結論はまた来週

結論はまた来週

 フリーペーパーR25に連載されていた文章なので、対象が20代男性ということもあり、ふ~む?というところもありましたが(;^_^A面白かったです。

 

P17

 ・・・江戸時代の国学者本居宣長は歌詠み初心者のために「大口訣(秘伝)」を説き明かしているのでここに紹介したい。

「情は自然なればもとむることなし、只詞(ことば)をもとむ」(『排蘆小船・石上私淑言』岩波文庫 2003年)

 哀しみなどの感情は自然に出てくるものだから、それを追い求めてはいけない。ただ言葉を求めよ。そうすれば感情がついてくるという。

 例えば、歌を詠もうと花を見る。通常、人は花を見てまず感動し、その感動を言葉にしようとする。しかし感動しようと身構えると期待外れになりがちだし、感動を言葉にするとどこかウソっぽくなる。そこで宣長は、感情より先に言葉を求めよとアドバイスする。感動していなくても「いと面白き」と詠んでしまえ、と。本心ではないかもしれないが、「面白き」と思いたい気持ちは本心だと、半ば無理やり感情を引き出すのである。

 物事にあたってはまず、「それは面白い!」と声に出せばよい。不思議なことだが、そう口にすると本当に面白いか否かは別として、どう面白いのか述べずにはおられない。「面白い!」という言葉が、続く言葉を呼び寄せるのだ。私はスーパーで大根に「面白い!」と声をかけた。見慣れたはずの大根だが、よく見ればそれぞれ味わい深い。1本1本、色つやと曲がり具合が異なっており、その並ぶ様が電車で向かい側に座る人々の足に見えた。「大根足」とは「太い」ではなく、この多様性を意味していたのだと思い知り、今まで何も見ていなかったことに気づいたのである。

 

P22

 私は金運に見放されているのだろうか?本は売れないし、宝くじも当たらない。金は天下の回りものだというが、私のほうには回ってこない。・・・などと嘆いていた矢先、私は銀行のATMで1万円を拾ったのである。操作画面の横にポツンと置かれた1万円札。落とし主がまだ近くにいるかもしれないと振り返ったが、誰もいない。

 どうすればよいのか?

 これを手にすれば置き引きと疑われかねない。しかし見て見ぬふりもできない。ATMの防犯カメラには私の姿も撮られているはずなので、早速備え付けの電話を取り、銀行に通報した。すると「お手数ですが、警察に届けてください」とのこと。なぜ私が?と思ったものの、つい「はい、わかりました」と答えてしまい、やむなく近くの交番に向かった。1万円札を財布に入れると自分のお金と紛れてしまうので、そのまま手に持って移動。いかにも拾ったという風情で1万円札を人差し指と親指で挟み、宙に浮かすようにして歩き始めたのであった。

 誰かに見られている。

 歩きながら私は思った。善いことをしているのに責められている感じ。善行の内に潜む邪心を見透かされているような緊迫感に襲われたのである。

 ・・・では、私は誰に見られているのか?確認すべくあたりをキョロキョロ見回したりすると、かえって行動が怪しげになるのでいかんともしがたく、しまいには逆に「誰かに見ていてほしい」と思った。見られる恐怖を一掃するには、皮肉なことに確実に見ていてくれる存在が必要なのである。・・・

 ・・・交番に到着すると、警察官はパトロール中で「御用の方は本署までお越しください」と札が掛かっていた。そこで私は約30分かけて警察署までそのままの姿勢で歩き続けたのだった。災難にも思えるが、それこそ汗だくになって健康運は吉というしかない。