である。その場所にわれわれ夫婦が御相伴にあずかったというわけだ。・・・

 岩室温泉のそばには良寛さんが約二〇年間居を構えた草庵がある。そういえばこの間、良寛さんに関する中野孝次さんの本などを二冊ほど読んだばかりだった。その理由は老いの生き方に良寛さんを通して触れてみたかったからだ。ある意味で良寛さんの生き方には憧れるものがあるが、あれはあれで良寛さんが自らに約束した運命を果たしただけで、ぼくに良寛さんと同質の運命因子がない以上、ぼくはぼくの生き方しかできないというルールに従うしかない。それにしてもついこの間まで良寛さんに親しんでいただけに、まさか良寛さんの地に来るとは思いも寄らなかった。こういう出会いを今までだったら、シンクロニシティだといって喜んだものだが、最近は特別に共時性の神秘をことさら大げさに考えることもなく、ごく自然であると思うようになった。

 

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 石和温泉以来ぼくの絵が変わってきた。まあ、毎回スタイルが違うといえば違っているのだが、ここにきて急に画面に様々なエピソードが入り込むようになって複雑な様相を呈してきた。Mさんは「寓話みたいで、絵って本来こういうもんじゃないでしょうかね」と言う。でも要素が増えれば増えるほど絵画から遠ざかっていくような気がするが、ぼくの中で絵画でありたいという想いは最近ますます薄れていっているように思う。従来の絵画でないものに憧れ始めているのである。

 年齢と共に、どうでもええやんけという気持が強くなってきていることは確かである。こうあらねばならないという理由はどこにもない。日常生活や人間関係にもこのような現象が表われているけれど、それが一番端的に表われているのが作品だと思う。作品は描かなければならないという時期から、描きたきゃ描けばいい、嫌なら描かなくてもいいと、少し無責任になってきている。もともと作品にいちいち意味や責任を持たせることなどには興味がないので、好き勝手に三昧を楽しめばいいのだ。・・・

 この「温泉主義」はもともと温泉の取材でスタートしたのに、最近では現地に着くなりぼくの関心事は絵の取材に変ってきている。今回だって那須塩原駅からタクシーに乗った途端、絵のイメージづくりが始まった。タクシーが向かう方向には杉木立があちこちに見え、まるでルネサンス絵画に描かれている風景にそっくりではないか。ダ・ヴィンチの描く樹木が様式的だと思っていたが、とんでもない。ありゃリアリズムである。そんなことが解っただけでも大発見だと思ってしまう。そんな杉木立が田植えの準備で水をいっぱい張った鏡のような田んぼの水面に逆さに映っている風景などはコローの絵画そっくりだ、なんてまるで初めて見るように、ぼくはいちいち驚いているのだった。