上を向いて生きる

上を向いて生きる

 宮本亜門さんのエッセイを読みました。

 この、お母さんとお父さんの話が印象に残りました。

 

P110

 生きている。

 まだ生きている。

 今日も、まだ生きられる。

 

 生前、母がよく口にしていた言葉です。

 私の母は慢性的な肝炎がもとで肝硬変を患っていました。・・・しかし、母は弱音をほとんど吐かず、いつもお客さんに笑顔を振りまいて、毎日生き生きと店で仕事をしていました。

 ・・・

 ・・・母は感謝という言葉もよく口にしていました。

 「今日、生きていることに感謝しましょう」と言って、よく家族三人で手を合わせたものです。特にこれといった宗教を信じていたわけではなく、長くは生きられないと宣告されていた母は、まだ生きている自分自身に感動していたのです。

 ・・・

 母は一分一秒でも長く生きたいと願っていました。私も生きている一分一秒は何一つ無駄にしたくないと思っています。この世で見ていないものは何でも見たいし、出会っていない人とは出会いたい。生きていること自体が感謝で、無駄になんかしたくありません。

 新しい一日にありがとう。

 友人にありがとう。

 家族にありがとう。

 そして仕事にありがとう。

 一日中、感謝しつづけて生きていきたいと思います。

 

P114

 私の父は、極度の女好きで、本一冊では収まらないほど。浮気、不倫、モラハラ、DV。さらには中絶、金銭トラブルと問題のオンパレードです。でも、そんな父に対しても、今は心から、素敵な家族で良かったと思っています。

 その発端になったのは、一九九九年に沖縄への移住を決めたときのことでした。亡くなった母は私に約一億円の遺産を残し、父にその管理を託していました。私は四月に完成する沖縄の家のために、そろそろ、父から遺産を返してもらおうと、正月、ランチに誘いました。

 食後、本題に入るため、父に水を向けました。「ところで沖縄の家も完成するし、そろそろお母さんが私に残してくれたお金、返してくれないかな?」。すると父は、何か昔を思い出すように上を向き、「あれ?使っちゃったかも」

 さすがの私も、この反応には唖然としました。私はこれを頼りに家を建てたからです。しばし沈黙が流れ、ついに「嘘だろ!」と叫びました。すると親父は逆ギレして「こっちだって、色々あったんだよ!」と怒鳴り返してきました。それ以上、親子の会話は進まず二人は別れ、私は事務所に帰り、社長に相談。すると社長は臆することなくこう言うのです。「縁を切るか、金を諦めるかだね」

 「縁を切る……?」

 金の切れ目が縁の切れ目とも言います。でも、私は父を失いたくありません。だって金のために、世界で一人しかいない父と縁を切るなんて「自分の人生は金だけが大事」と言っているようなものです。

 ・・・

 ・・・それに完璧な親なんてどこにもいません。親のダメさに失望している人は、むしろ親とは、赤の他人と思った方が良いのかもしれません。そんな風に客観的に肉親を見てみたら、案外、父の欠点も母の欠点もひとつの個性に見えてきて、和解の方法は、親ではなく、子供から手助けするしかない、と思えてくるものです。

 ある親友から「子供の時から両親がいつも喧嘩をしていて、自分への愛情も薄い」と相談を受けました。私は彼に「ならば、あえて他人になったつもりで。君を生んだ時、どんな状況で、どんなことを考えていたか、インタヴュアーにでもなったつもりで、感情抜きで聞いてみたら」と、提案しました。

 すると、両親それぞれが驚くほど苦しんでいた時期に彼が生まれたことがわかり、友人も「そりゃ大変だ」と理解したそうです。そして、お互いのために離婚を提案。彼のお陰で二人はめでたく別居して、今ではそれぞれが幸せに暮らしています。

 

P209

 喜劇王チャップリンの言葉が、いつも私に希望を与えてくれます。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇」

 人生がうまくいかなくなった時、人はどうしても近視眼的にしか自分を見られません。そしてどうにもならない、と絶望的になる。でも、距離を置いて、自分を俯瞰すると、視界はさっと広がり、ほかにも選択肢があることがわかるのです。

 つまり、悲劇と思っていた人生が、実は喜劇のようにおかしく素敵なものに思える。人生で起こるさまざまなことは、近視眼か俯瞰の視点かで、天と地ほど別のものに見えるのです。