違いを受け入れる

学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)

 みんな違っていい、そして違いを受け入れるということは、しんどいことでもあるというお話、なるほどと思いました。

 

P222

鴻上 対話の重要性と並んで、工藤さんは感情的な対立は避けるべきだと、今回の対談では何度も訴えていますね。

工藤 誰の責任にもしないということがほんとうは大事なんです。自分たちを責め過ぎることもすべきでないし、相手を責め過ぎることもしてはいけない。問題は仕組みなのだから、この仕組みをどうやったらみんなで変えられるかということを淡々とやればいいんです。

 それなのに、相手が悪い、誰が悪いと、あえて敵を設定し、感情の対立を起こしちゃうケースが多いんですよ。だからうまくいかない。感情の対立が表面化するから物事が進まない。

 ・・・

鴻上 感情をコントロールしながら、共通の目的を一緒に探すということですね。

工藤 対話を通して共通の目的を探し出す、その訓練を子どものころからしなきゃいけない。これが民主主義というものですよ。

「誰ひとり置き去りにしない」(「誰一人取り残さない<leave no one behind>」という、あのSDGsのせりふ。これを考えた人はすごいなと思うのは、「誰ひとり置き去りにしない」というせりふによって共通の目的が探し出せるようにセットになってるというところ。よく考えたなあと思いますね。

 

P239

鴻上 ・・・やっぱり教育と演劇は通底していると感じます。たとえば、自分以外の役を少しやるだけでも、はるかに他人に対する理解が深まるわけです。それをドラマ教育と呼んだりしています。

 ・・・

 ・・・ワンシーンを演じてみるだけでもいい。演じるのはひとりでもいいですよ。役になりきったひとりに、いろいろ質問するのも面白いじゃないですか。シンデレラの継母に、どうしてそこまでシンデレラをいじめたんですかということを質問するだけでも、ドラマ教育になります。

工藤 面白い。

鴻上 ・・・ひょっとして、実の二人の娘と比べてシンデレラの美しさが怖かったからとか、再婚前に女手ひとつで二人を育てるのが経済的にすごく苦しかったから、とにかく経済的に安定したくて王族に入れたかったからとか。素朴な疑問を持つことで、役の気持ちだけでなく、社会の構造も見えてくるかもしれない。それがドラマ教育ですね。

 ・・・

 めざすのはシンパシーではなく、エンパシーです。シンパシーは同情心と訳されて、「シンデレラはかわいそう」と感じることです。「エンパシー」は、相手の立場に立てる能力ですね。・・・多様性の時代には、シンパシーという同情心じゃなくて、エンパシーという相手を知る能力を育てることがとても大事だと僕は思っているんです。よく「自分が人にされて嫌なことをひとにするな」といわれますが、これはシンパシーの話です。「自分の好きなことをひとにしてあげなさい」というのもシンパシーです。だけど、世界は文化も価値観も違ってるわけだから、自分がされて嫌なことが相手にとって嫌とは限らないし、自分がしてほしいことが相手もしてほしいとは限らない。おじいちゃん、おばあちゃんが孫にコンビニでお菓子を買ってあげると、オーガニックを志向する母親が怒るといった話です。

 ダイバーシティのなかで生きていくにはエンパシーを獲得していくしかないと思う。相手の立場に立つことのできる能力を教育の場で育てていくことはじゅうぶんに可能だと思います。

 

P244

工藤 いま世の中では、グローバル化が叫ばれています。だからこそSDGsが主張されているわけですが、日本はまだ内実が伴っていません。全世界、全人類が存続できるかということを、今本気になって世界中が考えてる時代ですよ。なのに日本はかたちだけそこに乗っかっている程度だと思うんです。

 そうしたときに鴻上さんがよく言われる「多様性ってしんどい」って言葉がすごく意味を持っているように感じます。みんな違っていいということは、苦しいことなんだと。

鴻上 それはしんどいですよ、ほんとうに。

工藤 さまざまな場所でいろんな利害の対立が起こっている。でも持続可能な社会とするには、自分の価値観とか自分の利益を損ねる方向で物事を進めなきゃいけないという痛みが生まれる。この痛みを伴いながらも、よりよい方向に行くためには、全員が当事者じゃなきゃいけないんだと。

鴻上 でも、どこで工藤さんはそれを学びましたか。・・・

 工藤さんはなぜそんなことを思うようになったのか。そのあたりを聞きたいんです。

工藤 きっかけねえ……子どものころから人の言うことは簡単に聞きたくないという、それだけですよ、たぶん。

鴻上 はい?

工藤 子どものころから、大人が言ってることを信じちゃいけないというか、自分の頭で考えなくちゃダメなんだと、ずっと思ってきました。

 ・・・

鴻上 子どものころからの下地があったとしても、教師になってすぐにそれを言語化したり、今の考え方を獲得したわけじゃないでしょう。

工藤 じゃないですね。先に触れましたが、教員二年目、子どもたちと一緒に社会をつくろうと思い始めてからですかね。その頃から、言葉の大切さみたいなこと、そういうものを特に意識するようになったような気がします。

 ・・・

 ・・・一つの言葉が発せられたとき、こっちの子どもとこっちの子どもが違う感覚を持っているというのを体感するわけです。いろんな子がいると。いろんな背景を持っていて、一つの言葉でも、感動する子もいれば、これに対して怒りを持つ子もいる。そういうことを感じていたので、みんなが違っていいということは、とても難しい。まさに、多様性がしんどいという感覚は、すごくよくわかるんです。

鴻上 しんどいことを理解したうえで、しかしそれでも受け入れていかなければならない。痛みを感じることの大事さこそ、学ばなければいけないわけですよね。

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 教育をテーマに対談してきましたが、日本の危機が見えてきたような気がします。教育について話していると、いま、僕らが、日本社会が、やらなければいけないこと、やってはいけないことが見えてくるんです。

工藤 当事者意識をもって、対話して、違いを受け入れる。そして他者と合意する。大人にこそ求められているのかもしれません。