これぞ満喫しているなぁと・・・ほんとにいろんな方がいて驚きます。
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パリの地下は、十二世紀から十九世紀まで石切り場だった。おかげでものすごく長く込み入った地下坑道と、石を切り出したあとの巨大な空洞ができて、それはいまも残っている。・・・
さて、そんな地下世界の虜になったのが、ジル・トマさん。パリ市役所に勤める公務員……というのは、むしろ仮の姿。「地下おじさん」こそが、ジルさんの真の姿である。・・・
「やぁどうも」
待ち合わせ場所にやってきたジルさんは、Tシャツにジーパン姿。手にヘッドライトをぶら下げている。挨拶が終わるか終わらないかのうちに、
「さぁ、行ってみよう」
せっかちだ。忙しいのかと思えばそうではなく、とにかくわたしたちを早く地下へ案内したくて仕方がないらしい。・・・ジルさんは「ぼくの地下」を紹介する気満々なのである。
・・・
地下二十メートルまで降りると、そこは巨大なアリの巣のようだった。照明があり、足場の安全は確保されている。ほとんどの場所は背を伸ばしたまま歩ける高さで、圧迫感もそれほどない。それでも地下道の入り組み方が複雑過ぎて、慣れている人と一緒じゃないととても歩けない。迷子になったら二度と地上に出られない気がする。
・・・
「ジルさんは、そもそもなんで地下に魅せられたんですか」
と問うと、
「それ、知りたい?」
と思わせぶり。・・・「うん、知りたい。教えて」・・・ジルさんは満面の笑みを浮かべ、
「じゃ、もう一か所、とっておきの場所に連れていくよ!」
・・・
ジルさんが大学生だったある日、友だちが「廃線跡のトンネルのなかに、おもしろい地下道を見つけた」と言うので、一緒に探検しにいった。
「その日以来、ぼくはすっかり地下に魅せられてしまった」
それは二十五歳のことだった。それでジルさんは、何度年齢を聞いても「二十五歳」と答えるのだ。地下に出会ってぼくの人生ははじまったから、と。これまでに地下に関する本を七冊出版し、十五以上の記事を発表している。パリの地下に関しては第一人者だ。第二、第三がいるのか不明だけれど。
おしゃべりをしながら歩いていくと、片側が草むらになっている道路に出た。
「着いたぞ!ぼくが地下にハマるきっかけになったトンネルを案内するよ」
・・・
トンネル内はひんやりとして、ところどころに水が溜まっている。光がまったく届かない内部で、子どもたちの声が聞こえる。む?なんで?
「ずっと上のほうに通気口があるんだよ。それが公園に通じてるんだ」
天国で遊ぶ子どもたちと、地獄を行軍する我ら。まったく別の時空を生きているような不思議な感覚がわく。
・・・
「ジルさんは、どのくらいの頻度で地下に潜っているんですか」
「週に一回のときもあれば、週に十回のときもあるなぁ」
週に十回って、おいおい仕事はどうしてるんだと思ったら、
「ぼくは、みんなみたいにバカンスに出かけたりしないのさ。夏休みも有給休暇も、すべて地下に潜ることに費やしている。
車も、時計も、パソコンも、テレビも、クレジットカードも持っていないという。地下に潜るか、地下について図書館で調べものをするか、興味があるのはそのふたつだけ。徹底している。あえて確認しなかったけど、妻やパートナーも持っていなそうだなぁ。
「ぼくの人生のモットーは、満喫すること」
そうだよなぁ、荷物が多いと満喫できないもんなぁ。モグラのように地下に生きるヘンテコなおじさん。その姿はなんだかすがすがしく、まぶしいのだった。