西加奈子さんのエッセイ、おもしろかったです。
巻末の小林エリカさんの解説に
「たとえそれがどんなに醜い感情であったとしても、彼女はそれを決して誰かを責めることに使ったり、なかったことにはしない。
そう、彼女は、その醜ささえも、抱きしめる。
だから、彼女は、失敗を恐れないし、進化し、更新し、進んでゆく。」
とありましたが、私もその辺りに迫力を感じました。
P33
初めて「ゲルニカ」を見たときの衝撃を覚えている。8つのときだ。震えた。怖くて、ではない。圧倒されたのだ。・・・私は当時、ピカソがどんな人物か分かっていなかったし、「ゲルニカ」が戦争を描いた絵だということも知らなかった。私はその絵に、ただただ心をがっしり摑まれたのだ。
先日新幹線に乗ったとき、斜め前の座席に白人男性が座っていた。鼻が眉間からびよんと盛り上がっていて、目が真っ青でだいぶ奥にあり、ほとんど桃色をした皮膚に、きらきら光る金色の毛が丁寧に生えていた。ふと、彼を生まれて初めて見たのだったら、とても驚いただろうな、と思った。白人を描いた昔の日本人の浮世絵など、まるで「鼻長白おばけ」だ。描かれた白人がその絵を見たら、「えーもう絶対俺めっちゃ嫌われてるやんー」と思っただろう。描いた日本人は差別という感覚など毛頭なく、自分たちとのあまりの違いに、ただただ素直に驚いたのだ。彼らの気持ちになりたい。驚きたい。心をがっしり摑まれたい。私はなるべくフラットな精神状態になるように努めて、彼をじっと見つめた。あの人初めて見た、あの人初めて見た、あの人初めて見た。でも、まったく驚けなかった。経験が邪魔をする。私は白人男性を、もう知ってしまっているのだ。・・・
私はイランで生まれた。初めて見たのはきっと母ではなく、イラン人の医師や看護師だったのだろう。私は彼らを見て、麻酔で眠っている母を見て、どう思ったのだろうか。この世界を見て、窓やベッドや人の指や花や血を見て、どう思ったのだろうか。きっと震えた。ぶるぶると。でもそれは何に対する震えだったのだろう。そのときの感覚に戻りたくて仕方がない。
P61
私の部屋は、とても綺麗だ。
私のせいか作品のせいか、「あいつんち絶対汚いやろ」と思われているふしがあるが、いいえ、綺麗です。猫がいるものだから、マメに掃除をするし、クローゼットの中も、洗面台下の棚も、冷蔵庫も、自分が把握できるものしか入れないようにしている。買い物に行くときは、あるものを確認してから、必要なものだけを買い、ハンガーと靴箱を増やさないようにして、いらなくなった服や靴は、親戚の子に送るか、思い切って捨てる。
昔はそうではなかった。・・・捨てようとする際、ある言葉が頭をよぎるのである。
「ちょっとした」だ。
「これ、ちょっとした小物を入れるのに使えるかも」
「ちょっとした旅行に使えそうだわ」
ないよ。
ちょっとしたシチュエーションなんて、ないよ。
私はまず、この「ちょっとした」という言葉を捨てた。そうすると、とても気持ちが良かったのである。
私は嬉々として様々なものを捨て始めた。いったん『TOY STORY 3』を見て泣きながら土下座するはめにはなったが、それでも家の中のものを把握しているのは、素晴らしいことだった。憧れていた「シンプルな暮らし」を手に入れたのである。
だが、この生活を続けるうち、ある弊害が出て来た。「いらぬものを置いておきたくない」がために、少しでも物が溜まると、気になって気になって仕方がないのである。
例えばお土産にもらった韓国海苔が三つほど溜まると、たまらなくなって深夜にバリバリと食べてしまうし、送ってきてくれた雑誌なども、数日のうちに無理やり隅々まで読み切ってしまおうとする。清潔と健やかさはイコールだと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。
私がこれから捨てなければならないのは、「絶対に」とか「やるからには」だろう。捨てなければならないものは、いつまでもついてくる。
P211
数年前、初めてニューヨークに行ったとき、ブルックリンのフォートグリーンという場所に足を運んだ。行きたい服屋があったのだ。
だが、なにぶん初めての土地、方向音痴でもある私は、道に迷ってしまった。うろうろしているうちに、喉が渇いたので、ちょうど目についた、こぢんまりとしたグロサリーに入った。コーラを手に取り、レジに行くと、カウンターには髪の毛を大きなお団子にしたおばあさんが座っていた。そして、レジ近くのラジカセ(!)から、聴き知った曲が流れていた。カーティス・メイフィールドの、『(Don't Worry) If There's a Hell Below,We're All Going To Go』である。おばあさんは、曲に合わせて、軽く体を揺らしながら、レジを打った。痺れた。彼女の真っ白いお団子頭や、黒い魔女みたいな服や、不愛想な顔で、それでも体を揺らしてしまう感じが、どうしようもなくクールだった。
その後、やはりしばらく迷いながら、でも感動を胸に、コーラがなくなる頃にやっと、目的の店に到着した。そこは、カップルで経営しているセレクトショップで、ベージュのコーデュロイのキャスケットをかぶった男性と、金色のフープピアスをした、大きなアフロヘアの女性がいた。ふたりのお洒落さも眩しかったが、私の耳に飛び込んできた音楽が、また私を痺れさせた。
『Move On Up』、再びカーティスである。
ふたりはやはり、曲に合わせて揺れており、私はほとほと、感動してしまった。渋いおばあさんと、お洒落な若いカップルが、思わず体を揺らしてしまう歌手が、同じ人物だなんて!
自分がかつて、自分の祖母や祖父と、同じ曲や歌手で盛り上がったことが、あっただろうか。ブルックリンを歩きながら、そんなことを考えた。そしてふと、昔行った、沖縄の光景を思い出した。
コザという古い町の、ある祭に遊びに行ったとき見たのは、老いも若きも男も女も、皆が同じ曲で踊り狂っている姿だった。感動した私が、友人に、この歌手は誰だと訊くと、それは登川誠仁だった。彼がとても有名な方で、「日本のジミヘン」と言われているのは、後に知ったのだが、うねるような歌声や哀愁、どうしようもなく溢れている「ギャング感」みたいなものは、ロックというより、ソウルのそれだった。
後に訪れたLAで、私は、あるラップグループに登川誠仁のCDをプレゼントした。彼らはそれを聴き、「なんてクールなんだ!」と、大いに沸いた。誠仁の声に合わせて、踊り出す人までいた。私はそのとき、「あ、今、国境を越えた」と思った。フォートグリーンでカーティスを聴いたときのように、ものすごく素直に感動したのだ。
いつか、自分の孫や、孫と同じような年齢の人や、肌の色の違う人や、言葉が全く分からない人たちと、それでも同じ曲で体を揺すり、共に口ずさめる日が来ればいいな、と思う。